● プロ野球もJリーグもコロナ禍で再開した 前向きな事実も評価すべきだ

  「オリンピックなんて無理だ!」という感情論、不安感が世の中に広まっている。多くの人にとって、当たり前の日常生活さえ制約され、我慢しているのに、なぜオリンピックだけは強行するのか?

 一方で、プロ野球は各球団とも120試合を行い、日本シリーズも開催した。Jリーグは中断したリーグ戦を再開し、終了した。陸上、水泳、体操、レスリング、バドミントンなど、多くの競技の全日本選手権が日程を変更して開催された。いずれも、大きな問題や感染は発生しなかった。体操は海外から選手を迎えて国際親善大会も行った。いまのところ、大きな混乱や感染の報告はない。こうした前向きな事実も、きちんと評価すべきだろう。

 感染が続く中で何ができるのか、どうすればオリンピックが安全にできるのか。社会の知恵とコロナに負けない共通認識を積み重ねることは、安全に「経済を回す」だけでなく、すべての人々が人間らしい日常を取り戻すためにも重要だ。

 また、スポーツに携わる立場から言えば、スポーツ選手が五輪を目指して練習を重ねることは、人々が日常の活動一つひとつを取り戻すことに通じる。

 オリンピックが安全にできることが一つひとつ証明され、積み重なっていけば、それは人々が日々できることの可能性を証明する活動にもなる。オリンピックだけが特例で、特権的に保護されて行うのでなく、オリンピックでできることが人々の日常の安全を証明し、可能性を高めていくと考えたらどうだろうか。

 また、世間では、「アメリカが来ない可能性があるらしい。アメリカ選手の出ないオリンピックなんて」とか、「来日する海外メディアの数だけでも相当な人数らしいよ」といったさまざまな指摘がされている。私はこうした常識的な指摘や失望を聞くたび、まだ発想の転換が足りないと感じる。この機会に、これまでの常識や先入観をすべて白紙に戻し、新しいやり方を模索する機会にする意識に、国民も目覚めることが大切だ。

 もちろんコロナウイルスの感染リスクを軽視してでも東京2020を開催すべきだ、などという主張はありえない。徹底して対策をし、水際作戦を展開し、オリンピック開催によって日本に新たな脅威を持ち込まないことは大前提だ。

 菅首相や小池都知事は相変わらず「コロナウイルスに打ち勝った証しとして」と言い続けているが、これも現実離れし、反感をかき立てていると思う。人類はまだコロナウイルスに打ち勝ってはいないし、先が見えない。課題は、コロナウイルスの感染が続く中で何ができて、どうすれば安全に生活ができるかだ。そうした国民的議論をきちんと重ね、具体的な対策も出し合い、納得し合うことが大前提だ。

 例えば、できる限り海外からの来日者数を抑えるために、「観戦目的の観光客の来日は制限する」「メディアの来日は最小限にする」、もしくは「メディアの来日は原則禁止」とし、リモート取材の環境をできるだけ整備するなどの体制を整えたらよいのではないだろうか。

 商業主義、勝利至上主義にまみれ、本来のスポーツの良さを失いかけていたスポーツ界が、今回、オリンピック開催に取り組むことによって新たな価値に気づき、新しく生まれ変わる大きな転機にできるなら素晴らしい。そのためにも、上意下達ではなく、国民的な議論と合意こそが絶対に大切だ。

 (作家・スポーツライター 小林信也)