【訃報】林家こん平さん死去 77歳「笑点」で人気「1、2、3、チャラ〜ン」 [Anonymous★]
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日テレ系「笑点」の解答者として知られる落語家の林家こん平(本名・笠井光男)さんが17日に死去した。77歳。葬儀・告別式は19日に近親者で済ませた。2005年7月に、難病の「多発性硬化症(MS)」であることを公表。一線からは退いたものの、一門の落語会や落語家仲間による卓球サークル「らくご卓球クラブ」では元気な姿を見せていた。最後まで再び高座に上がることを夢見ていたが、その願いはかなわなかった。
あふれんばかりの笑みで「1、2、3、チャラ〜ン」と、ファンと共に声を合わせるこん平さんの姿を、もう見ることはできない。
6人兄弟の末っ子として生まれ、中学卒業と同時に上京して初代林家三平の弟子となったこん平さんが、全国区の人気を得たのが、66年から出演を始めた日テレ系「笑点」だった。自らの出身地である新潟県千谷沢村(現在の長岡市)を「チャーザー村」と呼び、地元ネタで観客を沸かせた。「チャラ〜ン」も、元々は同番組での自己紹介の締めから始まったものだった。
40年近く日曜のお茶の間を楽しませてきたこん平さんに、突然のアクシデントが襲ったのは、2004年8月。当初は、のどの使い過ぎが原因で、声帯に小さな固い突起物ができる「声帯結節」と診断された。1か月ほど入院して安静にすれば治るとされ、早期復帰が見込まれていたが、なかなか体調が回復しなかった。
05年に判明した病名は「多発性硬化症」。厚生労働省が特定疾患に指定しており、脳や脊髄に炎症が起きる難病。こん平さんも、噺(はなし)家の命である“言葉”が不自由になり、高座に上がるのをあきらめざるを得なくなった。
それでも、トレードマークである笑顔が消えることはなかった。趣味が高じて87年に三遊亭小遊三と結成した「らくご卓球クラブ」の練習には積極的に顔を出し、リハビリにも取り入れていた。09年12月には、東京・池袋演芸場で5年7か月ぶりに定席(通年落語が聞ける場所)へ“復帰”。10年3月の自著の発売記念会見では「今でも復帰を目指している?」と聞かれ「ハイ、そうです」と元気よく答えていた。
再びファンの前で落語を披露するのはかなわなかったが、天国で09年11月に亡くなった5代目三遊亭円楽さんと「大喜利」をしているに違いない。
◆林家 こん平(はやしや・こんぺい)本名・笠井光男。1943年3月12日、新潟県生まれ。中学卒業後に上京し、初代林家三平に入門。62年11月、二つ目昇進。66年5月から日テレ系「笑点」のメンバーに。72年9月、真打ち昇進。80年、初代三平の死去後は一門を引き継ぐ。2004年9月、「笑点」を降板。05年7月、多発性硬化症(MS)であることを公表。
報知新聞社 >>729
先代三平が横綱なら兄弟どっちも序二段だよな 「あっぱ」とか「あっぱんじゃ」って言ってたな。
今じゃ新潟でも死語。
合掌 >>731
そうだったんだ⤵介護で人の手借りるよりそっちが良いのかもね。芸能人なら尚更キレイなままってのが強いのかも 家のママン80なんだけど
長生きの部類なんだなって思うわ
50越えると、見た目年齢と身体能力って
本当に人それぞれやんね 80年代の中頃の印象のままなんで、
メンバーの爺化ぶりにちょっと驚き
木久蔵、80過ぎかよ... >>743
自宅で亡くなると警察呼ばないといけないし、けっこう面倒臭い >>654
言いたい事は分かるけど、伝わりづらいですw こん平さんが昔、テレビのロケ番組で
鬼気迫るなハイテンションでギャグ飛ばしてたのが印象深い
あれは俺の人生の中で最も面白いと
思った一つだわ ただただ明るい振る舞いだけの賑やかしの人だった印象
でも、こういう人のおかげで今の落語界もあるのかも × チャラ〜ン
〇 チャンラ〜ン
ここテストに出ますからしっかり憶えておくやうに。
もう15年も表舞台から消えてるから記者連中もリアルで知らんのだろう。 毎度のこん平でーす!は紹介のトリに欠かせなくて、フリの話はつまらなくてごまかせたよな。見てて寒くてムカつくたい平のフナッシーとは違う 小学生のときは笑点みてたな
子どもだったから分かりやすいネタが好きで、こん平とかきくぞうとか山田が好きだったわ
残念だ >>228
ブラッディマンデーに出てたので、主役レベルが今年だけで2名亡くなったと話題になってた >>750
新潟出身だかでササニシキって言ってたよ
子供には見やすい人だった 三波伸介のときの人はあとは木久扇と松崎まことだけか。三波伸介回してた時が一番面白かった。馬圓楽時代は暗黒だった。 >>768
んー 九蔵の前は才賀で 楽太郎はどうだっけ?
小円遊と歌丸いつもケンカしてる頃が良かったよ。 とうとう逝ってしまったか
歌丸もすぐ行くから寂しくないよ
合掌 海老名のババアが先に逝けよ
そうすれば林家一門が少しはまともになる 「1,2,3」とか言い出す前がピーク。
郷里の皆様お懐かしゅうございます○○で生まれ、新潟で育ったー
私の帰りの鞄にはまだ若干のー
からのチャンラーンが至高。
ここから子作り山田へのホットラインよ。 >>776
地方だと歌丸の
●周年おめでとうございます。
100周年にはわたくしと圓楽さんは必ず伺いますも鉄板ネタ 笑点辞めてたのか
知らなかった
自分の頭の中では未だに笑点のメンバーだったが みんないなくなっちゃうな
両親が他界し知ってる著名人が毎日の様に逝ってしまう
最近じゃ友人知人も毎年誰かが亡くなる
俺の順番が来るのも直ぐだろう BS日テレのなつかし笑点を見てると
昔はテンポが速く面白い
こん平師匠お疲れ様でした 小学生の時コイツのチャランがとにかく不快だったわ
何故だかわからんがテレビぶっ壊してやろうかと思うくらい不快だった >>97
あの猪木のマネし始めたあたりから嫌になった テレビで闘病生活送ってるのたまたま目にしたりしたけど上手く喋れなくてそれでもにこにこしてる姿が辛かった
子供の頃おばあちゃんと一緒に見てた元気なオレンジの思い出しか無かったし
歌丸は闘病してても表に立つ時は痛みとか素振りを見せないのは凄かったな、喋れないわけじゃなかったのもあると思うけど
噺家が健気にニコニコしながらもどうしても喋れない姿は直視出来なかった ついにか…あの人思い出すと笑顔しか浮かばないんだよな
ご冥福をお祈りします まだ77歳なのかという印象
60代ぐらいで出れなくなったのか 木久扇「私は5人見送ったからね」
たい平「6人でしょ!」 先代の円楽司会時代に座布団全部取られた上に更に帯を取られて最後はオレンジの着物を脱がされて終わった回があった 病歴を考えると長生きの部類
2004年 声帯を患う
2005年 多発性硬化症 脳梗塞
2013年 糖尿病悪化 左足壊死切断
2019年 小脳梗塞
2020年 誤嚥性肺炎で死去 昨日久しぶりに笑点見たが、三平の挨拶が本当に酷かった
身内の本の宣伝だけで笑いの要素が何もなし
あの場所に座るものとしてあんなの許されんだろ たい平のあなたの弟子だから座布団温めてるは泣けた
お疲れ様でした御冥福をお祈りしております >>805
それはレツゴー三匹
そんなレツゴーも3人とももうこの世からいなくなってしまったが。 志ん朝さんが落語の枕で
こん平の奴はまあー飲む飲む、付き合わされるのは叶わんからなんとか逃げちゃうわけですよ、
たい平君が本当に可哀想でしてねー
みたいに言ってたな
志ん朝さんもかなり飲む方だったらしいが… ついに逝ったか
これで24時間テレビで晒者にされずに済むな
ゆっくり休んで欲しい うちの父も一昨年ほぼ同じ歳で誤嚥性肺炎で亡くなった
人間は皆死ぬんだ
当たり前のことだけど いまの報ステのついになんたらでCMいったのは地味に怒りをおぼえたわ絶対許さん >>473
落語ファンとしては兼好を笑点で消費されてしまうのは勿体ない気もするんだよなぁ >>804
長患いで辛かったろうに
ご冥福祈ります 訃報を観て頭の中に
「チャラーン」「こん平でーす」と明るい声が流れた
でもそれが芸人には一番の追悼じゃないのかな お懐かしゅうございますからの
かばんにはまだ若干の余裕がございますが好きだった
合掌 挨拶の最後にやる「1、2、3ちゃら〜ん」って結構長くやってるイメージがありそうだけど、実は2000年代になってからやり始めたんだとBSの笑点再放送で知った。 こん平は77なのか
じゃぁ、あのヨレヨレだった時期はまだ60代なのか >>787
単純に出演者が全員若いって事の影響が大きいんだろうな
今の笑点はさすがに出演者の年齢が高過ぎる 俺が子供の頃に見てたこん平が今の俺より年下だったのとに驚き >>811
こん平の酒の飲み方は若い頃からムチャクチャで有名だったらしいね
志ん朝がマクラで「小圓遊はこぶ平の酒に付き合って死んじゃった。次は私の番。」と言ってたけどシャレにならない結果になってしまったな こんぺいとか轟二郎とか、週末親父と見て笑い転げていたのがいちばん幸せな時間だった、ありがとう、お疲れさまでした。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています