【芸能】さんま 仁鶴さん「売れたきっかけ」 「ピンであれだけの爆笑とる人出て来ない」 [征夷大将軍★]
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デイリー2021.08.21
https://www.daily.co.jp/gossip/2021/08/21/0014611743.shtml
タレントの明石家さんま(66)が21日、MBSラジオ「ヤングタウン土曜日」に出演。吉本興業の先輩で、17日に84歳で死去した落語家・笑福亭仁鶴(本名岡本武士=おかもと・たけし)さんを悼んだ。
さんまは吉本興業ホールディングスの大崎洋代表取締役会長からの連絡で17日に訃報を知ったという。「会社やめって言うかと思った」とした上で、宮迫博之の闇営業騒動など一大事のときに連絡が来るという大崎会長からは「こんな電話ばっかりで申し訳ないって。仁鶴師匠が亡くなられました。本人の希望で密葬だというので」と明かした。
仁鶴さんについて「いまの吉本を創ったといってもええぐらいすごい人。やすきよ、三枝、仁鶴という人が引っ張って。アイドル的人気で仁鶴師匠が出て来たら、天井落ちるんちゃうかなと思うぐらい沸く。いまのNGKが。ピンであれだけの大爆笑とる人は出て来ないと思う」と絶賛した。
また、さんまは自身がが売れたきっかけを仁鶴さんが出演していた読売テレビ『爆笑三段跳び』という番組の前説と告白。多忙な仁鶴師匠が仕事で遅れるため、いつ始まるか分からないとし「伸ばせと言われて、新幹線遅れて1時間半つないだことある。ある日、本番に出してあげようと。芝居のコーナーに出してもらった。ボケたらつないでくれて」と回想。
「1対1でしゃべったのは、テレビでオレが『あれは先輩あきまへんで』ってギャグで言ったら、気にしてらっしゃったみたいで。読売テレビの『(大阪)ほんわかテレビ』で特別枠で対談してるんですよ。仁鶴師匠の1対1のテレビの対談は最後?いま振り返ると。『あれ僕がアカンかった?』『そんなことないんですよ』って、(あと)昔話して。テレビ的には文枝師匠が僕を育てたみたいになってて、現にそうなんですけど、『仁鶴師匠の三段跳びで鍛えられて、前説で会社に認められてあいつら売り出そうとなったから本当は仁鶴師匠のおかげなんです』と伝えたら、『覚えてくれてたか』と言われてうれしかったのを覚えていますね」と懐かしそうに振り返った。
また、さんまは14日に肺炎のため死去したジャニーズ事務所の藤島メリー泰子名誉会長(享年93)、19日に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝した俳優の千葉真一さん(享年82)も悼んだ。 爆笑三段跳び?
これは全然知らんわ
全く知らん
ほんわかテレビは知ってるけど たった1時間前にさんまがヤンタンでしゃべった事すぐ記事にするんやな。
ネットニュースの記者って楽な仕事やな。ラジオ聞いてるだけでええんやもんな
おれもそんな楽な仕事がしたいわ。おまえらみたいなもんがおるから
深夜ラジオがおもしろくなくなってんねん。 つかさんまにはこんなに優しいのに
ダウンタウンが目の前で挨拶しても完全無視する仁鶴って。。。 仁鶴師匠のほんとの全盛期は俺も知らんわな
もう落ち着いててさんまらの世代の上にいたイメージから記憶がある >>9
もう3つもスレが立ってるんだよ、同じ番組ネタ元でw 落語の瞬間最大風速は凄かったと聞いたわ
半年くらいの短い期間だったらしいけど、どこで高座あがっても大大爆笑で日本一だったそうな
ちょっと想像つかないけど 生活笑百科好きだったなー
仁鶴さんのあの笑顔と、上沼さんのボケ
辻本との絡みも好きだった
子どもだったけど、テレビの前で始まるの待ってた >>15
52歳の私でもギリギリ。小学1年か2年の時に、だじゃれか何かの子供向けのお笑いの本があって、
その面白講師みたいなキャラで紙面に出てた。
今から思えば、仁鶴師匠の最盛期が過ぎで、もう先生ポジションだったということだな。 明日17時から関西テレビで仁鶴ゲストのさんまのまんま追悼放送 天井が落ちるくらいの笑か。
子供の頃に体験した漫才ブームの
比じゃなかったのかな。 関東でサンマ世代でもないから四角い仁鶴が丸くの人って印象しかないわ >>9
あほか
めっちゃええ宣伝やろこれ
お前はホンマのアホやな 「どんなんかなあ」は知らん世代だがみうらじゅんがバカレコードのキャプションに
「これは具合の事を言っているのだ」に戦慄したw 仁鶴がいなけりゃ
三枝(文枝)もさんまも文珍も鶴瓶も八方も鶴光もきん枝もおらん
この世代を落語の世界に引っ張り込んだのが仁鶴 >>9
そもそも引用の範囲超えてるから著作権的にアウトだろな 生活笑百科の司会のイメージしかなかったけどそんなに凄い人だったのか もうひと組、コメディNO1も凄かったような気がします >>32
NHKが昭和から令和まで
番組の司会を降ろさずに
出演してもらってたんだ
大物中の大物 追悼は岡村ちゃんの「Young oh! oh!」で >>15
俺も多分同じ世代で三枝天下の頃からの記憶しかないのでリアルタイムは知らないけど
とにかく別格で後輩みんなに異常にリスペクト(畏れも含めて)されていて
子供ながらに「少し前の時代にとんでもなく売れていた人」という刷り込みはあった
(どんなんかな〜とかはもう普通に使っていた)
今の中高生がダウンタウンの全盛期は全く知らなくてもなんだか昔凄かった人という
イメージなのと同じようなのかな 仁鶴の師匠6代松鶴とさんまの師匠2代松之助はともに5代松鶴門下の兄弟弟子、
仁鶴とさんまは従兄弟弟子にあたる。 >>16
さんまはSNSやってないし、芸能ニュースにコメントするのはこの番組だけだから さんまに師匠言わすんはこれでおらんようになったか
後は兄さんやもんなぁ >>20
わかる
ガキの頃、ヨーわからんおっさんおばさんが台本通りに喋ってるつまらん番組やと思ってたが、ある時期から妙に会話が引っ掛かりだして笑えてきて、気が付いたら毎回見逃すまいとかじりついてた
仁鶴師匠が丁寧に進行してるようで突然辻本をぶっきらぼうに扱ったり、押し引きが波のように心地好いのよな さんまが売れ出すきっかけになった
ヤングおーおーで
司会だったのが仁鶴と三枝
一番人気だったのが仁鶴 上方芸人で全国区みたいなのはこの人あたりからか
色々記事やコメント読むと別格扱いみたいな 横山やすしも売れたきっかけだったとか言ってたような 「今週は身近な人が亡くなって、、、ゲルト・ミュラーが亡くなりました」
さんまで久しぶりに笑ったw >>20
辻本いない頃が面白かった
上沼も今ほど偉そうにしてなかった 仁鶴てそんな爆笑とってたんや
オレのイメージでは既に落ち着いた師匠で
爆笑を取るようなスタイルには思わんかったわ さんまが出たほんわかの特番 録画してて何回も見たわ
仁鶴さんはお歳とられてからも一言で笑いとってはった
みんなに愛されたすごい人や >>50
大村崑、白木みのる、藤田まこと辺りの方が先じゃね? >>10
忘れがちなことだが、さんまは笑福亭一門だぜ 50年前の難波花月は凄かった
仁鶴、やすしきよし、岡八郎の出番では劇場が揺れていた
昔は自由席で入れ替えもなかったので好きなだけ見れた
カウスボタンやコメワンは未だ新人の感じ
中でも仁鶴は飛び抜けていた
東京など爆笑させるという意味では全く大した芸人いなかったので仁鶴が日本の正にキングであった
有名歌手や俳優でも仁鶴には憧れている感じでテレビでも出まくっていたね >>61
東京ではコント55号あたりがトップだった時代? この辺の話出来る人はもうおじいちゃんだろ
さすがにわからん まだ若手であった昭和45年前後が絶頂期なんかな。
その後は大御所になってまた違う存在に。 東京ではコント55号が全盛期から少し落ち気味、ドリフは未だクレージの二番煎じくらい
談志が俳優やタレントで出ていたが全く面白くなかった
やはり談志は落語の人だと思う さんまのこういうエピソードを聞くと
今も若手にあれこれ食いついてるけどこの人ベテランのおじいさんなんだよなと
今さらながら気付かされる ラジオから始まりテレビに進出してフリートーク切れまくり
仁鶴が登場しただけでもお客は既に爆笑しているくらい外さない完璧なフリートークだった
今は忘れられているが仁鶴は歌手としても結構売れていた
売れてからは落語をやる時間が無いほど忙しかったが売れるまでは本当に正統な落語家さんであった 薄く覚えてる。
小さい子供だったが腹を抱えて泣きながら笑ってた。とにかく間がよかった。一呼吸間を置いてから話すだけで面白すぎた記憶がある がんばろ!!!^ー^
いとー命!!だよ いとーくんしか愛してない^ー^
いとーくんとしかがんばらない
せつのいとー愛はいとーくんがいちばんわかってる^ー^
なんにも心配いらないよ
だいじょ〜〜〜〜〜〜ぶ^ー^
なにも起きないよ なにも心配いらないよ^^
だってせつ宇宙一、死んでもブレないし、いとーくんにべたぼれだもん^^
なにも心配いらないよ^ー^ >>52
まじか?!とウィキ見に行ったわ
ホンマ死んではった、ゲルト・ミュラー
びっくりしたわ カスルトはきちがい球団で、嘘でいじめて復讐、粛清してくるから、警察がやっつけて
殺すしかないよ
痛い目にあわせて、そういうこと、許されないってわからせないとだめ
カスルトのパンダになるくらいなら首つるわ そんな墓場の人生、死んでもごめんだわ
せつはいとーくんしか愛してないので せつの人生せつが決めるんだよ
あのね、せついとーくんに下で会ったら聞きたいことたくさんある
本屋行ってもいい? 料理してもOK? などたくさん!!
いとーくんとせつの愛は世界一美しく強い愛^^ 3分経ったら 親子丼〜
ごはんにかけて〜 親子丼〜 いとーくん愛しすぎてて壊れちゃうよ〜
いとー命!!!
いとーくんにべたぼれだもん^ー^
せついとーくんいてくれたら人生ほかになにもいらない!!!^ー^
愛しすぎてる;; 宇宙一ブレないよ!!!
なにも起きないよなにも心配いらないよ
せつのいとー愛は、いとーくんがいちばんわかってる!!! >>1
ワクチン打たなきゃ死ななかったパターンか
河野橋下が代わりに死ぬべきだったわな 仁鶴の後半期しか知らない人はこの人はやたらゆっくり話す人という感じしかしないと思う
しかし全盛期は誰よりもマシンガントークだった
そしてそのスピードと間の上手さで張り合う人はいなかった
抗半期では何か達観した仙人の様な芸風で天下をとった芸人でこの人ほど陰陽の印象が変わる人も珍しいと思う 反ワクチンはIDコロコロ
コピペ繰り返し
サカ豚と兼任してるんだろう >>41
初代の松之助は五代目松鶴の息子の六代目松鶴で
松之助→光鶴→枝鶴→松鶴になった
さんまが松之助に弟子入りして初めて仁鶴に会ったのは
松之助から「杉本、仁鶴や」て紹介された時ていうてたな
鶴瓶とは島之内寄席で初めて会って鶴瓶に回転焼きを
おごってもらったというはなしをしてたな >>36
きよしが政治家目指さずにあのまま司会やってたら、何年もっただろうな。 >>1
ゲルト・ミュラーは悼まなかったんか?海外厨なのに >>92
「兄さん回転焼き奢った話ずっとしまんねん」 笑福亭仁鶴がいなくても
松竹芸能が今のよしもとのような立場になってかかもしれんよ
タラレバ言っててもしょうがない 俺も仁鶴で爆笑してみたいんだがどっかに爆笑必至の動画転がってない? 吉本が松竹より全く人気がなく、貸しビルやボーリングで日銭を稼いでいたときに、仁鶴師匠がテレビのバラエティで人気爆発して息を吹き返した。その後に三枝、やすきよ人気が続き吉本の快進撃がはじまった。 実際深夜ラジオ隆盛時は、ABCの仁鶴、MBSの三枝(文枝)の二大巨頭やったし。 文枝・仁鶴もそうだが、横山やすしも吉本本社に「さんま、アイツはオモロイで」って売り込んだ。 みうらじゅんによると当時の大阪では万博より人気があったらしい 仁鶴の冷めた顔でスッと突き放す感じのツッコミ好きだったわ カウスボタンも出てた番組じゃないかな
兵隊のコントで仁鶴が一番ギャラの高い2等兵 >>106
生活笑百科でも上沼恵美子のほら話に、呆れてるか「またか」って感じでツッコミ入れていたな。 >>6
笑福亭鶴瓶「覚えてるでぇ、ほんや覚えてるでぇ」 仁鶴の乗ってた車が軽い接触事故だったかを起こした時に時間がないからこれで許してほしいといってポンと100万円渡した話が好き
結構昔の100万円だから今で言うと数百万円ぐらいかも? 上方落語って知らんけど
男前ジジイの米朝
四角いおっさん顔の仁鶴
アイドル三枝
ついでに文珍
はやはり関西の落語タレントだなと ラジオ深夜便では追悼落語でなく追悼レコードやってたな
「どんなんかな〜♪」だったと記憶 >>20
たまに上沼恵美子の代役で遥洋子が出るときはがっかりした。
仁鶴上沼の話芸が毎週堪能できたのは贅沢だったな。 土曜日に学校から帰ってきて
母が昼ごはん作ってる間に見てた
上沼恵美子の淡路島と大阪城ネタが終わるのを待ってる
仁鶴さんの顔はよく覚えてる 三枝はまだ時々TVでも見かけることあるけど
文珍はここ20年位、まったくTVで見かけなくなった気がする
何かあったの?
80年代は文珍はものすごくテレビに出てた人気者で90年代もまだ出てたが
2000年以降TVからほぼ消えてる さんまみたいなのは唯一無二でもう出てこないと思うけど仁鶴レベルに言うのは大袈裟 関東じゃNHKの司会者でしか無いし
伊東四郎レベルでもない >>92
笑福亭松鶴の名をどうするんだろ。
もう、仁鶴師匠も逝ってしまったし、鶴瓶師匠とかが一度継いでかないと今後使えなくなる。 さんまさんが売れたのは「ヤングおーおー」からだと思ってた
https://www.youtube.com/watch?v=tp9Oe-lhwQM
「爆笑三段跳び」って番組の事はWikipediaにも書いてない ルンス 08/22 11:31
化プク
ま ラ
だ
? コロナで死んだことはすぐ認めるくせに
ワクチンで死んだことは絶対認めないよな
異常な国だわ >>20
上沼「この前ある協会の集まりに行く為にタクシー摑まえて乗ったら…」
辻本「何の集まり?」
上沼「日本お金持ち協会」 >>92
笑福亭松鶴
笑福亭枝鶴
桂米朝
桂枝雀
大名跡、どうするんだろ。
大き過ぎるのも有るけど、曰く付きのも有るし。
桂米團治、桂春團治、桂文枝とか、兎に角継ぐ。というのも間違いじゃないよね。 >>127
笑福亭だと
松竹、吾竹、福松、福圓、梅香
桂だと
文團治、文吾、米喬
とかいろいろ空いてるな 生活笑百科というのをやってたな
弁護士がいるんだから最初から聞けばいいのにと思った >>52
ポカーンな顔するマイナーアイドルの顔が浮かぶわw 松鶴という名籍は扱うのが難しい
仁鶴さんが松竹だったら上手く収まっていたかもしれないけど >>138
CMでは背番号90で長嶋さん意識してるんだよなあ。 仁鶴は、無理しないで自分と時代を上手く合わせてたって人って感じ。
それが出来るだけの話芸があった。 さんまの『あれは先輩あきまへんで』ってのは
相手に寄ってはギャグになってないからやめえた方がいい。
上沼恵美子も怒ってた。
うまく受けれるのは鶴瓶ぐらいだし。 >>1
おうおうにして、下品な笑いが多い上方芸人の
中では、飛び抜けて品があった師匠。
素晴らしい話芸だった。 >>145
上沼さんは更年期のイライラと
もし自分が女じゃなかったら家庭を優先して大阪にとどまってなかったらっていう憤懣を
(自分の代わりに)天下取ったさんまにぶつけただけ >>58
しかも、さんまと仁鶴互いの師匠が兄弟弟子 >>142
仁鶴さんは巨人ファンなんだっけ?
関西芸人には意外と巨人ファン多いよね 落語家がテレビタレント化したハシリやったな
上方では仁鶴と可朝 二人とも爆笑王やったね
江戸では円鏡と三平
仁鶴のあとに三枝が台頭 好きになれなかったな >>1
さんまの師匠が松之助(仁鶴の師匠の兄弟弟子)
だから特別に目をかけたってのはあるんじゃない? >>8
同窓生が仁鶴の口癖をよくまねていたのを思い出す。
そんな芸人は他になかった >>88
知的障害者にレスすんな
笑福亭仁鶴は数年前から体調を崩して
表舞台から消えてた >>121
松葉兄さんの件があるから鶴瓶は
松鶴には触れたくないんじゃない? >>130
鶴瓶は「うめこぅ」言って嫌がってたけど
梅香っていい名前だと思うけどな
お◯こに聞こえるから嫌なんだろうけど 関テレ 8/22 17:00より笑福亭仁鶴 追悼 さんまのまんま >>133
ワシの世代だと、
ABCの夕方の帯番組
「仁鶴と遊ぼう」
※澤田隆治さんが演出、
関東TBSにもネットされた番組。 >>117
文珍は関西大学で教鞭に立ってたり、落語を極めたいと言うことで、テレビに出る時間が惜しくなったそうだ。 >>160
澤田さんがABC本社にいた頃って何十年前や… >>165
万博前後まで遡るんじゃね?
てなもんやの一件でABCで干される。
日テレの井原さんに誘われて東阪企画立ち上げたのがズームイン始まる前後だったはず。 >>151
Jリーグじゃないんだから、地元チーム応援しないと
おかしいなんてのはない 長嶋・王のファンだから
江川や原のファンだから巨人好きってたくさんいてもおかしくない >>159
「師匠は夜はどうしてまんの」
「どうしてまんのて…夜は寝るがな」 >>117
今NGKで一番爆笑をとるのは文珍らしい。
俺も信じられないが、芸人や関係者が口を揃えて言うんだから間違いないだろう。 どアホウ春団治に憧れて落語家になったが、遊びはどうだったんだろ。 せいやの物真似で、仁鶴師匠は酷いことばかり言う人ってイメージを、
若い人達に持たれたのではないかと。 >>144
あの全盛期でも劇場にも出演してたしね
凄いスケジュールだよね
でも無理が祟ってのどを痛めて仕事を大幅にセーブせざるを得なくなって
TVタレント主体から本格派の落語家へと上手く転身できたよね
それをあの吉本や林正之助会長が許すだけの貢献を仁鶴が吉本にしたってことなんだけどね
>>157
鶴瓶はニッポン放送の「日曜日のそれ」で
仁鶴について触れてたけど
7代目松鶴襲名の一件で未だに蟠りがあるような物言いしてたね >>130
文吾は今の小文吾さんがまもなく継ぐらしい。 >>145-146
鶴瓶はリアクション芸の天才だからね
鶴瓶をイジって面白く出来るのが中居くん
くらいしか居なくなってしまった >>151
大阪は巨人ファン多いよ
阪神ファン一色なんてことはない >>173
他人事だった仁鶴兄さんには複雑な感情
があると思う >>145
本来さんまは先輩芸人を茶化しながら懐に入って笑いに持っていくのが天才的だったんだよ
たけし、タモリ、鶴瓶ら先輩芸人相手にした時のさんまは今の後輩芸人相手のさんまの数倍面白い 先達の芸人諸氏との交流を愛以て語れるのは今やさんまちゃんだけ
さんまちゃんには我々も知らぬ昭和の愛すべき芸人さんの語り部の役を担っていってほしい >>181
談志が好きな芸人100人くらい語りまくるみたいな番組NHKでやってたけどああいうのやってほしい >>170
日ハムが移転する北海道北広島市の芸術文化ホールは、赤字をなくすために貸館だけでなく自主事業を積極的に行ってきたのだけど、当初はコネが無かったから文珍師匠と中島啓江さんに頼りきりだった。
今はコネも出来、鬼籍に入られた中島さんだけでなく師匠に頼ることもなくなったけれど、あれだけの安価で文珍師匠の高座を聴けたということは貴重だったな。 枝雀の落語は聞いたことあるけど仁鶴のはなかったなあ >>2
昭和50年代前半に関西ローカルの土曜夕方にやってた
写真だけみるとモーレツ!しごき教室みたいな番組のように思うんだが 枝雀はフリーで喋ると味わいが有って好きだが、落語の語り口は、せからしくて好みに合わん >>182
談志はおたく気質な人だったからああいうのできたけど
さんまはそういう感じとはちがうんじゃないかな >>172
せいやは結局仁鶴師匠と共演せずに終わったのか 仁鶴がブスッとした顔でぼそぼそした声でつまんなそうに落語一席やり終えて笑い一つもとらずに帰っていったのを
NHK教育で見たおぼえがあるんだけどあれが何だったのかいまだに謎だ >>20
そんなのはカス。仁鶴のカスでしかない。仁鶴がホントにスゴかったのは70年代半ばからの数年間。これは神がかってましてた。 >>20
そんなのはカス。仁鶴のカスでしかない。仁鶴がホントにスゴかったのは70年代半ばからの数年間。これは神がかってましてた。 >>193
ABCヤンリクの「仁鶴・頭のマッサージ」の頃? 仁鶴の追悼記事で洋七のやつが1番面白かったわ
洋七は仁鶴を研究してあの喋りになったんか B&Bの初期はそれこそ仁鶴が憧れた初代春団治のようなマシンガントークだったろ。でもそれ仁鶴のアマチュア時代の落語やん。
松鶴に師事してもらってからは落ち着いた噺になった。 家族でドライブの時は父親のブルーバードでいつも仁鶴のテープ聞いてたなあ 子供(小学生低学年)のころ大人気だったな。
新聞のテレビ欄の名前見ただけで可笑しさが込み上げて来た思い出がある。幼い子でも楽しめるタイプの芸人さんだった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています