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3年連続日本一を達成した福岡ソフトバンクの2019年が終わる。栄冠の陰で今年もチームを去った選手たちがいる。ダイエー時代最後のドラフトで指名された7選手の中で最後までチームに在籍した江川智晃外野手(33)は、他球団からのオファーを断った上でソフトバンクのスコアラーに転身。故郷の三重で仲間たちの手で胴上げされて15年のプロ野球選手生活にピリオドを打った。


ダイエー最後のドラ1指名戦士が、今季限りで現役生活に別れを告げた。「何の取りえもない自分に15年間、プロ野球選手としてユニホームを着させていただいた。球団には感謝しかない」。そう言って江川は柔和な笑みを浮かべた。

 球界再編に揺れた2004年11月のドラフト会議で1位指名を受けた。この時点で球団はソフトバンクに売却されることが決まっていた。背番号8での新入団発表は正式に球団が譲渡される前の12月上旬。ダイエーのユニホームに公の場で袖を通したのは、この会見が最初で最後だった。

 「良くも悪くも、縁ですよね。ダイエーという球団が存在していなければ今の自分はないかもしれない。ダイエーのユニホームは今でも三重の実家に飾ってます」

 主軸候補と期待され、高卒2年目の06年5月に早くもスタメンでデビューを飾った。その試合で「憧れの存在」で当時西武のエースだった松坂からプロ初打席初安打を記録。その後も西武の西口、岸、日本ハムのダルビッシュ、広島の黒田ら各球団のエース級を打ち込み、勝負強い打撃で印象的な一打を多く刻んだ。

 13年には自己最多の12本塁打を放ち自慢の長打力を開花させた。しかし、その胸に印象深く残るのは苦い思い出だ。10年8月12日のオリックス戦。久々の1軍昇格で同点の延長12回に代走起用されながら、犠打で進んだ二塁でけん制死。サヨナラ機をつぶした。

 「この世界はたった一つのミスがすべてを奪う。半面、チャンスをものにしたときに得られるものも計り知れない。自分は大した成績を残したわけじゃないけど、それを学べただけでもプロの世界に入れてよかった」

 戦力外通告を受けた数日後、パ・リーグ球団から支配下選手としてオファーを受けたが丁重に断った。今後は球団スコアラーとしてチームを支える。「現役に未練はなかった。それよりも自分を成長させてくれた球団に、少しでも恩返ししたいなと」。今後は黒子となり、陰ながら常勝チームを支える。(石田泰隆)
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◆2004年のドラフト会議

 球界再編でオリックスと合併した近鉄が消滅し、新規参入の楽天が加わって初のドラフトとなった。球団売却が決まっていたダイエーは1位で江川を一本釣り。西武が涌井、日本ハムがダルビッシュ、オリックスが金子を指名するなど投手が豊作だった。ソフトバンク1年目の入団となる指名選手は江川を最後に19年までに全て引退。ダイエー時代の入団選手で来季も現役はソフトバンクの和田と明石、オリックスの山崎勝で計3人となった。
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西日本スポーツ

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12/30(月) 8:02配信