ところが真摯に一次ソースに当たってみると、そういったまとめサイトや引用記事が如何にいい加減で、恣意性に満ちたものであるかはすぐに判明する。
こうしたネット右翼発の「雑な」運動や批判は、「批判の根拠が一次ソースに基づいていない」という対抗言説の登場で逐次つぶされてきた。
勿論、今回の岡村氏発言は、一次ソースに当たってみても生理的不快感を惹起せざるを得ない酷いものであった。だからこそ4月30日になって岡村氏は番組内での謝罪を行った。これは当然のことである。

藤田氏の批判はその方向性としては全く正しいと思うし、私は「深夜ラジオのノリなのだからこの程度は許容しろ」という意見には全く同意できない。
しかしながらその批判は常に一次ソースに当たったものでなければ精度を欠く。断わっておくが私は藤田氏の主張がおかしいと批判しているのではない。

SNS上であっという間に「まとめ」や「引用」が拡散される社会の中にあって、専門家や一般ユーザーに関わらず、
ものを発信するという行為・ものを書くという行為には最低限度の参照行為が必要だ、と言っているに過ぎない。

 誰かを批判する言説を二次ソースやまとめサイトに依拠して乗っかるのではなく、常に一次ソースに当たって、その妥当性を確認してから批判するのは、SNS全盛の時代、最も求められているリテラシーである。
これを欠いた批判は、たとえその批判が方向性として正しくとも、すぐに対抗言説の猛砲火を受けることを覚悟するべきである。

・繰り返されてきたネット右翼による集団私刑/自警団的行為に類似

さらに岡村氏の発言を受けて展開された(5/2日現在でも展開されている)、「女性軽視発言をした岡村隆史氏に対しNHK「チコちゃんに叱られる」の降板及び謝罪を求める署名活動」(前掲)は、
私がこれまで、10年以上見てきたネット右翼による、2「自分とは相いれない価値観を持つ個人や法人に対して、当該者が出演している他のメディアに対して圧力(電話突撃=電凸)をかけるよう、
ネット上でオルグする(組織活動や勧誘を展開する)」という点において全く同じ構造であり、そら寒い。

ネット右翼は彼らが「反日的・左翼的」であり「不道徳である」とみなした個人や法人を、主に電凸やメール投書によって番組やスポンサーから降板させるよう、現在でも何かの話題があるたび、醜悪な圧力運動を展開している。
ある時期(2012年頃)まで、こういったネット右翼による個人への番組降板圧力は取るに足らないもの、として黙殺されてきた。

ところが2010年代中盤以降、ネット右翼から人気を集める保守系言論人が、この圧力の旗振り役となってSNS上で率先して呼びかけを苛烈にすると、実際に放送局やスポンサーに平時を超える批判が届くようになり、
人員不足に窮するメディアの対応能力がパンクして、止む無くその圧力に妥協するという事象が起こった。

私はこういったネット右翼の「自分とは相いれない価値観を持つ個人や法人に対して、当該者が出演している他のメディアに対して圧力」をかけるという彼らの行為を、言論の委縮につながると再三批判してきた。
つまるところそれは、「自分の気に食わない人間は、有形無形の圧力を以て屈服させて良い」という、法的根拠を無視した集団私刑/自警団的行為で、私はこういった勢力を「道徳自警団」と名付けている。