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青木さやかさんの好評連載「47歳、おんな、今日のところは「……」として」ーー。青木さんが、47歳の今だからこそ綴れるエッセイ。母との関係についてふれた第1回「大嫌いだった母が遺した、手紙の中身」が話題になりました。第6回は「〈ギャンブル依存症〉として」です。

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◆1万円が100円に見える日も

かつてパチンコのことばかり考えていた時代がある。25年くらい前、実家のある名古屋(本当は名古屋市ではない)にいた頃から。毎日ダルくてバイトに行くにも起きられなかったのに、パチンコを打ちに行く時は違う。新台オープンの為に張り切って早朝に起きた。目覚まし時計より早く起きることができたものだ。

パチンコ友達のおじさんと店で待ち合わせして、前日に台ごとの回転数を控えてあった紙を見ながら話す。
「35番台がいいよ」
「昨日35番台に座ってたおばさん、今日も来てる。取れないかも」
「走って35番台にタバコ置いといてやるよ」
「えー、いいの!」

そして35番台を朝一で取れた日は世界一ついてる! という錯覚に陥った。決してお金があったわけではないが、その時ばかりは「1万円が100円」くらいの感覚になった。

◆そこにいけば現実を忘れられた

東京に出てきてからも、なかなかパチンコがやめられず、借金がかさんでいった。お願いだからパチンコをやめてくれ、と言っていた、当時の彼氏には「もうやめた」と嘘をつき、バイトに行くと行ってはパチンコに通った。

パチンコ屋さんから出てくるところを目撃される度に彼氏と喧嘩になり、「もうやめた、信じて」と懇願し、「いや、信じられない」という彼に抱きつき、なし崩し的にベッドになだれこみ、翌日何事もなかったかのようにパチンコに行った。こんなことを繰り返すうちに、彼は部屋から出て行った。

ひとりぼっちになったけど、私にはパチンコ屋さんがあった。そこにいけば名前も知らないパチンコ友達がいたし、何しろ「仕事ない」「彼氏ない」「お金ない」現実を忘れられた。

もちろん私だって、ギャンブルをやめたかった。芸人としての下積みが長くて借金を背負ったわけではなく、ギャンブルがやめられなくて借金を背負ったのも情けなかったし、負けたときの喪失感と言ったらなかった。

ある日、パチンコを休み図書館に行って、なぜギャンブルがやめられないかを調べたことがある。その本には、リーチがかかると脳内麻薬が出て、その快感が忘れられない、とあった。なるほど確かに、確変中より、これは来るかも! というリーチの方が興奮する。これは一理あるぞ、と思ったが、だからなんなの? となり、その足でパチンコに向かった。

婦人公論 8/24(月) 12:31
https://news.yahoo.co.jp/articles/e0d419e429bb9be5bb3899c3d38552c8b8c772f3