「痛快! ビッグダディ」(テレビ朝日)シリーズは、2006年9月26日の第1回以来、7年間、計20回に亘って放送された。番組のプロデューサーで、制作会社「ゼロクリエイト」の石川修元代表が初めて語る“ビッグダディ秘話”の最終回。

 1991年に「ゼロクリエイト」を設立した石川氏は、「元祖! 大食い王決定戦」(1991年・テレビ東京)、「TVチャンピオン」(1992年・テレビ東京)、「電波少年インターナショナル」(1994年・日本テレビ)など、高視聴率番組を制作。ドキュメントバラエティーの第一人者として、数々のヒット番組を生み出してきた。2002年に「愛の貧乏脱出大作戦」(1998年・テレビ東京)が放送終了し、次なる題材を探している時に出会ったのが林下一家だった。

 第1回放送では、林下一家の鹿児島県奄美市への移住が描かれた。その後、元妻との復縁、そして離婚を経て、愛知県豊田市に居を移した。ちょうどその頃、林下清志氏が突然、“番組出演を辞めたい”と言いだした。石川氏の説得は上手くいかず、番組は終了の危機を迎えた。

美奈子さんとの再婚
 その後、出演拒否騒動の裏にあった当時28歳の新恋人・美奈子さん(38)の存在が明らかとなる。

「元妻と再婚してすぐに離婚。そして、新しい恋人とまた再婚するとなると、視聴者からの批判を避けられないと清志さんは考えたのでしょう。それでも、何とかもう一度考え直してもらえないかと、豊田まで会いに行ったんです。そこで初めて、美奈子さんには1男4女の連れ子がいることを知りました。清志さんと一緒になれば、15人の大家族が誕生するわけです。番組プロデューサーとして、この大家族をなんとしてでも撮影し、“ビッグダディ”シリーズの新章を作りたいと思いました」(同)

 この時点で、番組放送開始からは5年が経っており、既に11回の特番が放送されていた。

「美奈子さんは、もともと番組のファンで、出会う前から清志さんの“ビッグダディ”としての姿をテレビで見ていたらしいのです。そういったこともあって、最初は出演することを迷っていた彼女も、最終的には承諾してくれました。清志さんは、“美奈子さんが良いと言うなら”と撮影を再開させてくれた。これでなんとか番組の存続が決まったのです」(同)

 そして、2人は結婚。奄美の高校に通う次男の熱志さんと三男の武志さんを除く、6人の子どもと美奈子さんの5人の子どもと共に、13人での生活が始まった。

清志さんがモテる理由
 当時、清志氏は46歳。再婚が描かれた第12回(2011年10月1日放送)を見た視聴者の中には、再婚相手が18歳年下の女性ということに驚いた方も多かったはずだ。

「どうしてこんな若くて可愛らしい方が……というのは、我々も率直に思いましたよ。一方で、美奈子さんが清志さんに惹かれた理由もよく分かるんです。とにかく彼はマメな性格で、面倒見が良い。話好きで明るく、頑固ではありますが、言い換えれば芯が通った性格です。あと、子どもを愛する目はすごいですよ。血のつながった子どもだけでなく、連れ子にも分け隔てなく接することが出来る。普通なかなか出来ることじゃないですから、よほど大きな愛情を持った人なんだと思います」(同)

 一家は、豊田市のマンションで2部屋に別れ新生活を始めたが、手狭になったため、ほどなくして次の移住先を探し始めた。

 島根県隠岐の島で漁師として働く計画が持ち上がるが、体力的に厳しく断念。そして、次なる移住先は香川県の小豆島に決まった。

「清志さんと相談して、暖かそうな小豆島が良いということになったんです。引っ越しの費用や旅費は番組が負担しましたが、借りるより安く済むからと購入した一軒家の費用は、清志さんが工面しました。島で開業した接骨院では、美奈子さんが受付をして、夫婦2人で働いていました」(同)

激しい夫婦喧嘩

全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/e27afeacccf715dddca2042b7fd5f3364e81e567
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