5/13(水) 6:10配信

Jリーグ27年からチョイス!『私のベストチーム』第7回:2017年の川崎フロンターレ

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 いつだったか、中村憲剛に聞いたことがある。J1で初優勝した2017年の川崎フロンターレは、自身にとってどんなチームだったかと----。

 中村は予想どおり、「ひと言で表現するのは難しい」と返答した。

 その時点で川崎に加入して15年目のシーズンだっただけに、「そうだよね」とうなずいた。ただ、彼は一拍、間を置いたあと、当時を思い出すかのようにこう続けた。

「今までで一番、強かったかもしれないですね。足りないところを埋めて、勝負強さを出せたチームだった」

 3年前のことだけに、振り返るにはまだ、それほど月日は経っていないのかもしれない。それでも2017年12月2日、等々力陸上競技場で見届けた光景は、今も記憶に強く焼きついている。

 思い返せば2017年のJ1最終節を前に、首位に立っていたのは鹿島アントラーズだった。

 2位につけていた川崎との勝ち点差は2。鹿島は勝利すれば優勝が決まる状況だった。一方の川崎は、優勝するには勝利が絶対条件なうえ、鹿島の結果次第だった。

優勝を取材したいメディアは、鹿島がジュビロ磐田と対戦するヤマハスタジアムと、川崎が大宮アルディージャを迎え撃つ等々力に二分されることになる。

 テレビや新聞などの媒体は、それぞれの会場に人員を配置できるだろうが、フリーランスのライターの身体はひとつしかない。試合は同時刻に行なわれるため、どちらに向かうか決めなければならなかった。

 正直に言えば、筆者も迷いに迷ったし、悩むに悩んだ。しかし、それまでの戦いを振り返った時、等々力に引き寄せられるポイントがいくつもあった。

 その年から鬼木達監督が率いるようになった川崎は、「うまいチーム」から「強いチーム」へと変貌を遂げていた。

 前任者である風間八宏監督は超攻撃的なサッカーを展開するチームを作り上げていった。そして、指揮を引き継いだ鬼木監督はそのチームのよさを活かしつつ、守備にも着手。2017年シーズンに臨むにあたって、選手たちにこう説いていたという。

「攻撃できない時は必ずある。その時は守ろう。守れる力があれば、また攻撃することができる」

その姿勢を体現したのが、阿部浩之(現・名古屋グランパス)であろう。前線からハードワークを行ない、相手を追い込んでいく。その年、川崎に加入した阿部は、ガンバ大阪時代も誇っていた運動量を武器に、守備のスイッチの入れ方を示していった。

 そのプレーには、中村や小林悠といった前線の選手たちも大きく影響を受け、谷口彰悟、奈良竜樹(現・鹿島)といったCBだけでなく、チーム全体としての守備意識が格段に上がった。

 2016年に39失点していたチームが、初優勝した2017年はリーグ3位となる32失点と、1試合平均1失点を下回ったのは、まさに守備が強固になった証であろう。それは必然的に、勝負強さにもつながっていったように思う。

 それでいて、攻撃の魅力が半減することもなかった。

 右SBを担ったエウシーニョ(現・清水エスパルス)は、超攻撃的サッカーを体現するかのごとくドリブルで疾走すると、敵陣を切り裂いた。そして左サイドからは、車屋紳太郎が的確な攻撃参加と正確なクロスでチャンスを演出する。

中盤の底では、エドゥアルド・ネットをカバーできるまでに力をつけた大島僚太が存在感を発揮し、攻撃のタクトをふるっていた。その前で中村が水を得た魚のように動き回り、いたるところに顔を出す。最前線ではこの年、23ゴールを決めて得点王とMVPになった小林がエースストライカーとして輝きを放っていた。

 彼らが織り成すコンビネーションは圧巻で、記者席で思わず身を乗り出していたことや、メモを取るのを忘れそうになったことを思い出す。そんな当時の取材ノートを見返すと、少々恥ずかしいが、「川崎、強い!!」と端的に記してある試合があった。

 それが2017年8月13日、優勝争いをする鹿島をホームに迎えたJ1第22節だった。

 この試合、川崎は足に張りのあった小林をベンチに置き、5試合ぶりに家長昭博を先発させる。そして川崎は、立ち上がりから試合を支配すると、鹿島のシュートを前半1本に抑え、圧倒的に攻めまくる。あの鹿島が伝統の4バックを捨て、何か手を打とうと3バックを採用したほどだった。


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200513-00893630-sportiva-socc&;p=1

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