〈仕事とセックスは家庭に持ち込まない〉とはタモリの迷言だが、真逆の人生を堂々と演じたのが、1月に亡くなった俳優・宍戸錠である。家族の前で「エースのジョー」として振る舞い、女遊びも妻に憚ることがない。そんな型破りな男の往年を、長女が振り返る。

「父が天国に行って3カ月が過ぎましたが、まだ私は悲しみから立ち直れません。そこにコロナウイルスで亡くなった方のニュースを見たりすると、今年は何という年なんだろうとやるせなくなります」

 そう話すのはエッセイストの紫しえさん(56)である。彼女の父・宍戸錠が86年の生涯に幕を引いたのは1月18日のこと。2日後、父のマンションを訪ねたしえさんの目に飛び込んできたのは、リビングでうつぶせになって倒れている父の姿だった。死因は虚血性心疾患である。

 しえさんにとって宍戸はどんな父親だったのか。

「私が生まれた時から父は俳優でしたから、世間一般でいう“お父さん”ではありませんでした。家にいてもハードボイルド。私は父がいると息が抜けなかったのです」

 覚えているのは中学3年生の時、しえさんが男子校生と渋谷の喫茶店で話し込んでしまい、帰宅が夜7時になってしまった際のできごとだ。

「帰ると父が激怒して“そんな時間まで盛り場にいたらな、マフィアにつかまってドラム缶に詰められ、香港に売り飛ばされるぞ!”と怒鳴るのです。映画のギャングそのままだから迫力満点。普段からそんな感じで、自分まで父親の映画の世界に巻き込まれるような毎日でした」
離婚してほしくない

 そして、ギャングには女がつきもの。宍戸は私生活でもそれを実践した。

「抱いた女の数は世界で3番目に多い」と公言し、本人によると、その数1361人。妻の游子(ゆうこ)さん(2010年に逝去)がいるにもかかわらず、平気で自宅に浮気相手を連れ込んだりもした。

 80歳を迎えた6年前には5日連続で違う女性を抱いたと、週刊誌上で自慢していたものだ。

「女性との交際は何千人と父は言いますが、父はきれいに遊べる人だったと思います。外に子供を作ったりすることもありませんでしたから」

 もちろん、妻の游子さんは何度も離婚を考えたという。

「母にとっては大変なことでしたが、私は離婚だけはしてほしくないと言い続けていました。実際二人は、喧嘩をしているようで、私の見えないところでは仲が良く、お互い想い合っていました」

 そんな游子さんがしえさんに託した遺言は、父親を最後まで「宍戸錠」でいさせてほしいというものだった。7年前には住み慣れた自宅が全焼、不幸が重なり、荒れた生活を送った時期もあったが、映画に対する情熱は衰えなかった。卒寿に向け宍戸が練っていた映画のテーマは「90歳の殺し屋」。

「父の最期の姿はまるでスクリーンの中でギャングが倒れているワンシーンにも見えました」

 そう、しえさんは振り返るのだ。

「週刊新潮」2020年5月7・14日号 掲載

https://news.yahoo.co.jp/articles/3d207b3b91084b20bab8757908702395ff3e95e8