三浦春馬さんは日記に「死にたい」と捜査関係者 堀越学園同級生保護者は「自殺するような子じゃなかった」
7/19(日) 12:48
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「サッカーボールを蹴って走り回っていた」幼少期

 三浦さんは茨城・土浦市で生まれ育ち、4歳の頃から地元の児童劇団「アクターズスタジオつくば校」に通った。「土浦のスターで地元の誇りなんです」と地元の近隣住民が三浦さんの幼少期を振り返る。

「春馬君が小学生の頃、ご自宅の前でサッカーボールを蹴って走り回っていた無邪気な姿は今でも覚えています。でも高校生になると同時に、芸能の仕事をするために春馬君だけ単身で東京に引っ越していました。お母さんは忙しい春馬君の身の回りの世話をするために、ほぼ毎週東京に通っていましたよ。

 春馬君が上京してからはお会いする機会も減ってしまい、最後に見かけたのは7、8年前くらいのお正月です。その時はもうすでにかなり売れっ子の役者さんでしたが、昔と変わることなく、気取ってない感じで『お久しぶりです』としっかり挨拶をしてくれました。こんなにいい子がなんで……。本当に残念でなりません」

堀越学園の担任と交わした約束「なんとか卒業しようね」

 三浦さんは1997年にNHK連続テレビ小説「あぐり」に子役として出演し芸能界デビュー。2007年に公開された映画『恋空』で主演を務め、17歳で「第31回日本アカデミー賞・新人俳優賞」を受賞したことがブレイクポイントになり、その後は急激に活躍の場が広がっていった。

 その時期の三浦さんを支えていたのが、堀越高校で3年間三浦さんの担任を務めた恩師・熊沢敬一郎氏だ。数多くの芸能人を輩出している堀越学園で、山瀬まみ、市川海老蔵、尾上松也、中村七之助ら、数多くの有名芸能人を輩出したクラスを受け持ってきた。

「同僚から聞いて、ただただびっくりしています。真面目で実直でとてもいい子でした。私は彼のクラス担任を3年間通して受け持ちました。入学から卒業までというのは彼の代だけだったので、自分のなかでもとても印象深い生徒です。

 春馬君が1年生のときは、まだそれほど仕事は多くなかったんです。ですが3年生になると仕事が増えてきて、どんどんメジャーになっていきました。でもそのうち忙しくなり過ぎてしまって、出席日数が足りなくなってしまった。春馬君とは『なんとか卒業しようね』と話したことを覚えています。彼も、忙しくても補習をしっかり受けて、卒業のために二人三脚で頑張ったんですよ。クラスのなかでも、一番の売れっ子になってくれていたのに……」

最後に見た明るい姿と「先生、観に来てください!」

 忙しい合間を縫って、三浦さんがクラス会に参加することもあったという。卒業後も熊沢氏と三浦さんとの交流は続いていた。熊沢氏が最後に三浦さんと会ったのは昨年のことだ。

「昨年、春馬君が出演していたミュージカル『キンキーブーツ』を観たいと話したら、『熊沢先生、観に来てください!』って彼がわざわざチケットを用意してくれたんです。公演後に楽屋で会って、『元気かい?』『よかったよ』とか他愛もない話をしましたが、彼はとても明るく元気そうに見えました。ですが、春馬君とはその時が最後になってしまいました。今、春馬君に対しては安らかに……という言葉だけです」

 三浦さんを知る同級生の保護者も驚きと困惑を隠せない様子でこう語った。

「春馬君は爽やかでいい子だと、当時から親御さんの中でも評判がよかったんですよ。もちろん活躍されている方なので、目立っていました。卒業式でメディアのインタビューを受けていたのが、とても印象に残っています。でも、有名だからといって変に気取ることはなく、素敵な方でしたよ。自殺なんてするような子じゃなかった。ニュースを見た今でも信じています」