野球界から暴力が消えないワケ…「監督崇拝」という危うさ
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200423-00072040-gendaibiz-base

4/23(木) 16:01配信

 「野球」と聞くと暴力的な指導を連想する人も少なくないだろう。
なぜそうした指導がまかり通ってしまうのか。
『野球と暴力 殴らないで強豪校になるために』(イースト・プレス)を上梓した
スポーツライターの元永知宏氏が、野球好きとしても知られる宗教学者の島田裕巳氏に話を聞いた。

■どうして暴力がなくならないのか

 野球というスポーツのまわりには、いまだに暴力の影がある。監督やコーチによる暴力や暴言、
厳しすぎる上下関係……。もし、このふたつが勝利をつかむために必要なのだとしても、
リスクのほうが多いことは誰にだってわかるだろう。
選手への暴力や暴言が発覚して、指導者が謹慎処分を受けたり、その職を解かれたりする可能性があるからだ。
部員の非行やいじめによって、チームが活動停止処分を受けるところも少なくない。

百歩譲って、暴力を効果的に使うことが勝利への近道だったとしても、あまりにも分も悪い勝負だと私は思う。
それでも、監督やコーチが暴力を懐に忍ばせて指導を続けるのはなぜなのだろうか。
野球の指導者がいまだに暴力的な指導から抜け出せないのは、個人の資質だけのせいではないのかもしれない。
野球というスポーツの特殊性を考えなければ、いまだに暴力が残ることの説明がつかない。

野球好きでもある宗教学者・島田裕巳に、野球と暴力との関係について聞いた。

 「宗教界にも暴力は存在します。曹洞宗では1年間、大きな寺で修行をしないと僧侶の資格が与えられない。
入門を志願しても簡単に受け入れてもらえず、殴られたり蹴られたりするそうです。
修行が始まったら始まったで厳しい生活が待っていて、たとえば食事の作法を間違えると、かなりキツくやられる。
この1年目のしごきに耐えると、今度は迎える側になる。この禅の道場のやり方が、日本の軍隊に伝わったという説もあります」

■監督を崇拝する空気


しかし、こうした方法が、日本の野球界でいまだに根強く残っているのはなぜなのか。
この疑問に対して、必要以上に監督を崇拝する空気が残っているからではないかと島田は言う。

「ほかのスポーツと野球が違うのは、監督の権限の強さです。選手の選別も、起用も、作戦も、
監督が決めて、選手の評価もしますよね。監督=権威者なんです。
だから、監督のために選手がプレイするという状況が生まれるんですよ」

監督が選手と同じユニフォームを着るスポーツは、野球くらいだ。

「ラグビーの場合は、試合中にヘッドコーチはスタンドにいますよね。サッカーもベンチでコートやスーツを着ている。
でも、野球は違います。監督を頂点に置くヒエラルキーのシステムがある限り、
いまの野球界の風潮を変えるのは簡単ではないでしょうね。
既得権益を持っている人は、絶対に奪われたくない。いかなる手段を使っても守ろうとする。
そういうことがどの世界でもある。でも、野球の監督はそんなに偉いんでしょうか?」

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