歌詞を聴きすぎ、文字で追いすぎ。

ヒロトが目覚めたきっかけであるピストルズのジョニー・ロットンは英国では歌詞を高く評価されてる


僕らは音で全部聴いてた。意味なんかどうでも良かった

英語ができないだけ
当の英国圏の若者は、歌詞に多大な影響を受けた


ヒロトが聴いていたピストルズにしろ、英語が第一、第二言語の英語圏の若者にとっては歌詞も大事だった
でも日本はバイリン率が低いので、同じ英語詩を聴いても意味が分からないため、英語を「意味」ではなく「響き」と捉えるしかなかった

結果、「英語っぽい日本語」の響を持ったJPOPが流行った
文体としておかしくても無理に韻を踏んでみたり、省略的な口語体になったりだ

それが嫌だと感じた人は言葉の情報量をミニマルにすることで、自分のスタイルにした(甲本ヒロトは単にこっちなだけ)

日本では俳句や短歌がもともとあり、リズムや語感をが非常に音楽的な文学がある
そうでなくとも高田渡や友部正人のように詩に重きを置く歌うたいも多かった

※結論
好みの問題
甲本ヒロトが言ったからと言ってもそれは単なる一意見

さもなくば、例えば中島みゆきが
「縦の糸はあなた 横の糸は私」
「闘う君の歌を闘わない奴らが笑うだろう」
という歌詞を、あんなに多くの人がカバーしたがらなかっただろう
あれだけスタンダードな曲になった理由は間違いなくそれだけ多くの人に刺さったからだ