【テレビ】<“浅ヤン”で活躍した中国料理人・金萬福さん>紆余曲折の末、宇都宮のホテルに勤務!)周富徳さん(故人)と“中華大戦争”..
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
宇都宮ライフを満喫する日々
https://amd.c.yimg.jp/amd/20200103-00010002-encount-000-10-view.jpg
90年代、バラエティ番組「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)で活躍した中国料理人・金萬福さん(65)。周富徳さん(故人)と“中華大戦争”を繰り広げ、体を張ったパフォーマンスを明るく元気いっぱいでこなし、大いに笑わせてくれた。金さんは今、栃木の宇都宮東武ホテルグランデの中国料理「竹園」で総料理長を務めている。金さんに近況を聞いた。
宇都宮に来たのは2007年ね。もう13年になる。早いね〜。宇都宮は繁華街でさえ夜8時にはまっ暗。24時間明るい東京から来て、最初は寂しかった〜。でも、もう慣れた。こっち楽しいよ。友達もたくさんできた。仕事は朝11時から夜9時までだから、その後、お客さんの友達とカラオケ行って、吉幾三の「酒よ」「酔歌」とかテレサ・テンの歌を歌ったりしてますよ。
2年で東京に戻るつもりだった
宇都宮に来たのは、知り合いに声をかけられたから。その前にやってた赤坂の店がなくなって、ちょうどフリーだったからタイミングが良かったね。2年間くらいで東京に戻るつもりだったけど、「竹園」を作って責任があるから戻れなくなったよ。
JR宇都宮駅から歩いて3、4分のワンルームマンションに住んでる。インターネットに「極貧生活」と書かれてる? 前は古い借り上げ社宅だったから(笑)。今は違うね。キレイな部屋。6畳以上ある。給料、ちゃんともらってるよ。東京の中目黒にも部屋を借りたままだし、税金、社会保険払ってるからそんなに残らないけど、今は香港の家族に仕送りもしてないからラクね。東京の部屋? 洋服とか雑誌とか荷物置いてるだけ(笑)。
故・周富徳さんとは来日前から親しかった
30代で香港から日本に来たのはたまたま。本当はアメリカのサンフランシスコに行くつもりだったよ。でも、話が延期になって、周富徳さんに「日本は今、景気いいから来てよ」って誘われて、2年くらいのつもりで来たね。周さんは香港にいたときからの友達。友達から紹介されて、香港で何回も一緒にご飯を食べたりしてたよ。周さんからはずっと「日本に来てよ」って言われてたね。
テレビに出たのも周さんが推薦してくれたから。周さんがいなかったら、ボクの人生、違ったよ。周さんとテリー伊藤さん(「浅草橋ヤング洋品店」演出)、一番の恩人。周さんが6年前に亡くなったとき、ボクはイベントの最中だった。ショックだったね。亡くなる1、2年前に横浜の中華街で一緒に食事行ったのが最後だけど、顔色悪かったよ。糖尿病あったね。寂しいね。周さんに誘われてテレビの仕事してなかったら、2年で香港に戻ってたかもしれない。テレビ出て人生変わった。周さんのおかげね。
つづく
1/3(金) 12:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200103-00010002-encount-ent 「浅草橋ヤング用品店」の過酷ロケは「楽しかった」
“浅ヤン(浅草橋ヤング洋品店)”出始めたとき、新横浜プリンスホテルで総料理長やってたけど、プリンスホテルはアルバイトはダメだから、「もしテレビに出たいなら辞めてください」と言われた。それでホテル辞めた。“浅ヤン”の仕事、ほんと大変だったけど、楽しかったから。死んじゃうんじゃないかと思うほどめちゃめちゃ危ないことやったし、26時間寝ずに撮影もあった。撮影終わった後はいつも、身体ボロボロだったよ(笑)。
一番キツかったのは、クレーンに吊るされて麺を茹でたロケね(笑)。後から思うと、よくやった。まだ30代で体力があったから、何でもやってみたかった。「やってみよう!」って心の中で火が燃えてたね。だって、料理人がバラエティに出られるチャンスってそんなにないから。一生懸命やったよ。ケガはしたことない。テレビに出て、みんなに自分のこと知ってもらえて嬉しかった。収入は1年で5000万円のとき、あったよ。
だまされて借金を背負った時期も
でも、香港とか赤坂で中国料理店を一緒にやった人に何千万円もだまされて、宇都宮に来たときは、借金がまだ少しあったよ。もう全部返したけどね。人生いろいろあるね。しかたない。でも、ボクをだました人は、赤坂の店に来た、ボクへのテレビの仕事の依頼を勝手に断ってたよ。変でしょ。たぶん、嫉妬もあった。お金より、勝手に仕事断られたことが不満だったね。
テレビの仕事、またやりたいね。今、「竹園」の仕事あるからスケジュールなかなか合わない。でも、ときどきやってるよ。友達のおぎやはぎのラジオ番組とかね。この前、江頭2:50のライブにもゲストで出たよ。江頭は“浅ヤン”の時からの悪友(笑)。ギャラは交通費で終わりだけど、それでもやる。友達だから、お金、関係ない。
香港に残してきた家族は…
香港には3年半ぐらい帰ってない。去年の8月、帰ろうと思ったけど、デモがすごいからやめた。香港にはお兄さんたち、奥さん、娘、息子、孫も3人いて、奥さんは10年ぐらい前からずっと「帰ってきて」と言ってる。でも、帰ったらまた仕事、ゼロからだから、日本で仕事したほうがいいね。日本の居酒屋とか洋服も好きで、日本が合ってるし。奥さんと息子は香港では知られた家具会社で働いてるよ。奥さんは会社のトップですよ。
家族とは毎日のようにLINEでやりとりしてる。香港のデモは大丈夫って言ってるから、心配してない。日本長くなって、1人暮らし慣れてるから、寂しくもない。毎日、夜中3時くらいまでテレビとかユーチューブ見てるよ。香港、台湾のニュース、映画、日本のバラエティ、ボクシングとか格闘技も大好きね。自炊? 面倒くさいよ〜、パン買う、カップラーメン食べる、で、じゅうぶんね(笑)。
〇金萬福(きん・まんぷく)1954年4月24日、香港で農家の三男に生まれた。叔父の誘いで14歳の時、料理の世界に入り、23歳で香港の「鳳凰酒楼」料理長に。1988年、単身来日。甲府富士屋ホテル、新横浜プリンスホテル料理長に。1992年、バラエティ番組「浅草橋ヤング洋品店」(テレビ東京)に出演し人気獲得。2007年から宇都宮東武ホテルグランデの中国料理「竹園」総料理長を務める。 そういえば年忘れにっぽんの歌で畠山みどりを見なかったな(´・ω・`) 江頭と親交保ってるって事は金に汚い人じゃないんだな
なんか元気そうでほっとしたわ >1
小泉以前は中国人は中華料理屋でしか働いてなかったんだぜ >>1
>自炊? 面倒くさいよ〜、パン買う、カップラーメン食べる、で、じゅうぶんね(笑)。
そんなもんなんだな
手早く作れる腕あるのに >>2
脱税したり、それを取材に来た記者へ暴行したりで完全にマスコミに嫌われた兄弟 ホテルで総料理長か。良かった。
やっぱ予約しないと食いには行けないよね〜? あれ?よく馬車道の自分の店の前で暇そうにタバコ吸ってなかったっけ?
周富徳の弟と勘違いしてるのかな 包茎は治ったのかな?
あとクレーンロケの麺は
粘土だったんだよね >>1
https://www.tobuhotel.co.jp/utsunomiya/restaurant/chikuen
技の限りを尽くして創り上げる、本場の味を追求した中国料理。
炎の料理人「金 萬福」を総料理長に迎え、技の限りを尽くして創り上げる、正統派の広東料理。
本場でなくては味わえなかった逸品を、ここ竹園にてご堪能いただけます。
ビジネスやご家族の集いに最適なコースメニューやご宴会プランもご用意しております。
https://www.tobuhotel.co.jp/utsunomiya/archives/19509
中国料理「竹園」2020年1月週替わりランチメニュー
週替わりでお楽しみいただける竹園のランチメニュー。本場の味をランチで気軽にご堪能ください。 この前、テレビに出たとき
「テリーさん、怖い人ヨ
口にガソリン入れて火を吹け!」
って命令された
怖いヨ」
って言ってた >>9
周富輝は六平直政が邪魔をするわ。
“三兄弟”のフォーメーションで出たこともあるもうひとりは顔のイメージが収斂しない。 懐かしいなぁ
立川の昭和記念公園で対決やった時食いに行ったなぁ 弟の周富輝さんは馬車道でよく見かけるけど
いつも難しい顔してる
店二件あるけど人の出入りは少ない 香港って今は日本より裕福な国だろ?
ずっと香港にいた方がいい暮らしできたんじゃないか? https://www.sanspo.com/geino/news/20190316/geo19031616520025-n1.html
中華料理人、金萬福氏がテリー伊藤にクレーム ガソリンで「火を吹かされた」
1990年代に人気を博した料理人、金萬福氏(64)が15日放送のTBS系
「爆報!THEフライデー」(金曜後7・0)に出演。最高年収5000万円
超を誇った当時から激変した現在を語った。
金氏は1992年、演出家でタレントのテリー伊藤(69)が手がけた
「浅草橋ヤング洋品店」に炎の料理人として出演。カタコトの日本語と
ハイテンションで大ブレークすると、93年にはテリーとともに中華料理店を
オープン。月商3800万円を荒稼ぎし、ピーク時の年収は5000万円を超
えていたという。
そんな金氏だが、現在は宇都宮市内の中華料理店で総料理長をしながら
6畳一間のアパートで貧乏暮らし。来日以来、31年間ひとり暮らしで、家族
に仕送りを続けているという。
苦しい生活を明かした金氏だが、テリーのことが話題に上るとテンション
が一変。「テリーさん、恐かったよあの人〜」と切りだすと、
「ガソリンを口の中に入れて火を吹かされた」と明かし、
「僕、料理つくるためにきた。おかしいよ〜」とクレームを付けた。 妹が仕事でまんぷく氏に会ったらめちゃめちゃよい人だったと感激していたよ。 宇都宮にはたまに仕事でいくけも夜いくと韓国人多すぎ いやマジで 竹園けっこう高いんだよな
タオ金の時に行けばよかった >>19
好きで料理人になりたかったわけじゃないんからだろうね。 この人たちも憶えてるけど整形して昔の自分にさよならする企画の方がどうなったのか気になる 金さんは面白かったよね プレイボーイがお気に入りブランドでw テレビでチャーハンかなんかを鍋から指でつまんで口に持っていって試食して余りをまた鍋に戻したところが映されて叩かれてたような憶えがある 金さんの中目黒のお店のお料理美味しいと友達が言ってたな
確か中森明菜さんもこの人の杏仁豆腐が好きだったんじゃなかった? たまに行くけど、地方都市の田舎の中華じゃ、さすがにピカ一かも >>19
作る過程そのものよりも片付けや水回りの掃除が面倒なんだろうな
お湯を沸かすだけなら簡単な掃除と手入れで済む あの頃のナイナイも若かったなぁ
まさかこんな大物になろうとは アメリカに渡るか香港に居たら大金持ちになってたのに
落ち目一方の日本にいてかわいそうだな 譚さんはずっと中華料理界のトップ走ってる感じだけど、周さんはただの家庭料理とかあるお店がうちに合う料理作れませんでしたみたいな広告を新聞載せててビックリした。 >>38
主力産業の中小企業工場が、中国企業に競争力で負けて倒産しまくった。GNPで既に隣の深センに抜かれてる。 >>2
誤咽性肺炎だったはず、70overの死因の結構上位。 >>10
とっくに鬼籍に 店も息子が継いで即自己破産。 億持ってますとウソついて殺されちゃった人いたけど
宮路社長はホントに金持って歩いてて
何度も襲われてた >>38
日本の方がライバル少ないだろ
日本ではしょーもない日本料理屋が海外で成功してるのと一緒 >>66
去年かとんねるず石橋の番組のチャーハン特集で
譚彦彬の息子が親父直伝のチャーハンを作って紹介されていた 料理人としての腕は文句ないんだろうし
TV番組に出てたから知名度も非常に高いはずなのに
自分の店を持つわけでもなく雇われ料理人なんだね
経営の世界ってのも難しいもんだな
ま、雇われてるほうが責任も少なくて気が楽かもしれない 90年代に有名になった料理人は病気になったり死んだりトラブル起こしたり落ちぶれてるなか
今でも宇都宮とはいえ現場のホテル料理長やってるのはすごいな この人と加藤一二三は本当はその業界では相当すごい人なのに珍獣扱い 10数年も総料理長任されてるってことは
それだけホテル側から信任受けてる証拠
後はご本人が健康に留意して
長く現役続けられれば御の字でしょう >>66
譚さんブランドの中華鍋は引き出物カタログの常連 朝11時から夜21時までって10時間労働か
料理長でこれなら下積みならもっとキツイ
飲食店がブラックって言われる所以だわ >>66
数年前の記事ですが貼りますね
http://in-shoku.info/foodfighters/vol335.html
第335回 株式会社タン企画 代表取締役 譚彦彬(たん ひこあき)氏
update 12/11/27 あれからずっと宇都宮にいるんだ
コレ、オイスィ!オイスィヨ!
みんなを元気にしてくれる素晴らしい人だからね
中華料理界の江頭2:50だよ! 何年が前にメガネびいきでチャーハン作ってたな
食べてみたいな >>87
やはり本土の共産主義と香港の民主主義で全然民度が変わるんだな
そりゃ香港でデモが起きるはずだよ うわー金萬福懐かしいわ
インド料理のパキーラとか居たよな チャレンジ精神旺盛なんだな
みんなを楽しませてくれるのは単純に凄いと思う 近くの人は萬福さん現役のうちに食べに行って欲しいな
九州だから行けないわ
昔気質の元気のいい中華料理の職人さんだよね
食べる人を元気にしてくれる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています