https://news.j-wave.fm/news/2020/06/post-6054.html
2020年06月05日

さまざまなクリエイターに“情熱”について聞く、J-WAVEで放送中の番組『ROPPONGI PASSION PIT』(ナビゲーター:DEAN FUJIOKA/三原勇希)。5月30日(土)のオンエアでは、小山田圭吾(Cornelius)がリモート出演。ソロ活動を始めた頃と現在との音楽の違いや、海外で印象深かったフェスについて語った。

小山田は1989年、フリッパーズ・ギターのメンバーとしてデビュー。バンド解散後はCorneliusとして活動を開始し、現在まで6枚のオリジナルアルバムをリリース。自身の活動以外にも、国内外で多数のアーティストとのコラボレーションやリミックス、プロデュースなど、幅広く活動している。

DEANは高校時代の1990年代半ば〜後半くらいにCorneliusの音楽を聴いていたそうだ。

DEAN:日本からアメリカに行ったときに、いろんなところで小山田さんの音楽が聴かれているんだなって肌で感じました。
小山田:20年くらい前ですよね。その頃はアメリカで学校に行ってたんですか?
DEAN:はい。そこではまわりにいろんな国の人がいたので、お互いの音楽を聴かせ合うじゃないですか。その話の延長線上で、日本の音楽の話題になると、よく小山田さんの名前があがっていたので、スゲえなと思って、すごく印象的でした。
小山田:1990年代半ばから終わりくらいの頃から海外で活動し始めたので、たぶんその頃ですね。

当時と現在の音楽環境の違いについて、小山田は「今はパソコンで家で音楽が作れるけど、その頃は完全に移行していなかったので、商業スタジオみたいなところでレコーディングすることが多かった」と語る。
中略

海外でも活躍する小山田。1997年にリリースしたアルバム『FANTASMA』は世界21カ国でリリースされ、その後アメリカやヨーロッパでの単独ツアーも開催された。

三原:海外に行こうと思ったきっかけはなんですか?
小山田:ニューヨークのレーベル「Matador Record」の人から『FANTASMA』をリリースしたいと言われたことから始まりました。もともと、海外に行こうという気持ちはあまりなくて、たまたまそのアルバムが海外でリリースされて、そこからツアーの話がきました。
DEAN:当時は今ほどSNSもなかったけど、どういうふうにCorneliusの音楽が海外で広がったんですか?
小山田:その頃はレコード屋がたくさんあって、特にオルタナティブな音楽を扱うレコード屋のネットワークがありました。あとは、雑誌・メディアがまだ強かったので、そういうところが主流だったんじゃないかな。

これまで海外でも多くのフェスに参加してきた小山田は、その中でも特にアイルランドの街・コークで行われたフェスが印象的だったと話す。

小山田:会場は断崖絶壁の崖があるような山奥で行われました。そこで大きな庭園を経営している家族が主催しているフェスなんです。
DEAN:へえ!
小山田:おもしろいフェスで、家族会議で出演者を決めるらしいんです。
三原:ええー、夢のような(笑)。
小山田:5000人くらいのそんなに規模は大きくないフェスで、1日3バンドくらい出演して、それが1カ月くらい続くみたいな感じです。
三原:そんなに続くんですね!
小山田:その家族の中学生の息子さんが、僕たちをフェスに呼んでくれました。
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