「えっと……やっと約束が守れて良かったと思います」

 11月3日、オートレースの日本選手権を制し、優勝インタビューで声を詰まらせた森且行(46)。

「お互い日本一になろう」

 1996年、突然のSMAP脱退時に仲間と交わした約束から24年後。メンバー全員が揃ってメディアで取り上げられる機会を、森が提供した――。

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 46歳となった森にとって、年間5レースしかないSGレースでの優勝、即ち“日本一”の称号は夢のままで終わろうとしていた。

「40過ぎたら、もうSGは獲れないなと、はっきり思っていました」

 森自身、周囲にそう明かしていたと専門記者が語る。

「森は最高クラスのS級にいますが、その中で実力は下位の選手。今回は先頭の2選手が転倒した結果、3番手だった森の前が開けて必死で逃げ切った。運に恵まれましたが、勝てないときでもバイクの整備と練習の手を抜かないマジメな選手。その姿を見ていた同期の選手は『良かったね』と祝福していました」

木村拓哉からも“異例”のコメント
 この快挙に、元SMAPのメンバーも皆、祝福のコメントを出し、森を媒介に久しぶりにSMAPが“再集結”した。とは言っても、そのやり方は三者三様だ。

「稲垣吾郎(46)、草g剛(46)、香取慎吾(43)の『新しい地図』の3人はそれぞれのSNSで祝福し、連名でもコメントを発表。一方の木村拓哉(47)は、『それぞれの選んだ道で、それぞれが掴むもの。今後も健闘を祈ります』と、醒めたコメントだったため、一部SMAPファンの反発を呼びました。それでもジャニーズ事務所を通して、退所した森へのコメントを出すのは異例中の異例。しかも新しい地図が出した直後だったので、ジャニーズも木村も『冷淡だ』という批判は避けたかったのでしょう」(スポーツ紙記者)

 そして最後にコメントを発表したのが、元リーダーの中居正広(48)だった。

森がかわいがった草gと香取
「コメントを発表する前に唯一、森に直接連絡したのが中居でした。『大穴だったな』などと茶化しつつ祝福したそうです。司会をする『ニュースな会』(テレビ朝日系)では、これまでも森のレースを観に行ったことがあると明かしていました」(同前)

 元SMAPの6人の中で真ん中の世代にあたる森は、性格の良さもあって、メンバーの誰ともうまくやれる“繋ぎ役”だった。ジャニーズ事務所関係者が語る。

「特に年下の草gと香取を弟のようにかわいがっていた。足立区に実家があった森と埼玉の春日部に住む草gは、東武線仲間で帰り道が一緒でよく話していました。香取も森の実家に遊びに行ったことがあります」

 年上の木村は森にとって、遊びを教えてくれる兄貴分だった。かつてジャニーズに在籍した男性が語る。

「木村の運転する車で遊びに出かけたり、元光GENJIの佐藤アツヒロを含めた3人でサーフィンのチームを作ったりと仲が良かった。自分に厳しい森の性格を木村は認めていました」

 ダンスに加え、歌の上手さはメンバーの中でも随一といわれた。

「SMAPのアイドルとしての“スキル”は森くんがリードしていました。SMAPはバラエティ番組『夢がMORI MORI』(フジ系)をきっかけに人気が出始め、直後の『SMAP×SMAP』(同)で人気が爆発しますが、『夢が〜』のMORIは司会の森脇健児、森口博子に加えて、森のことを指しています。『スマスマ』ではメンバーが料理の腕を振るう『BISTRO SMAP』が看板コーナーでしたが、これも森くんが料理ができるということで始まった企画でした」(フジテレビ関係者)

 しかし、「スマスマ」がスタートしてわずか2カ月後に森は突然、SMAPを脱退。事務所に内緒で出願していた養成所の試験に合格し、子供の頃からの夢だったオートレーサーに転身することになったのだ。

森のSMAP脱退会見に付き添った中居
 1996年5月、森のSMAP脱退の会見には中居だけが付き添った。中居はなぜかジャイアンツのユニフォームを着て登場。神妙な顔で立つ森の横で、中居はひたすら喋りまくってレポーターたちを笑わせ、会見に漂う重い空気を必死で振り払うのだった。

全文はソース元で
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd5c745dd32d278e1346fbb9c0aa228f7584336a
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