【野球】野村克也の遺言「克則よ、辛い思いをさせてしまったこと、許してくれるか」
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プレジデントは前号から野村克也さまの新連載「考えて野球せぃ」を始めました。その号の印刷を始めた矢先の2020年2月11日、野村さまはご逝去されました。プレジデント編集部一同、心より野村さまのご冥福をお祈りいたします。
20年1月下旬、東京都内のホテルの一室にて、野村さまと最後にお話をさせていただきました。力強く野球界の未来を語る野村さまのそのお姿がとても印象的でした。
取材後、部屋から出られる際、野村さまは「次の取材からは、(場所は)こんな高い部屋じゃなくて(ホテルの)下のカフェでいいからな」とおっしゃっていました。その日がもう来ないことを編集部も受け止めきれません。このたびの連載開始に向けた取材のほか、これまで編集部が生前の野村さまから聞いていた話をここにまとめます。
■貧乏だった幼少期劣等感の塊だった
小さいころから、劣等感の塊だった。戦争で父親を亡くして。そのことを周りと比べてしまってな。
それに、いじめられもした。
父親がいないということもそうだが、小学校のときに担任の先生にすごく可愛がってもらえて、それを周囲がすごくうらやましがったんだ。
当時、男はみんな戦争へ行ってしまったものだから、先生は女ばかりだった。それはそれはきれいな先生がいたのよ。その人によくしてもらえたんだよな。それでほかの生徒にやきもちばかり妬かれて、よくいじめられた。
■新聞配達の仕事をしてから学校に通っていた
小学校3年生のころかな。おれは新聞配達の仕事をしてから学校に通っていたんだ。
当時は何万と新聞配達をしている小学生がいたな。1区域しか配らないともらえるお金が安いから、おれは2区域配っていた。お金は全部、母親に渡したよ。ほかにも夏休みはアイスキャンディーを売って歩いた。冬休みは子守りをした。おれは子どもを寝かせるの、うまいよ。寝かせておくと子守りは楽じゃない。でも結局お母さんに怒られるの。夜、寝なくて困るのよって。
さて、新聞配達をしてたものだから、いつも学校には始業時間ぎりぎりに行っていた。そうすると、正門の前で4〜5人、不良グループが待っているんだよ。
そいつらにかばんをひっくり返されたり、教科書を投げられたり、くだらないことされてな。不良グループの中にミヤタくんっていう子がいたんだ。彼は、学年は一緒だけど年齢は4つくらい上。ある日、体育の授業で海へ行って、相撲大会をした。そうしたら最後、おれとミヤタくんだけが残ったんだ。最後の決戦になって、おれは負けたのよ。そりゃ負けるわな。年上のミヤタくんは体が違うもんな。
そうしたら、おれを可愛がってくれていた担任の先生が「じゃあミヤタくん、今度は私と相撲をとろう」て言ってね。ミヤタくんは先生に投げられた。そしたらみんなは大笑い。それから、ミヤタくんはおとなしくなって、おれもいじめられなくなった。そういう先生、今はいないだろう。
遊びはメンコとかビー玉ばかりやっていた。何も持たずに行って、いっぱい(メンコやビー玉を)持ち帰るのね。そうすると、おふくろに怒られた。「どうしたの。ほかから盗んだの!? 」ってな。「いや、勝ったんだよ」と弁明したよ。そんな家庭環境だった。
野球を始めたのは中学3年生から。バッティングをしてみるとな、みんなに褒められるの。ポンポン打てたから。友達が「おまえうまいな。隠れてやっていたやろう」と言うから「やっていないよ」と言っても「うそつけ」って信用してもらえない。野球ってこんな簡単なのかよって当時は思ったな。
でも、家が貧乏でユニフォームが買えなかった。悔しかったな。集合写真にはおれだけ、ランニングと短パンで写っているわけ。試合に行くときは後輩にユニフォームを貸してもらっていた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200313-00033313-president-peo
3/13(金) 15:16配信 高校には行きたかったが、実はそれも難しかった。ある晩、夕飯を兄貴、おふくろと3人で食べているとき、おふくろにこう言われたんだ。「おまえは勉強ができん。
中学の義務教育で終わりにしてくれ。兄ちゃんも高校卒業して、あんたも中学卒業して2人で働いて、おかあちゃんを助けてくれなんだら、どうにもならん」って。
そうしたら、兄貴が助けてくれた。
「男の子だから高校ぐらいはやっといてやんないと、こいつが社会に出てから苦労するよ」と。
3つ上の兄貴はすごい勉強できたんや。勉強一筋。あんな勉強好きな人は珍しいと思う。母親にも「勉強ばかりしていたら体を壊す」って心配をされていた。一方でおれには「勉強せぇ、勉強せぇ、遊んでばかりいないで勉強せぇ」と真逆ですわ。
■野球をさせてくれたふたりの大恩人
兄貴は大学に行くつもりだったらしいが「大学行くの諦めて、2人分働くから」とおれを高校に行かせようとした。その一言で高校に行けたんだ。
兄貴と一緒の峰山高校に進学した。地元にも高校はあったんだけど、あまり評判のいい高校じゃなかった。兄貴は「おまえ、野球やりたいんなら、峰山高校の工業科に行け」と言ってな。
「学校入って、そうしたら鐘紡淀川(社会人野球の名門カネボウ)につながっている。先輩がもう何人か行っているから、その道を選べ」って。そこまで見据えていた兄貴には参る。
一回聞いたことがあるんだ。「兄貴、おれの野球の素質、見抜いていたのか」って。そしたら「プロの選手になるとは思っていなかったが、いい素質だとは思っていた」だってよ。
兄貴は高校を卒業して就職したんだけど、おれが高校出たら夜学の大学に行ったのよ。兄貴に「そんなに勉強楽しいの? 」って聞いたことがあるんだけど、兄貴、「楽しいよ」って言うんだよね。おれは思わず「ええー……」と言葉を失ったよ。
そんな兄貴のあとに同じ高校に行くのは大変だった。兄貴は勉強一筋。暇さえありゃ机に向かうんだけど、おれは暇さえありゃ外で遊んでいた。
高校ではずっと兄貴と比較された。「お兄さんはようできたのに」「野村くんも頑張りゃできるんだよ、クスッ」っと。頭くるわ。
さて、晴れて高校には行けたんだが、野球をやるのは大変だった。母親に反対されてな。今度は野球部の部長に助けられた。
部長は実家まできてくれて。「私が父親代わりをします。野村くんには野球の素質があるから、やらせてあげてください。もし3年やってダメなら、私が責任を持って就職のお世話をします」。
そうやって母親を説得してくれた。「そこまで言ってもらえるなら先生にお任せします」って。それで野球ができた。ただ、野球部の部長、野球のヤの字も知らない人だったんだよなぁ……。 ■一升瓶に土をつめて素振りをしていた
でも相変わらず貧乏で、道具は払い下げ。ユニフォームも先輩から譲ってもらった。1日4本くらいの汽車に乗って通学していたから、アルバイトをする時間もないですよ。一升瓶に土をつめて素振りをしていた。
高校を卒業しても野球を続けようとは思っていた。おれは小さいときから巨人ファンだったんだが、一コ上の藤尾茂さんという強肩強打の俊足が巨人に入ってね。藤尾さんに勝てるわけないと思って巨人を諦めた。そのうえで全プロ球団から20代がレギュラーのキャッチャーをやっていないところを探した。それが南海と広島だった。その2球団の新人テストを受けて駄目だったら、社会人野球で、という方針をたてていた。
そんなある日、新聞に南海のテストに関する広告が載っていたんだ。ただ、大阪まで行く汽車賃がなかった。それで野球部の部長に「先生、新聞にこんなの載っているんですよ……」と相談したんだ。そうしたら「行ってこい、行ってこい、おれが汽車賃を出してやるよ」って背中を押してくれた。
汽車賃借りて、テスト受けに行って、それで合格できた。
びっくりしかないんだよ。兄貴といい、野球部の部長といい、こう考えると、俺の野球人生はいつも首の皮一枚でつながっていたんだな。「合格することもあるんだなぁ」なんて思っていたんだが、これには後日談があった。
テストで合格したのは7人。うち2人がピッチャー。キャッチャーは4人。明らかにポジションのバランスがおかしい。
プロになって、あまりにも試合で使ってもらえないものだから、ある日2軍のキャプテンの部屋に行って「われわれの筋ってどうなんでしょうか」って聞いた。そうしたらキャプテンにこう言われたんだ。
「がっかりするなよ。あとは自分で決めろ。テスト生で1軍に上がったやつなんて1人もいないよ。プロはピッチャーがたくさんおるやろ。その絶対数、キャッチャーが必要なんだ。おまえら、ブルペンキャッチャーとして採用されたんだ」
もうショックもショック。よく見たらキャッチャーは4人とも田舎出身。和歌山やら熊本やら……、どうやら、擦れている都会の子と違って、田舎者のほうが純粋で、真面目に頑張ってくれるだろうと。球団にはそんな固定観念と先入観があったようだ。ちなみに2人のピッチャーもバッティングピッチャーとしての採用だったそう。 ■地道な下積み時代ハワイのチャンス
そのときはもう帰ろうと考えたよ。でも、どうせクビになるなら、納得してクビになろうと思い留まった。
だから、とにかく素振りをした。みんなプロになると、契約金をもらえるし、給料も一般の人よりもいいし、そうなると、もう覚えるのは酒と女だ。
夜中、合宿所に残っているのはおれとマネジャーだけ。みんな遊びに行っちゃって。お金というのは駄目だよ。人間を変えちゃう。お金の魔力。
おれは給料安くて、遊ぶ金なんてなかった。背広を買えなくて、2年も学生服を着ていた。それにおれは酒も飲めない。
しかし今思えばそれがよかった。もうバットを振るしかない。静まり返った合宿所の庭で、ひたすらバットに耳を傾け続けたんだ。
いいスイングをすると「ブッ」と短い音がする。「ブウッ」っていう長い弱い音じゃ駄目。それを耳で確認しながら素振りをしていると、あっという間に1時間、2時間もたってしまう。
先輩にはよく冷やかされた。
「バット振って1軍になれるなら、みんな1軍になっているよ。この世界はな、才能だよ。素質だよ。着替えてこい。きれいなねえちゃんがおるぞ」
そんなこと言われたら、グラグラってくるよ。男だもの。でもやっぱり銭がねぇ。バット振るしかないわね。
だから手にマメをつくって、寝るんだ。そうしたらある日、2軍監督が「全員手を出せ」と言ってマメの検査があったんだよ。みんな「なんだこの手は」って怒られている中で、俺の番になったときに「おお野村、いいマメつくってるな。みんな見ろ、これがプロの手だ」って褒めてもらったんだよ。
そう言って褒めてもらったらうれしいじゃん。だから、また素振りをして、マメをつくったんだ。
キャッチャーとしても頑張った。おれは肩が弱かったんだよ。毎日練習後に遠投をしていたけど、「肩が強い」「足が速い」は天性だから、もう強くはならなかった。だからその分、速く投げようと、そんな練習ばかりしていたのだよ。
というか、恥ずかしながら自分はボールの握り方すら知らなかったんだ。いまでいうツーシームの握り方でボールをほうっていたもので、ボールがスライドしたり、シュートしたり。ある日1軍の先輩に「どないにボール握っているんや」って言われて握り方を見せたら「ばかたれ。プロのくせに握り方も知らんのか」って。先輩の言うとおりにフォーシームで投げたら、まっすぐいった。峰山高校には野球を教えてくれる人なんて1人もいなかったからな。 プロ3年目になると、もうそのときにはテスト合格者はおれ以外全員クビになっていた。なぜだろうな。2軍の監督に気に入られていたのかな。こいつはモノになる、と。
そして転機はその年にきた。2年目に1軍が優勝して、そのご褒美で「ハワイでキャンプ」という企画があったんだ。それでブルペンキャッチャーを1人連れていくことになって、おれが選ばれた。
そのころは海外なんて一般社会でもあまり行かなかった。まだプロペラ機しか飛んでいない時代で、ホノルルでもウェーク島に一回降りて、給油してからハワイに入るという時代。もうみんなうれしくてしょうがないわけだ。
ハワイでの練習が終わって、いよいよオープン戦となった。その日、レギュラーの松井淳さんが「肩が痛い」と休んだので当然、2番手の小辻英雄さんがオーダーに入ると思っていた。そしたらこの2番手、男前でね、ハワイで遊びほうけちゃって。それを監督が知ってな。
「おまえは分をわきまえないで、遊びほうけやがって、日本帰ったらクビだ」と怒られていた。そしてヤケクソ気味に「もういい、野村、おまえ行け」と仰せつかった。
■王、長嶋、サッチー、そして息子・克則へ
そしたら、相手のハワイのチームがただの地元の寄せ集めでね。レベルが低かったもので大活躍できたんだ。それで日本に帰ってな、監督が記者会見で「ハワイキャンプは大失敗だった。ただ、ひとつ収穫があった。野村に使えるめどがついた」と発言したんだ。これはうれしかったね。
でも日本に帰ってきて、オープン戦で使ってもらえたんだが、なかなか打てないんだよ。日本とハワイじゃレベルが違うから。二十何打席ノーヒット。でも二十何打席目でやっと初ヒット。ヒット1本出るとほっとするんだわ。そうすると1シーズン、リラックスできた。監督はほんま懲りずによう使ってくれた。何を見込んで使っていたのかは定かではないが。
それで4年目でレギュラーをとった。でもそれでお金が入って、気が緩んでしまった。5年目、6年目は駄目だったよ。やっぱりお金は人を変えるね。
そこから苦労して、苦労して、10年目で52本の本塁打を打って新記録を作っちゃった。あぁ、これであと10年ぐらいは持つなと思ったんだが。それなのに次の年、王に簡単に抜かれちゃった。このやろう、おれの価値を下げやがって。王さえいなければ、全部おれが一番だったのに。
でも面白い記録がある。意外に王が悪い記録だ。オールスター戦でおれがキャッチャーとして王と戦った数十打席、1度も王にヒットを打たせなかった。オールスターしか仕返しする場がないので、「王はこう抑えるんだ」って気概でやったが誰も評価してくれない。
長嶋は、あれはもう天才。おれも攻略法を見つけられず。それ以外言うことなし。彼のことは、別にライバルとは思っていなかったよ ■おれから野球をとったら何もない
振り返れば、おれ引く野球はゼロ。おれから野球をとったら何もない。なぜここまで野球ができたか。それはおふくろを楽にしてやりたいという一心を持ち続けたから。小さな町で5回も引っ越したんだ。家賃が高くなりゃかわって、かわって、よその2階住まいもしたことがあった。
プロ野球で活躍できて、やっと母が楽になったと思ったころに病気だわね。あんな不幸な人生ってないと思うんだよね。短い人生だったんだよ。
そしておれも、3年前に最愛のサッチーを亡くして、寂しくなってしまった。生まれ変わっても、もう1度サッチーと結婚したい。でもな、子どもに野球はさせないかな。
3人子どもがいるけど、3人とも足が遅い。半端じゃなく遅い。運動神経なし。間違いなく男の子は母親に似る。克則、おまえもサッチーに似てしまって、どんそくだな。
克則には本当に辛い思いをさせてしまったと思う。何をやっても父親と比べられてしまって。おれはどうにかして克則を助けたかったけど、どうしたらいいかわからなかった。許してくれるだろうか。
でも、選手として克則は駄目だったかもしれないが、コーチとしてはいい。克則がコーチになるってとき、おれは最初反対したんだよ。おまえには無理だと。母親にそっくりで鈍いし。
でも克則はおれと違って、人柄がいいから。その性格はサッチーから譲り受けたのだろうか……。リーダーシップがとれているように見える。
おれは、克則を突き放したんだ。高校、大学の7年間。克則は寮生活をした。それがよかったのだろうか。学生野球は規則、規則でうるさいから。そういう規則で雁字搦めの世界に入り、人に育ててもらった。人間的に好かれる人物になった。
もし監督経験者として克則にアドバイスするなら、目だ。目だよな。目を養ってほしい。選手のどこを見るかだよ。いいコーチになってくれ。
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野村 克也(のむら・かつや)
野球評論家
1935年、京都府生まれ。54年、プロ野球の南海に入団。70年からは選手兼任監督。その後、選手としてロッテ、西武に移籍し45歳で現役引退。ヤクルト、阪神、楽天で監督を歴任。野球評論家としても活躍。
---------- >>1
>不良グループの中にミヤタくんっていう子がいたんだ。
そいつ朝鮮人だろ…
宮○はまじで多い 最晩年は謝って回ってたような印象
謝るどころか自己中塗れのわがまま放題になるジジババに辟易してるから偉いなぁと思ってしまうわ 「野村克也 100の遺言」
「野村克也 100の遺言プラス50」
これくらいは追悼本として普通に出るだろうから、
カツノリへの遺言など3行程度まとめられるはず 不倫したけど
グレなかったのは立派
相続争いがんばれ いいお父さんだったろうとは思うぞノムさん
死んだ時にあんな2泣いてくれる息子はそういない ノムは晩年に成績以外の部分でも再評価されたな
後は遺産争いみたいのが出てこなければいいが 感動した
サッチー取って南海とゴタゴタしたのは誉められたもんじゃないけど >>20
南海めちゃくちゃにして、サッチーに逆らった選手の人生を終わらせたことへの反省ゼロでやべえなw
こんな親だとカツノリ大変だ… 3人子どもがいるけど、
あれ、2人じゃないの?
カツノリと前妻との子1人じゃなかった? 恵まれてたろ? 今もコーチ出来てるの間違いなく親の得コネ。 マメをほめてもらえたって話
いいエピソードだな
嬉しかっただろうね サッチーの血が入った子供って事で3人かね
ハーフの息子2人いたよね 子供が三人か…
前妻の子供は一人だったよは
カツノリとサッチーの連れ子二人が子供で前妻の子供がいなくなってる 遺産相続も生きてるうちに話し合いしておけばよかったのに
またカツノリにつらい思いをさせることになるぞ >>28
何もしなくても嫁が全部道作ってくれるから男としては楽だったのかもね いかにもジジイが好みそうな記事だな砂漠のマスカレードって結構なジジイだろw
おいジジイマスカレードいい年してヘッドライン壊すんじゃうね―よボケしね>>1 貧乏な生まれだったのかも知れないけど、人に恵まれたいい人生じゃん。 運動神経鈍くてもプロになれるもんなんか
いくらコネと言えども限度があるだろうに 前妻の子を自分の子じゃないみたいにイッテほんとゆるせんわこのジジイ
沙知代ともども地獄へ行け! カツノリ、引退試合でロッテの選手に6盗塁か7盗塁されて
恥かかされていたけど、人望はあるの?
コーチとしては有能なのかな
好かれているのか嫌われているのかいまいち分からんなあ 長いけど読んだ
なんかよかった
サッチーのこと本当に好きだったんだなあ
もっと長生きしてほしかったな こういうところが毒親のムナクソなところ
「すまなかった」
じゃなく
「許せ」
と強制するところ
金持ちでもないし、才能もないけど、こういうところが親そっくりでぞわっとくる 元総理の森はこれ『遺書 東京五輪への覚悟 』
ノムさんと段違いだ >>45
カツノリのことを悪く言う球界関係者はいない。 おもしろくて全部読んでしまった。
人生山あり谷ありの方が豊かなのかなと思ってしまった。
それでも全部がうまくいってほしいけど。 >>50
でもさ、すかれていたら
引退試合であんなことするか? >でも克則はおれと違って、人柄がいいから。その性格はサッチーから譲り受けたのだろうか……
↑ボケでも入ってたのかw 最高に面白かったし為になった
こういうリアルな人生経験を聞きたい 愛される後妻の子
愛されない前妻の子
なんだか可哀相って思うよ > でも面白い記録がある。意外に王が悪い記録だ。オールスター戦でおれがキャッチャーとして王と戦った数十打席、1度も王にヒットを打たせなかった。オールスターしか仕返しする場がないので、「王はこう抑えるんだ」って気概でやったが誰も評価してくれない。
この話を野村はよくするんだが
実は巨人対南海の日本シリーズでは王はシーズン中と変わらず打ってるからな。 親父が後先考えずメディアにむかって言いたい放題
その息子
そりゃ息子の立場としては「やるさんぞ!!」ってなるからな >>57
前妻&子供はもう人生の中で抹殺されてるような雰囲気だよね
サッチーの連れ子にこそ詫びの手紙を書くべきだったんじゃないのかね 前妻の息子はカウントしないで
カツノリ+サチヨの連れ子2人で子供が3人って言ってんのか 辛い思いをしたのは捨てられた前妻との間にできた息子だろ 前妻とは泥沼離婚だったのかね
お金たっぷり渡したのか、それとも請求されたのか知らんけど
未練なかったんだろうね >>1
これを読んだだけで「南海は貧乏だった」ってのが
嘘だって分かるよな
オキニの野村をクビにせざるを得なくなって経営に
やる気を失った川勝傅がケチケチ経営してたのを
「南海=貧乏」と誤解してるだけ カツノリは裏方業を親父から直に学んでいてそして両親から溺愛されて育ってるのでそりゃエリート息子よ
だけどカツノリ君が今後生きていくためには「親父許さんぞ!!」って気概でないと >>24
だから遺産相続で血の雨が降ると言われてる 【画像】善意でヌードを見せてくれたJCの写真が流出した
http://osaka-girl.com/club/ 野村は自分が根暗だから本当は長嶋とか新庄みたいになりたかったの
だからサッチーが好きなの
ああいう他人のことを全く気にしないタイプにどうしようもない憧れがあるの >>36
次男のケニー
長男の暴力団野村は特に沙知代とは揉めてない 野球の才能はなかったが情熱はあったカツノリと
野球の才能はあったが情熱はまるでなかった一茂
分からないものだな。 >>52
バカにはされてると思うよ
大人だからあからさまには言わないだけで >>52
バカにはされてると思うよ
大人だからあからさまには言わないだけで >>45
あれは敵将ボビー・バレンタインのはからい
「捕手の見せ場は盗塁を刺すことだ」という考えのもと、俊足でない選手もバンバン走らせて最後の花道を飾らせる意図だった
結果としてカツノリは醜態を晒しボビーは鬼だの人でなしだの叩かれる、最悪の引退試合となった 全部読んだわ
やっぱりノムさんのこの泥臭さ、人間味は嫌いになれんな >>76
一茂さんも情熱めっちゃあるよ?
あんたはこういう二世の苦労を全くわかってない >>79
ボビー陰険過ぎクソワロタ
ボビーは実績の割に全然尊敬されてないのはこういうところなんじゃね >>29
カツノリがコーチできるのは親の力じゃないよ
選手からの信頼は厚い
ベンチの雰囲気作りが上手い
プロ野球選手になれたのは親の力があったかもしれないけど、今の位置にいれるのはカツノリ自身の実力 カツノリは守備が良かったらもうちょい現役いけたよな
キャッチャーとか打撃より守備重視のポジションだし ノムさん亡くなって、思った以上にショックで自分でも驚いてる 克則は幸せだったろ
辛い思いをしたのは前妻との子供やサッチーの連れ子だろ 江本孟紀が書いてたけど巨人南海OB戦で野村の
周りに南海OBが誰も集まらなかったらしい
南海時代の野村が選手から如何に憎悪されてたか
よく分かるエピソードだわ >>75
暴力団って草
でも野村氏の死体画像うpしたぐらいだから、あんまり父親って感じでは見てないんだろうね
あくまでも野村克也って映ってんだろうな >>85
けどノムさんはこれまで死ぬほど文書残してるやんか…
このオッサンそこまで考えて死んどるで? >>83
まあ鉄板の自虐ネタでも笑いが取れるからなぁ
笑点でいう林家一平みたいなポジションやろ? >>58
王長嶋とか年間数試合しかやってないのに何度も
対戦したかのように誇張するからなこのペテン師 >>52
弄られ上手なのかな
プロ野球ではそんな事ないか >>63
そもそも二軍という概念がない時代
バッティングピッチャーもブルペンキャッチャーも
選手登録(ただし試合では使わない)だから 読み切ってしまった。野村の話は活字のほうがすっと入ってくる。
テレビだとネチネチしすぎて。 >>81
若松勉があまりにやる気のない一茂に
俺にお前の身体があったらもっと打ててた
と泣いて説教したが
当の一茂はまだ打つ気だったのか(若松は当時日本人最多安打記録保持者、現在もイチローに次いで2位)
と罰当たりなことしか思わなかったとか カツノリはフィジカルが弱かったが、野球に対しての考えはしっかりしてるよ
その上人望もあり、ノムさんにはなかった処世術も備わってる >>1
>でも克則はおれと違って、人柄がいいから。その性格はサッチーから譲り受けたのだろうか……。
ん? 全部読んでしまった 野村親子に数年関わったことあるしサッチーも何回も会ってきた んーサッチーは香水の匂いが まとめて欲しいのか?しょうがないな〜。
あなたの人生には必要が無い事が書かれている。 以上。
野村監督は結構同じ事を書いてるが、ある日突然来るからマトメじゃ追いつかないよ。
チャレンジャースピリットを応援したいっていうのは先生からかな?
サッチーは信じてくれたからじゃねーかな?
克也には野村監督の息子としてじゃなく、お前はどう思うんだ?って感じなんだろうな。出会った人も違うし。 >>34
現行の教育制度になるまで義務教育でも留年や落第があったのよ >>88
野村克也の「息子」であることに何の思い入れもない
と思うわ
沙知代の血をより濃く受け継いだのがダンで自殺した
父親の血を受け継いだのがケニーなんだろう カツノリが阪神時代、巨人戦で代打で出たら巨人ベンチがチラッと映って
巨人の後藤他、他の選手が明らかにバカにした表情で手を叩いて受けていたのが
忘れられない。
あと、ロッテからこれも巨人に来た河本がオープン戦でカツノリにホームラン打たれ
試合後「自殺したくなった」とコメントしていた 戦前の学制は凄いな
同級生で4つ上か
飛び級もあれば、小学校から平気で留年させてたんだな >>6
広岡とムッシュと源田が
同じ系統の顔に見える。
名ショートって顔が似るのか? >>106
さすがに戦後の話だよ
まあ戦後いきなり新制になるわけでもないしミヤタくん
の場合は国民学校でダブった可能性も >>6
ハリーは東映の俳優にでもなれたんじゃないかな? >>1
それよりはるかに辛い思いさせた亡き前妻さんと長男に詫びろやジジイ >>1
>当時、男はみんな戦争へ行ってしまったものだから
だから父親の居ない子供なんて珍しくもなかった
と思うんだよなあ
このペテン師は自分だけ父なし子だったみたいに
言うけど 人に歴史あり、野村はプロ野球でトップまで登りつめた勝ち組の成功だ。富と名声を手中に収めた彼の人生。だが、多くの凡人が負け組で名もなく消えていく。だから、勝ち組の自慢話は、負け組にとっては何となく違和感もあり何度も聞きたくないだろうネ。 ダン野村ってさちよと前の旦那との子だと思うが
野村の養子になってるのかな
なってたら克則ともめるな >>118
ダンもケニーも養子だけど、なぜか実母であるサッチーよりもノムさんを慕ってるな
ケニーに至っては検察にサッチーを売ったし >>28
好きになったきっかけは生前本人が母に顔が似てたからとか脚が綺麗で色っぽかったとか色々語ってた
夫婦で顔そっくりだからやっぱりお母さんの面影を見てたのかも ノムさんをここまで惚れさせるサッチーの魅力とは一体なんなのか 六大学でそれなりだった克則はともかく
ダンが広島、ケニーがヤクルトとよくねじ込んだよな。
当時ドラフト外はあったけど年度当たりの新人選手は70〜80人、
都道府県で学年No.1の選手でもプロ入りできるかどうかわからないという世界なのに
サッチーの息子というコネで入団してるんだもんな。
本人たちも辛かったかもしれないけど。 >>82
ボビーは里崎が指導者としては革命的な人だったみたいな事は時々言うけど金に煩くてロッテのフロントに経営してるカフェにも金出せと要求してたり中々面倒な人だったらしいね 記事では子供3人いるってあるが
カツノリと、養子にしたサッチーの2人の連れ子のこと?
前妻との間にも息子が1人いるはずだけど。
ノムさんの長男は、養子縁組したダンになってるのかな。
前妻の息子は除籍なのか。 カツノリの人格はサッチーゆずりじゃなくてサッチーを反面教師にしtw出来上がったものだろww >>123
マリンにあそこまで客が入るようになったのは間違いなく
ボビーのおかげ
金がかかりすぎで辞めてもらったのは当然だけどもう少し
綺麗なお別れがしたかったところだわ >>58
本当それ
ONにボコボコに打たれて鶴岡御大に嘆かれてる ラッパーとかがよくいう貧乏暮らしとかとはレベルが違うよな >でも克則はおれと違って、人柄がいいから。その性格はサッチーから譲り受けたのだろうか……。
えっ!??? >>130
兼任監督として巨人と戦った1973年でも結局
王にとどめを刺されてるしね
放出した富田勝にも恩返しされてるし 三冠王も取った名選手が監督やってたらW不倫でチームをクビになるとか、当時5chあったら祭りだろうなあ >>138
1975年オフの江本孟紀と西岡三四郎放出の時点
での報道ってどのレベルだったんだろうなあ?
南海だからマスゴミにも注目されてなかったか? >>8
確かサッチーとは再婚だよね?
前妻との間には子供はいなかったのかな 私がヤクルト監督に就任した89年秋、ドラフト会議前の片岡宏雄スカウト部長との会話だ。
「いい捕手がいますが、メガネをかけています。視力の面でナイトゲームは不利かも
しれません」
「キャッチャーマスクをかぶるときにメガネは邪魔だしな。だが、今はコンタクトレンズも
普及した」
「打撃は非力です」
「捕手と遊撃手は守備が一番。打撃は二の次でいいから目をつぶろう」
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200313-00010001-php_s-bus_all&p=1 片岡氏の裏話にはまだ続きがある。「それでいざドラフト会場に行くと、
野村克也監督が『メガネをかけたキャッチャーはいらない』と言った。
高卒のキャッチャーを取って、自分が育てたいと思っていた。でも
僕は変える気はなかった。そしたら球団社長が、あんまり監督に逆らうなと、
僕の足を蹴飛ばしたんですよ。僕はイライラして会場を飛び出してやろうか
と思ったが、大人気ないなと思って、まずピッチャーに行った。
古田は絶対に残ってるという確信があったし、実際に来てくれた。
ただね、古田には謝りましたよ。1位でいけなかったから」。
これどっちが本当なんだろw? うちの子もノムさんみたいな子供に育ってほしいが、どうすればこんな素直な子になるんだろ。 >>46
その最愛のサッチーとの子供だから勝則は特に可愛いんだろうね 前妻ガーってレスが多いが離婚原因は前妻の浮気って話してたからな
子供も本当に自分の子か疑ったんじゃないの サッチーも克則も人柄がいいとは思わないけど
身内には盲目だったようだな >>1
大学生なんてレベルじゃない頃に突き放した息子のことも思い出してください すげえ兄貴だな
こういうできた人間が近くにいないと成功して無かったろうな >>156
成功なんかしてないぞw
親がねじこんだだけ >>1
めちゃくちゃいい記事出し読みごたえあるなおい この人もうひとり息子いなかったっけ
前妻との間の
そっちは無視つか、関係悪かったんか >>159
巨人と阪神が同時にオファー出して取り合ったのに
成功してないは無理がある
そもそもあいつ引退してからチーム渡り歩いてずっとコーチやってるんだぞ?
そんな人間何人いるのよ >>76
一茂には野球の才能もなかったような
あったのは肉体能力と星の強さぐらいでは?
まぁ肉体面も父親とは違って筋肉が硬いとか言われてたけど。 ノムさんって功績が伊藤智仁を潰した罪で消えちゃわない?
それくらい歴史的損失だと思うんだけど >>168
面白いよな
問題は何十冊と出版してるけど
同じエピソード使いまわして内容が重複してるから
似たような本が違うタイトルついてるだけのこと >>173
だったら山口高志を潰した上田利治の功績もチャラか
どんな名監督も、一人や二人は才能を潰してるだろう >>8
>リーダーシップがとれている
戦時中は艦隊高射砲隊長⇒幕僚だった、
鶴岡御大が最強だろうな 野村と落合は本を読んだりじっくり話を聞く価値がある。真似しちゃいけないけどw >>83
ってかカツノリの人望も新庄が絶賛するほどだからなぁ >>18
既に週刊誌でカツノリと団との骨肉の遺産争いって記事出てるよ
読んでないから記事はどんな内容か知らんが、沙知代が死んだ後のインタビューかなんかで
沙知代の宝石とかも子供に丸投げしてカツノリの嫁はああいうのは好きじゃないから金に換えるなり好きに処理してるやろみたいな事言ってたが
ノムがハッキリさせないで丸投げしたらカツノリが割食うだけになるだろと思ったわ >>83
長嶋一茂が今の位置にいるのも
親の七光じゃなくてもはや本人の実力だが
こちらはバカにされる一方やな 前妻の間の息子が二人いて、二人とも野球をやってて、片方は一時までプロを目指してたはず 前妻は金持ちのお嬢様だったらしいけど、そういう人よりサッチーのほうが好きだったし、合ってたって事なのかな。 野村さんの学生時代は常にいい人たちと巡り会えてるなあ。特にお兄さんは素晴らしい人だな。 >>189
あれはいい判断やろ
松井への助け舟だと思う
どんなにいいバッターでもヒットよりアウトが多いし
松井は損しかしない >>124
前妻さんのお子さんなだけで
遺産の権利はある
話題に出ないだけ
養子縁組してる二人あわせて四人が相続権あるよ >>28
褒めるとこかね
サッチーもめちゃくちゃ相手褒めるんだよね最期までラブラブだったのは凄いよ >>6
雑誌のやつ、すげえ朝鮮顔がいると思って拡大したら獅子唐だったw 野球ド素人とかやっぱ野球部長なんの為にいるのかよく解らん存在だよな
こんなんいるの野球部だけだろう
やることといったら「監督、ここは川上でいきましょう」って言うだけ >>69
元々鶴岡親分が監督していた時期からカネに渋かっただろ
鶴岡親分が一度辞めた(その後蔭山の休止を経て復帰するが)のも、そもそも金銭面で評価されなかったのが一因なわけで 画像貼られている野球選手は全員、在日だと思います。 もしやプロ野球って、スターを演出するためにあえて運動神経イマイチの奴を
あえて採用してるんじゃね? サッチーのことを性格がいい
克則の性格のいいところはサッチーに似たとかいうところ
意味わからんw >>206
え?
こんなにしてくれた実兄と揉めてたの? 兄は野村が嫁と子供を捨てて幸代と不倫に走ったことで激昂、40年間絶縁
まだご存命でこの前の葬儀に来て京都の母の墓に分骨するため遺骨を持ち帰った ヤクルト監督
⇒ヤクルト入団
ヤクルト監督クビ
⇒ヤクルトクビ
阪神監督
⇒阪神入団
阪神監督クビ
⇒阪神クビ
シダックス監督
⇒シダックス野間口の欲しい巨人入団
シダックス野間口巨人入団⇒巨人クビ
楽天監督
⇒楽天入団
野村のコネだけ
今のコーチも野村の影響力の大きさ
コーチ経験は在籍したチームのみ
阪神では矢野がいるのにスタメンで使ったりえこひいきしてチームを腐らし3年連続最下位
楽天ではエース岩隈と揉め岩隈田中がいたのにAクラス一度だけ
辛い思いをしたのは捨てられた子供 >>67
死ぬ直前にサッチーのせいで絶縁していた兄貴に話しているが、前妻の浮気が発端だそうだ
とっくに亡くなっているので証明のしようがないが >>86
前妻の子は野村さんに恨みはないと言ってるし
サッチーの息子たちは野村に感謝してると言ってるぞ
野村はめちゃくちゃ優しいんだよ
つまり嫁の方が・・・
サッチーの息子たちはサッチーとの関係が悪かった >>137
巨人はV9のスター軍団
南海は「3位レベルのチーム」とかいうのをやりくりで
どうにか優勝させただけ
最初から戦力が大違いよ >>28
サッチーはアゲマンなんだよ
なんか持ってる
日本で初めてボウリングのテレビ決勝で中山律子さんがパーフェクトしたときに
一番前で座ってたのがサッチー >>215
その話嘘くさくない?
沙知代が死んで最近突然言い出したんだよね
前妻にオトコがいたとかさ
でもそれも野球に詳しいヒトが書き込みしていたけど
沙知代問題を南海関係者だか野球関係者に相談してただけだったのを
沙知代が不倫だとノムラを洗脳したとか・・・
とにかく前妻の息子さんに報われてほしい
カツノリが遺産ひとりじめしたら軽蔑するわ >>120
やっぱ顔が違いすぎると通じ合わないんだよな
どこか共通点がある異性を大事にしてしまう
これ多分あるわ >>209
サッチーと不倫の末結婚したから兄が激怒
野村は前妻のあのことは言わなかった
テレビでも匂わせたがカットされてた
兄は生真面目すぎたから気を使って疎遠に
40年もなぁ
でもその後2人で実家のお墓参り行ってた 僕の自慢は、ノムさんを大阪球場の一番良い席ボックス席で見てたことだ >>207
サッチーはなんだかんだ言って
野村を常に励ましていたし、世話もよくやってくれる
絶対味方してくれるしね
外に敵が多かったけどw
母親的なとこに惚れ込んだんだろな >>221
前妻が亡くなるまで言わなかったんだよ
不名誉になるから
さすがに墓場まで持って行くには自分が辛いから
言うようになったかと
サッチーが亡くなったのがきっかけで >>228
それは野村の言い分を一方的に信じればそうだろうけど
沙知代騒動のときの南海関係者や前妻の息子が直接した証言を見たら
とてもそうは思えないね
沙知代に丸め込まれて、前妻の相談相手を不倫だと思わされた可能性の方が
高いんじゃないの?
沙知代が野村以外の他人にしてきたことを見ればほんとにあのオンナは人でなしのクズ
前妻の息子に何をしたか ノムさんは愛がある
それが見えない人の方が多いんだろうけど。 >>143
野村の言ってることが100%間違い
片岡スカウトが古田に上位で指名することを伝えてて
野村監督の要求で即戦力投手を1位指名しなければ
ならなくなった事情は古田自身が証言出来る
(大人だからしないだろうけど) >>150
だから野村克也は許されない
前妻のことを悪く言う人は誰も居なかった >>230
ま、ノムさんが嘘ついてる、としか思えないよね
実の息子に正義は勝つとか言われて捕まったババアの言い分を誰が信じるかよって感じ >>232
野村もいい加減だが片岡も大概自分大げさにアピールしたがる男
「私だけは古田は1位で行きたいといったんですが、
野村監督が1位は投手ほしがったんで野茂1位入札
外れも投手の西村に」ってくだりはな
ドラフト翌週ぐらいの週刊ベースボールにあった12球団スカウトが
自球団のドラフトを回顧という企画のページが今も残ってりゃ
当時のことが全部証明できるんだが そりゃたぬき親父なら尚更回顧で本当の事言う可能性低いかと
揉めてたなら当然
下手すりゃクビになるし >>135
奴らの言う貧困はヒエラルキーの底辺に迎合するためのファッションでしかないからな >>21
そして前妻捨てて、それを高校行かせてくれた>>1の兄に咎められ絶縁されたんだろ?
ノムは罪深い人でもある >>226
サッチーの強い生命力はむしろ実際の母親とは真逆じゃね
そこが良かったのかもしれないけど。母親にやってもらえなかったことを
やってくれたから。逆を求めるのもマザコンの一種だけどね >>236
どっちも「わしが育てた」同士だからそりゃぶつかるわなw 学年が一緒で4つ上のミヤタ君とか普通に言ってるけど義務教育の話だよな?
この時代はそんな事もあったのか? >>87
南海の絶対的カリスマだった鶴岡一人と仲違いしてしまったからな
鶴岡が勇退して後継監督になるはずだった蔭山和夫が鶴岡派の選手やスタッフに悩まされてほぼ自殺同然の死に方して
蔭山を慕っていた野村は選手会長なのに監督に復帰した鶴岡とほとんど口も聞かないような関係になってしまった 試合に勝てば「ワシの采配が良かった」
試合に負ければ「ピッチャーが悪い」
ただそれだけの監督でした。 なんの参考にもならん 野村はサッチーが怖くて前妻に土下座して離婚してくれと言ったらしいね
前妻はその姿が不憫に思って離婚に応じたとかw >>242
中小企業の社長夫人とかサチヨタイプの猛妻多いぞ
こういう女は取引先や社員に自分が言いにくいことでも
ズバズバ代わりに言ってくれるから気の弱い人はやりやすい。
田中真紀子やジャイアント馬場の嫁なんかもこのタイプ >>247
マー君のドキュメンタリーで紀藤が田中の使い方を廻ってコーチ会議で議論になった事とか色々喋っていたけど監督ってそんな単純なものではないんだなーと思いました 前妻との子供は息子が1人だけだったか。生前のノムがサッチーに隠れて会って
詫びを入れたりしてたけど、サッチーのがそれを察知して無理矢理絶縁状態にさせられたり
あまりにも気の毒すぎた。ノムの遺産を相続する権利は当然あるはずだけど、
ダンやケニー(こいつらはサッチーの連れ子でノムの血は流れてない)がどう反応するか >>139
江本は交換相手が成績が落ち気味だったとはいえ、阪神の大エースだった江夏だったから
それなりに騒がれてたのでは。阪神側が江夏を出すのだからそれに釣り合う先発投手を要求してたし >>187
いや、だって>>1の生い立ち読んだら、南海の重役だか役員の令嬢を嫁にあてがう方が悪いわ。
両親揃って全てに恵まれたお嬢さんには理解できなくて当たり前。二人ともキツかったろう。
米兵に肉弾戦であたって渡り歩いてきた海千山千サッチーとの方が何でも話し合えて、助け支えてくれてたのがよく分かる。苦労した人には苦労した人のが合う。そういうことだね。 >>255
そう
人柄のいい悪いじゃなくて
価値観やうまが合う合わないがある
でもサッチーとは個人的に関わりたくない >>6
歯がめっちゃ白いな
大して手入れもしてないだろうに 小3で新聞配達できたの?
いくらなんでも体格よくても3年じゃ入ってたら足がなさすぎるわ 長いけど読みふけってしまったわ
読んでからふと長っ!と思った 老害風で老害じゃない爺さん
それに群がるメディアの連中が老害 >>13
野村が潰したので有名な伊藤智仁に謝ってる動画は見た >>87
なんばホークスの南海記念館では野村の存在は未だに黒歴史だしな
それにヤクルトOB戦での楽しそうな表情と南海戦でも完全なお客さん状態
そりあヤクルトユニフォームで葬ってくれと遺言残すわけだ
https://full-count.jp/2019/07/11/post437249/ >>263
野村側が断ったのに勝手に弔う訳にはいくまいて >>190
損しかないって、打ちゃすげーって話になるけどな >>265
ならんよ
打たれても本職だから仕方ないで済むし
打てなかったら逆に恥ずかしい だからイチローにはメリットしかないし松井にはデメリットしかない >>228
前妻が亡くなるまで言わないのが胡散臭いよ
死人に口無しじゃん
反論されるから亡くなるのを見計らってたとしか思わない
亡くなってから暴露なんて死体蹴りもいいとこだよ >>264
村八分でも葬式だけは別だけど
村八分より厳しい制裁ということ >>228
そんな野村やサッチーにとって好都合の話を
あの夫婦が何十年も黙ってるはずがない。
サッチーなんてプロフィールは捏造と隠ぺいしかないような人間だったんだから
他人に失点があればここぞとばかりに話を盛って言いあげてるだろう。 >>259
今の常識では語れない時代だったんだろうよ >>48
許してくれるだろうかってお伺いしてんのに何で命令形に変換?
お前がムナクソだわ >>202
「100万ドルの内野陣」
「グラウンドには銭が落ちている」 >>218
1973年の巨人とかもう末期的状態だぞ
最下位のカープとたったの6.5ゲーム差しかない
薄氷の優勝
長嶋茂雄は激しく衰え故障して日本シリーズにも
出られず >>228
それで擁護になったと思ってるのがおかしいわ
男なら腹で思ってても墓の中にまで持っていくだろ >>103
太平洋クラブ(クラウンライター)ライオンズって
知ってる?
ああいうのを本当の貧乏って言うんだぜ >>275
身売りの頃の南海電鉄って腐るほど金持ってたからね
>>103
あともう一言
お前に言わせると星野監督になる前の阪神タイガースも
ド貧乏球団なんだな 前妻の野村話は、
恩ありまくりの実兄に批判されて絶縁してる時点で説得力がね
対外内密にしても実兄には当時に打ち明けるだろ直接出向いて実はこうなんですと
それが最近になってからて時点で信憑性が乏しいわ
それに離婚するのに土下座してるんだから非は自分側にあると認めてる形 この記事の話でも、
なぜか野球やってた前妻の息子のことが欠落してて気持ちが悪い
そこまで抹殺する神経が理解できない >>269
サッチーが一切の展示拒否したんだよ逆
それに葬儀は別て、
野村こそ鶴岡や杉浦の葬式にも出なくて関係者から酷評されてる >>67
子供の学費も渡してなかったって昔のワイドショーでやってたよ
息子も証言してた
南海時代のノムの側近の人もサッチーのことはボロクソ言ってたけど前妻さんの浮気なんて一言も言ってなかったよ 前妻は鶴岡の血縁か何かで、ノムからしたら大嫌いな鶴岡一派と見えて、憎悪の対象なんだな >>280
身売り前の南海が貧乏球団だったことを指摘したら
「星野監督になる前の阪神タイガースも ド貧乏球団なんだな 」
という返事するお前の意図が分からん
星野阪神は過剰に金満補強をしてただけで野村より
以前だって高額外人いっぱい連れてきたりFA補強しまくってた
比較的金に裕福な球団 そのことと80年代の南海が
よそよりかなり劣るドケチ球団であったことが同じとか
思うやつは世界に一人もいねえわ >>287
グリーンウェルに3億4千万
ディアーに2億7千万
決して阪神は貧乏ではない。久万がドケチだっただけで 江本がいうには昔から払うべきやつには裏でびっくりするような額を払ってたらしい
阪神は他球団より遥かに恵まれていたと
何年も連続最下位では、選手にその個人成績からは出してやろうにも出せないってところだったのだろうな 日ハムで年に1つ支給だった帽子が阪神に移籍したらキャンプ毎に7つ貰えたと関西ローカルで片岡さんが言ってたよ
阪神はチケットもグッズも売上凄いんだろうな
その代わりにヤジがエグかった模様 >>291
ひどすぎと思ったけれど本当だもんな
なんであんなことをしたんだろ 沙知代がノムさんと初めて会ったときに野球のこと知らないから当然野村のことも知らないで
自宅に電話かけて団に「あたし今野球選手と飲んでるんだけど野村克也って誰?」って訊いたら
団が「パ・リーグで一番凄い選手だよ!本当にママ野村選手と一緒なの!?すげええ!!」って狂喜乱舞していたと聞く
後にまさか自分がその野村選手の遺体を世間に晒すようになるとは当時の団少年は思いもしなかっただろうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています