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お笑いコンビ・麒麟の川島明がパーソナリティをつとめるTOKYO FMの番組「SUBARU Wonderful Journey 土曜日のエウレカ」。10月30日(土)放送のお客様は、シンガーソングライターの坂本美雨さん。約5年ぶりとなるニューアルバム『birds fly』を10月20日(水)にリリースした坂本さんが新作について語りつつ、母・矢野顕子さんとのエピソードも披露しました。

坂本龍一さんを父に、矢野顕子さんを母に持つシンガーソングライター。1997年、17歳のときに「坂本龍一 featuring Sister M」名義によるシングル「The Other Side of Love」でデビュー。1999年から本名・坂本美雨として本格的に音楽活動を開始します。その後、執筆活動、ナレーション、演劇など表現の幅を広げています。

◆矢野顕子に初めて相談をしたら…
川島:人から言われた言葉で、一番印象深かったものは、お母様である矢野顕子さんに言われた言葉だそうですね。

坂本:はい。20代後半くらいには、1年に1枚のペースでアルバムを作らせていただいていたのですが、30代を目前にした29歳の最後ぐらいに、次のアルバムでやりたいことやコンセプトが、まったく思い浮かばなかったんですね。

川島:それまでは、表現したいものが出てきていたのに?

坂本:そう。次から次へと。だけど、モチベーションがスッと消えてしまったんです。「自分の歌は人の役に立っていないのではないか……」って思うようになってしまったんですね。「このままCDを出し続けていても、何になるんだろう……」っていう葛藤があって。もっと直接的に人の助けになるような、たとえば介護だったり、おいしいコーヒーを作ったりするような仕事をしたほうがいいのかな、って思っていました。

川島:それってつまり、歌手を諦める段階までいったってことですか?

坂本:そうですね。たぶん、ずっと歌うであろうけれど、レコーディングアーティストとしてこのまましがみつくのは申し訳ないんじゃないか、って思ったんです。

川島:表現したいものがないってなると、そう思ってしまいますよね。それからどうしたんですか?

坂本:クリスマスだったかな?(現在、ニューヨークで暮らしている)母が、たまたま来日していて。ホテルのロビーでお茶をしたときに、意を決して相談したんです。それまで1回もアドバイスを求めたことはなかったし、個人的な気持ちをほとんど話さなかったんですけど、「今、作りたいものがないんだよね。歌いたいことがなくてさ」ということをポロっと言ってみたんです。そうしたら、「辞めたら?」って言われたんですよ(笑)。

川島:「相談に乗るよ」とかもなく、すぐにそれを言われたんですか?

坂本:すぐ!

川島:ショックでした?

坂本:うん。「ええー!?」って感じです。てっきり、そこから深い親子の会話が始まるものだと思っていたので(笑)。

川島:例えば、「私もそんな時期があったよ」「でも頑張りな」みたいなことを言われると思ったのに、それが「辞めたら?」だったと。

坂本:はい。崖から突き落とされたような気持ちでした。

川島:(笑)。スパッと気持ちいいぐらいの返事ですよね。

坂本:そう。「あなた何のために(歌手を)やっているの?」って質問がきて。当時、「本当はこういうものを作りたかった」みたいなことを細かく話したとは思うんですけど、彼女からしたら、きっと幼稚だったんでしょうね。「人の役に立つとか、人を幸せにしたいとか、そういうことではないわけ?」って言われて、「ああ……」と。

今までは自分が作りたいものを作ってきたけども、人を鼓舞するような目的を持ったアルバム制作はしてこなかったかもしれないと。あとになって考えたんですね。それで、「最後にもう1枚、人を鼓舞するようなアルバムを作ろう」って思ったんです。
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