【サッカー】ジェフ千葉、歴代最強外国籍選手5人。リトバルスキーにオッツェ、オシム時代の実力者たちも
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1993年に開幕したJリーグは、今年で28年目を迎えた。その間、世界的なスター選手や素晴らしい素質を持った外国籍選手たちが活躍している。
今回、フットボールチャンネルでは、ジェフ千葉で活躍した外国籍選手を5人紹介する。
西ドイツのスター
ピエール・リトバルスキー(西ドイツ代表)
生年月日:1960年4月16日
在籍期間:1993年〜94年
通算成績:63試合出場/10得点
ブンデスリーガで406試合に出場したリトバルスキーは、ケルンの象徴的存在だった。西ドイツ代表でも73試合に出場し、1990年のイタリアワールドカップ優勝に貢献。Jリーグが開幕する1993年にジェフユナイテッド市原にやってきた。
細かいタッチで相手を抜き去るドリブルと、キックの精度は健在だった。93年の第2節ではヴェルディ川崎戦で直接FKを決め、満員の国立競技場でチームの勝利に貢献。左コーナーキックから直接ゴールを決めたプレーは、Jリーグ史に残る得点の1つになるだろう。
94年限りで現役を引退したが、96年にブランメル仙台(現ベガルタ仙台。当時は2部相当のJFL)に選手兼コーチとして加入し、2年間プレーした。現役引退後は指導者の道に進み、横浜FCやアビスパ福岡などで監督を務めている。
●1993年の基本先発メンバー
▽GK
加藤好男
▽DF
影山雅永
阪倉裕二
宮澤ミッシェル
▽MF
吉田暢
越後和男
中西永輔
江尻篤彦
リトバルスキー
▽FW
パベル
新村泰彦
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200421-00010002-footballc-000-1-view.jpg
https://img.footballchannel.jp/wordpress/assets/2020/04/0421JEF1993-560x373.jpg
https://jefunited.co.jp/images/11465545656.jpg
https://www.nikkansports.com/soccer/news/img/sc20160519_ym__pieer123456789-w1300_0.jpg
ジェフ唯一の得点王
オッツェ(西ドイツ代表)
生年月日:1965年3月25日
在籍期間:1993年夏〜94年
通算成績:55試合出場/37得点
ケルンでリトバルスキーのチームメイトだったフランク・オルデネビッツ(オッツェ)は、Jリーグ開幕から2ヶ月遅れでジェフに加入した。ブレーメンでは奥寺康彦ともプレーし、ブンデスリーガ制覇も経験している。
左足から放たれる強烈なシュートを武器に得点を量産した。城彰二と前線でコンビを組んだ2年目は30ゴールをマーク。得点王に輝いたが、このシーズン限りでジェフを退団してドイツへと帰ってしまった。
ハンブルガーでプレーしていたオルデネビッツは96年に、再びリトバルスキーに誘われる形で日本へ戻ってきた。当時JFLだったブランメル仙台で1年間プレーし、20ゴールを挙げている。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200421-00010002-footballc-socc
4/21(火) 7:31配信
https://www.youtube.com/watch?v=OraiYCOkjeM
【ジェフ公式】1993 Jリーグサントリーシリーズ 第2節 vs ヴェルディ川崎
https://www.youtube.com/watch?v=GNECwaZMMkE
93年Jリーグ リトバルスキー 華麗なドリブルゴール
https://www.youtube.com/watch?v=XK_ub11W5_w
1993年開幕戦】サンフレッチェ広島 × ジェフユナイテッド市原 ●1994年の基本先発メンバー
▽GK
下川健一
▽DF
五十嵐和也
眞中幹夫
宮澤ミッシェル
影山雅永
▽MF
後藤義一
越後和男
江尻篤彦
リトバルスキー
▽FW
城彰二
オッツェ
東欧出身の先駆け的存在
ネナド・マスロバル(セルビア・モンテネグロ代表)
生年月日:1967年2月20日
在籍期間:1994年夏〜98年
通算成績:128試合出場/41得点
旧ユーゴスラビア・モンテネグロ出身のマスロバルはレッドスターの主力選手だった。
しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争に追われる形でチームを離れ、1994年夏にジェフへやってきた。
ジェフでは固定背番号制が導入された97年から背番号10を背負っている。左足から放たれるキックはリトバルスキーに負けず劣らずの精度の高さで、司令塔として活躍した。
奇しくものちのエースと同じ「マキ」と呼ばれ、東欧出身の先駆けともいえる存在だった。
4年半で128試合に出場して41得点をマーク。99年はアビスパ福岡でプレーして現役を退いた。
●1995年の基本先発メンバー
▽GK
下川健一
▽DF
鈴木和裕
眞中幹夫
バシリエビッチ
茶野隆行
▽MF
サンドロ
後藤義一
江尻篤彦
マスロバル
https://rr.img.naver.jp/mig?src=http%3A%2F%2Ffootball-uniform.up.n.seesaa.net%2Ffootball-uniform%2Fimage%2FE382B8E382A7E38395E383A6E3838AE382A4E38386E38383E38389E5B882E58E9F-1996-Mizuno-first-kit-yellow-green-yellow.jpg%3Fd%3Da1&twidth=1000&theight=0&qlt=80&res_format=jpg 今までジェフに費やしてきたお金や時間は計り知れないが、流す涙はもはや枯れ果てた まあマスロバル、チェヨンス、ミリノビッチは抑えておきたい 韓国代表のエース
崔龍洙(チェ・ヨンス/韓国代表)
生年月日:1973年9月10日
在籍期間:2001年〜03年
通算成績:73試合出場/54得点
現役の韓国代表だった崔龍洙は、2001年にジェフに加入した。1年目に21得点を挙げ、下位が定位置だったチームの3位躍進に貢献。ジェフでは背番号10をつけてストライカーとして活躍し、3年間で54得点を挙げている。
04年に京都パープルサンガ、05年にジュビロ磐田でプレーした崔は、Jリーグ通算121試合75ゴールを記録している。韓国代表でもエースとして活躍し、69試合27得点という輝かしい実績を残した。
現役引退後はFCソウルを率いて1年目からKリーグ制覇を達成。2013年にはAFCチャンピオンズリーグでも準優勝に輝き、アジア最優秀監督にも選出されている。
●2001年の基本先発メンバー
▽GK
櫛野亮
▽DF
中西永輔
ミリノビッチ
茶野隆行
▽MF
坂本將貴
武藤真一
阿部勇樹
村井慎二
ムイチン
▽FW
大柴克友
崔龍洙
https://www.soccer-king.jp/wp-content/uploads/2017/10/171007_choi_02.jpg
https://www.soccer-king.jp/wp-content/uploads/2017/10/d83a2b7d7093e1177ec777b4925c5759.jpg
https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/09/c12b95c39fdf6ef3fcec173523a84863.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=rAHRbko-AzE
(磐田 vs 市原)Jクロニクルベスト:ベストマッチ 昨年は17位やぞ!
門番どころか門にも辿り着けてないわ! 初タイトルの立役者
イリアン・ストヤノフ(ブルガリア代表)
生年月日:1977年1月20日
在籍期間:2005年〜07年夏
通算成績:65試合出場/7得点
ブルガリアリーグでプレーしていたストヤノフは、2005年にジェフに加入した。イビチャ・オシム監督の下でプレーし、ナビスコカップ連覇に貢献。
主にリベロのポジションでプレーし、機を見たオーバーラップでチャンスを作った。精度の高いパスを最終ラインから供給し、FKのキッカーも任されている。
ジェフの中心選手として活躍したストヤノフだったが、07年6月にアマル・オシム監督を批判する発言がメディアに報じられた。
指揮官との溝を埋めることができなかったストヤノフは謝罪を拒否し、クラブは事実上の放出を決断。
退団後はサンフレッチェ広島やファジアーノ岡山でプレーし、11年限りで現役を引退した。
●2005年の基本先発メンバー
▽GK
立石智紀
▽DF
結城耕造
ストヤノフ
斎藤大輔
▽MF
山岸智
阿部勇樹
佐藤勇人
坂本將貴
羽生直剛
▽FW
ハース
巻誠一郎
https://images.daznservices.com/di/library/Goal_Japan/d0/a9/ilian-stoyanov_7g78w1uarodi1q8iar566emi4.jpg
https://auctions.c.yimg.jp/images.auctions.yahoo.co.jp/image/dr000/auc0211/users/3/3/6/6/nc31ts-img420x600-1480304122h265l24863.jpg ストヤノフはほんといいやつだった
選手としてももちろん
アマルオシムのせいでクラブ追い出されて広島に言っちまった
将来はジェフで監督やりたいとまで言ってたのに… >>12
ハースはいいプレイヤーだったな
凄く点を取るわけじゃないけどチャンスメークとか上手かった オーロイのけががなかったら今はFC東京と同じ位置にいたんや。
久保さんもジェフの選手のはず。 リティはドイツに戻れないんだっけか
元嫁が本国の協会の偉いさんの娘で
j来て日本人とデキて離婚 今やJ2の番犬というポジションすら危うい金ドブクラブ リッティだったのがリティになった。
カレッカもカレカになったが オーロイをフクアリではじめて観たときはわかりやすいデカFWで初心者が見ても楽しめた
ファウル取ってもらえず怪我が多くなったのは残念 リティは監督としてもいい監督だったよ他サポにとっては 北米からポリネシア、北欧からアフリカまで幅広い国籍が持ち味の補強 リトバルスキーはドリブルだけの選手かと
イメージしてたが、トータルに巧い選手だったな 元祖ポリバレントの中西永輔あんまり載ってないな
FWやらせても凄かったのに ジェフの番犬ではなく負け犬に成り下がっている
イメージキャラクター変更したら オシムさんの頃の自陣からの6タッチゴールがスゴかったな リティの壁の下通すFKは子供心に衝撃だったなー
ヴェルディ相手でGKは藤川だったのを覚えてる リティが当時市原にあったジェフに来ると知った時の衝撃。 >>24
引退して数年(横浜FC監督を退いて帰国してすぐ)レバークーゼンのコーチになってる
デュイスブルクでも監督を務めてるし、ヴォルフスブルクでもアシスタントや代理監督をやってる >>36
スコルテンとボスは中盤の底で渋く効いてたな
ボスは一度退団して再入団してる
ドルトムント監督では途中解任されたボスだが、レバークーゼンでブンデス 再挑戦の今季は中断まで2位とバイエルンに食い下がっていた
スコルテンのほうはオランダでユース監督歴任 >>46
退団後シャペコエンセへ加入したばっかりに・・・ >>45
細川知ってるなら丸山桂里奈も知ってるだろ チェヨンスは
何が凄いて特筆するようなら特徴もなければ
でかいわけでもないけど速いわけでもないけど
とにかく点を取るんだ
という気合いというかそんなんだけでサッカーどうにかしてたイメージ リッティはドリブラーのイメージが先行してたけでFKも巧くて吃驚した >>59
日本人は点を決められないって言われてた時期だから
全部俺がやる決めてやるってわかりやすいスタイルが受けていた
今ほど嫌韓どうのではなかったし 阿部勇樹はジェフでも浦和でもベストメンバーに選ばれそうだな そういやジェフっていい外国人多かったよな
なんかもう遠い昔のことみたいだけど >>54
プレーオフ決勝でスタメンから外した関塚のせい
あれで引き分けてたら昇格してケンペスは残留してたから死ぬこたなかった >>8
無能社長、無能GM、無能監督が続いてたからな >>62
来る前はいろいろあったろ
オリンピック代表で日本のベンチに蹴りこんだ奴がJリーグかよみたいな マスロバルが無名外国人のわりにストイコビッチばりの異次元プレイを連発してた記憶
あと初期だとパベルもまあまあ活躍してたよね
パベル&オッツェが点を獲っても勝てないのが初期のジェフ レジェンドイレブン同士で柏とちばぎんカップやったら
どっちが勝つ? この時代の韓国人達好きなんだよね
みんな代表クラスの頑固親父みたいなおっさんばっかだったし
今は韓国人は若いのしかいねーからな >>74
柏 カレカ、ミューレル、ストイチコフ、フランサ、ホンミョンボ
千葉 リティ、オッツェ、マスロバル、ハシェック(広島のイメージが強い)、ハース、ストヤノフ(広島のイメージが強い)、崔龍洙
ネームバリューだと柏の方が上っぽい >>74
全体的な選手の質は柏かなあ
外人も強烈なのが多かった
カレカ、ベンチーニョ、エジウソン、ストイチコフ、黄善洪、フランサ >>60
須藤元気からバックブローOKだったチョンでしょ >>77
まじかよ?と思ってぐぐったけど影山は苗字が同じなだけで関係なくね? 奥寺康彦1952
オッツェ1965
城彰二 1975
こうやって繋がるの面白いな >>74
日本人だとオシムチルドレンでだいぶ稼いで千葉の方が有名選手多そう
逆に柏の日本人選手で有名な人って誰がいたっけ?
柏からフル代表に呼ばれた選手ってめちゃ少なくね? >>78
武田修宏、小倉隆史、佐藤寿人が抜けている。 半年間だけ在籍してゴール量産したのち
アトレチコに買われたラデ・ボグダノビッチが最強外人
最低はマットラム 祖母井氏が抜けてから欧州とのパイプが切れてダメになったね 全盛期知らないからリティは糞監督というイメージしかないわww 94ジェフ
――― オッツェ 城 ―――――
江尻 マスロバル 後藤 ―――
―――(越後、リトバルスキー) ―――
――――― フランタ ―――――――
――――― (越後) ―――――――
木澤 ―――――――――― 五十嵐
(中西)
――― 影山 宮澤ミシェル ―――
―――(宮澤浩) (眞中) ―――――
――――― 下川 ―――――――― すぐ移籍しちゃったけど日本人ぽい東欧選手いたような リティはジパング上陸作戦のチャド・マレーンに似ている >>1
砂漠のマスカレードは、まじめなネット工作員
違う名前や名無しで、嬉しそうに日本人に嫌がらせをしています オッツェがブランメルにいた時は一人で攻撃してた。
中盤に下がって組み立てて、
その後前線に上がってパスを引き出す
orそのままドリブルでシュート決めるという。
リティも歳で動けなくなっている中、
一人で黙々と点を取っていた。 レッドスターとフェイエノールトとアヤックスから来た外人3人並べても下位だった時期あったしな
日本人がダメダメ過ぎた >>6
城とか中西とか阿部とかみんな出てっちゃったしな
ずっとエジリズム1択だったけどそのエジリズムもついにヴェルディに行っちゃった マスロバル、バシリエビッチ、ルーファーは分かるけどボスとかスコルテンとか全然知らんわ
90年代後半って本当暗黒時代だったんだな >>31
J2でもそこそこ観客入るし
赤字にならないと分かったから
選手も他のJ2クラブより年俸高いし
東京近いし、上がれなくても何の問題もないのが分かったから >>75
ユ・サンチョル、ファン・ソンホンとか
あの頃の韓国人選手は強かったな 下手に昇格しちゃったらJ1仕様に補強するのと同時にベテランの居場所がなくなってしまうかも知れんしな
千葉のHP見ても「ああここにいるんだ〜」って感じの懐かしの選手が結構多い 2001年頃、サカ板に「ムイチンのチンチンをムイてもいいですか」というスレを立てたことを思い出した。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています