東京オリンピック(五輪)のサッカー男子で、日本は53年ぶりの銅メダルがかかる。メキシコとの3位決定戦の前日会見で、森保一監督(52)は目に涙を浮かべた。
試合は8月6日。広島に原爆が落とされ、多くの命が奪われた日だからだ。人生の大半を被爆地の広島と長崎で過ごしてきた指揮官は「世界のみなさんと平和について考えるいい機会になる」と語った。

2大会ぶりに4強まで勝ち進んだからこそ、5日に埼玉スタジアムで会見が設定された。森保監督はこの舞台を待っていた。
「いまもなお心の傷を負った多くの人が生活をしていることを、世界の人々と共有できれば幸いです」。時折、声を詰まらせながら訴えた。

長崎市出身。父からは、長崎に原爆が投下された1945年8月9日に自宅の窓ガラスが割れたという体験談を聞いていた。
日本リーグのマツダ(現J1サンフレッチェ広島)で選手生活をスタートさせて、監督として広島をJ1で3度の優勝に導いた。

平和への思いを口にするようになったのは、2012年、43歳で広島の監督に就任してからだ。「(被爆の)経験者ではないし、分かったふうなことしか言っていない、
と受け止められても仕方ない」とも言う。それでも話を聞いてもらえる立場になり、できることは何か、自問自答してきた。

広島での試合前には必ず平和記念公園で祈った。15年のクラブワールドカップに出場した際には、会見で「平和都市、広島」という言葉を何度も使った。「180カ国に中継されると聞いて意識した」

五輪監督の就任が17年秋に決まると、「平和の祭典」と呼ばれる理由を探った。オリンピズム(五輪憲章)を読み込み、その根本原則もそらんじる。
「戦争や紛争が起こっている中では、自分の好きなことはできない。平和だからこそスポーツができる」と、憲章の意味を解釈している。

日本代表の選手には「好きなことができる幸せをかみ締めないといけない」と伝えてきた。

東京五輪は、世界が注目する一大イベントだ。「巡り合わせというか、運命というか。大げさに言うと、サッカーを通して、自分が平和の発信をするのは使命」と話していた。
4強まで勝ち残れば、代表活動中に8月6日を迎えることができる。記者会見が設定されることも意識していた。

広島に原爆が落とされた8月6日午前8時15分、森保監督は今年も黙禱(もくとう)を捧げるという。「世界に平和が訪れて、
人々が安全で安心な暮らしができるように、心穏やかに生活できるように」。平和への祈りは試合の日でも変わらない。(吉田純哉)

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