ブランコ・シカティック氏追悼大会全成績

◆CHAKURIKI 6 〜Branko Cikatic Memorial〜

3月22日に65歳で亡くなった立ち技系格闘技「K―1グランプリ」初代王者ブランコ・シカティック氏の追悼大会「CHAKURIKI 6 〜Branko Cikatic Memorial〜」が17日、都内で開催された。

大会は、ドージョー・チャクリキ・ジャパンが主催し、新型コロナウイルスの感染拡大で無観客で行われ、同日午後7時から動画サイト「You Tube」で世界生配信された。

試合前に追悼セレモニーが行われ、ドージョー・チャクリキ・ジャパン甘井もとゆき代表らが弔辞を読んだ。
また、アントニオ猪木氏、ドージョーチャクリキのトム・ハーリック会長、
同じジムで後輩だったピーター・アーツらがビデオで追悼メッセージを送り、最後は、天国のシカティック氏へ追悼の10カウントゴングを捧げた。

シカティック氏は、1954年10月3日、クロアチアのスプリトで生まれた。
1993年4月30日に代々木第一体育館で行われたK―1グランプリに参戦し決勝戦でアーネスト・ホーストをKOで破り初代K―1王者となった。

強烈な右ストレートは「伝説の拳」と評される破壊力を誇り、94年12月に一度引退するが、97年3月のムサシ戦で現役復帰。K―1では11戦し6勝(6KO)5敗の戦績を残した。
97年10月11日には東京ドームで行われた総合格闘技イベント「PRIDE.1」に参戦するなど総合格闘技のリングでも活躍した。

引退後は、クロアチアにジムを開設。
さらに要人を警護する警備会社を経営しているほか、格闘技イベントを開催していたが、2018年に肺塞栓症および敗血症のために入院。
クロアチアの有志たちによって入院費を援助する募金活動が行われていたが、その後、パーキンソン病を発症していたという。
ドージョーチャクリキジャパンの関係者によると、最期はクロアチアのソリンの自宅で家族にみとられて65年間の生涯を閉じた。

大会には、K―1で活躍した天田ヒロミ(47)が出場した。
2004年のK―1ジャパングランプリで優勝した天田だが、
デビューが99年でシカティック氏とは対戦も直接的なつながりはないが、偉大なK―1の先駆者を「右の一撃で倒す石の拳はすごかった」としのんだ。
その上で今大会に参戦することに「無観客ですが、コロナの中でも開催される追悼大会に出場できるのは光栄です」と感謝した。

現在、青森市内でキックボクシングの指導、飲食店経営、人材派遣業と3つの仕事を行っているが、今回のコロナウイルスの感染拡大で「3つ仕事をやっていたんですけど、
体育館が使えなくなって週2〜3回、教えていた指導はダメになって、人材派遣の仕事も人が東京へ行けなくなって撤退になちゃって、飲食もお客さんが来なくてダメで3つともダメになりました」と明かした。

さらに「本当は6月から青森でジムをやろうと思っていたんですが、それもダメになって、覚悟決めて実家に戻ってジムをやろうと思ってます」
と実家のある群馬県高崎市へUターンしキックボクシングのジム開設を目指すことを明かした。「ジムをやろうと思っていたんでお金もそこそこためていたんですけど、今回の件でお金もなくなって、ゼロからのスタートです」と天田。
それでも自らの人生を「毎回ゼロからなんで」と振り返り、故郷でのスタートに「すげぇ楽しみです」と前を向いていた。

天田にとって新たな出発となった追悼大会で元プロボクサーの西島洋介(47)と対戦した。試合は2回戦制で1回がボクシングルール、2回がキックルールのミックスルールマッチ。
2回に右ハイキックでダウンを奪った天田だったが、その後は決め手に欠き引き分けに終わった。「これからもオファーがあればリングに上がります」と現役として闘い続けることを誓っていた。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200518-05180025-sph-fight
5/18(月) 7:30配信

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