抗がん剤治療を経て昨年7月末、赤ちゃんのへその緒と胎盤にあるさい帯血の移植を受けた。移植自体は、カテーテルを通して20分ほどで終わったが、移植の前に行った3回目の抗がん剤治療は、白血病細胞を全滅させる強力なものだった。

 その頃のつらかった時間のことはよく思い出せない。日記には「吐き気と耳鳴りがジェットコースターのようだ」とある。確かに何度も吐き、高熱も出た。

 「何もできないくらい体がだるい時『もうダメなのか』って投げやりな気持ちになったこともありました」

 体調によって、気持ちは前向きになったり落ち込んだり。大学生の娘が母を励まそうと、5月に発売されていたCDを買ってきた。「復帰コンサートで何を歌うか考えたら」。温かく背中を押された。

 退院も近いある日、ベッドから起き上がろうとしても、腰が痛くて体を起こせない。治療で大量のステロイド剤を使ったため骨がもろくなり、背骨が6か所も圧迫骨折していた。大変な治療だったと思う。そのかいあって、移植したさい帯血は順調に血液を作り、回復に向かっていた。

 昨年9月20日、入院から5か月で退院。外に一歩踏み出すと、風を感じた。日差しは明るく、鳥の声が聞こえる。「当たり前って、なんて幸せなことなんだろう」と感動が胸に迫った。

感謝を歌で返したい
5か月の入院ですっかり体は弱っていた。昨年9月に自宅に戻ると、8段ほどの玄関の階段が1人では上れない。体重は12キロ減った。指先に力が入らず、ペットボトルのふたを開けられなかった。

 食べることが大好きなのに、免疫力が下がっているため、食品を制限された。生もの、ヨーグルトや納豆などの発酵食品、ハチミツを食べてはいけない。火を通したものが基本だ。

 「生クリームのケーキが大好きなんですけど、当初は禁止でした」。退院1か月、お気に入りの店を訪れパスタを注文してみたが、一口だけでそっくり残した。のどを通らず、食べ方を忘れてしまったように感じた。

 病後、初めてスタジオで歌ったのは昨年11月。曲は「ずっと」。東日本大震災の後、変わらない日常が続く幸せを歌った。「昨日と同じ今日があるのは本当にすごいことだとわかった」

 回復とともに食事制限も緩んだ。年明けにはすしに挑戦し、「ああ、生きていて良かった」と実感。今年7月には医師から「コンサートも大丈夫」と言われたが、新型コロナに直面した。

 「生きていると悪いこともあるけど、すてきなことにも巡り合える。感謝の気持ちを歌で返したい」。ファンの前で歌う日を待ちわびている。(文・渡辺勝敏)

https://news.yahoo.co.jp/articles/07a12efa402ed794a0916e5817e5753f1c6203e5
1/10(日) 7:10配信

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あみん 待つわ