壮絶なイジメにも負けず、和田は歌手として確実にステップアップしていった。そして1973年、彼女のキャリアを決定づける1つの番組が始まった。一時代を築いた伝説的なバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』である。

ここで和田は、ゴッドファーザーをもじった「ゴッドねえちゃん」に扮して、子分役のタレントを鍛えるためにさまざまな企画を仕掛けていく役割だった。ハリセン片手にせんだみつおら共演者を追いかけ回し、高圧的に振る舞うのだが、時に反撃されてひどい目に遭う、というアドリブ要素の多いコントだった。

この番組は、のちにバラエティでは当たり前になったドッキリ企画やリアクション芸の元祖とも言えるものだった。リアクション芸には、リアクション芸人と権力者の存在が欠かせない。萩本欽一、ビートたけし、ダウンタウンなどがのちに権力者側としてこの手の企画を多数手がけるようになったが、そのルーツはこの番組の和田アキ子にあると言っても過言ではない。

『うわさのチャンネル』は視聴率30%を超えるオバケ番組となったが、この番組で「和田アキ子=乱暴者」というイメージがすっかり定着してしまった。さらに、和田と親しい芸人たちが彼女の恐ろしさについてあることないことしゃべりまくったために、噂に尾ひれが付いて広まっていき、和田はますます恐れられるようになった。

芸人たちが和田のことをさんざんネタにするのは、彼女が文字通り笑って許してくれる器の大きい人物だからだ。父に厳しく育てられ、若い頃にイジメにも遭った和田は、後輩やスタッフにはとても優しい。

また、好奇心が旺盛で、何でも一度はやってみる、というのがモットー。「ガングロ」がブームになったときには、わざわざ渋谷に出向いて生でヤマンバギャルを見たこともあった。最近では『ポケモンGO』をやってみてハマったり、ツイッターにも手を出したりしている。若者文化も頭ごなしに否定したりはしない懐の深さがある。

和田が大きいのはその図体だけではない。人としての器が桁違いに大きい。バラエティの世界で権力者のキャラクターを演じ続けてきた彼女が、本物の権力者として批判を浴びている現状は何とも皮肉である。