篠塚和典、岡崎郁、吉村禎章、元木大介、緒方耕一&山倉和博、村田真一「90年代Gひと筋の好打者たち」/プロ野球20世紀の男たち
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プロ野球が産声を上げ、当初は“職業野球”と蔑まれながらも、やがて人気スポーツとして不動の地位を獲得した20世紀。躍動した男たちの姿を通して、その軌跡を振り返る。
篠塚和典、岡崎郁、吉村禎章、元木大介、緒方耕一&山倉和博、村田真一「90年代Gひと筋の好打者たち」/プロ野球20世紀の男たち
巨人・篠塚和典
80年代からのベテラン、90年代の新戦力
プロ野球のテレビ中継、いや、実質的には巨人戦のテレビ中継が頂点を極めた1980年代。
それまでも国民的スポーツの座を独占してきたようなプロ野球、そして巨人だったが、90年代に入ると、Jリーグの人気などもあり、ようやく競争にさらされることになった。
巨人ではアンチも含めて注目を集めてきた江川卓や人気者の中畑清は80年代に引退、打のスターで“若大将”と呼ばれた原辰徳もベテランの域に入り始めていた。
92年オフには“ミスター”長嶋茂雄監督が復帰。93年オフにはFA制度がスタートし、中日から落合博満、
ヤクルトから広沢克己、西武から清原和博と、豊富な資金力を背景とした大型補強を繰り返した。
故障にも苦しめられた原は95年オフに現役引退。同様に80年代の主軸で、2度の首位打者に輝いた篠塚利夫(和典)も、原よりも前にラストシーンを迎えている。
もともと故障も多かったが、90年代に入ると持病の腰痛で規定打席に到達できず。
それでも持ち前の巧打と堅守は健在だったが、94年オフ、恩師でもある長嶋監督にとっての初の日本一を見届けての引退だった。
現役生活19年、巨人ひと筋。各チームの主力が巨人のユニフォームに袖を通し、数年で放出されていった巨人の90年代は、逆説的に、生え抜きの好打者たちが印象を残した時代でもあった。
80年代は肋膜炎で出遅れながらも、まずは遊撃手として頭角を現し、89年に三塁、90年には故障に苦しむ篠塚に代わって二塁を守った岡崎郁も、若手時代は“篠塚2世”と言われた左打者。
柔らかいバットさばきで篠塚を彷彿とさせたものだが、実際は巧打者というよりは勝負強きクラッチヒッターだった
一方で、天才的な打撃センスを誇った左打者が吉村禎章だ。88年の守備中に左ヒザじん帯を断裂する重傷を負うも、
手術と懸命なリハビリを経て奇跡の復帰を果たすと、守備にこそ支障は残ったが、左の代打として記憶に残る活躍を続けた。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191219-00000005-baseballo-base
12/19(木) 11:05配信 同じ左打者の駒田徳広がFA移籍、そして落合が加入して迎えた94年。岡崎が三塁へ戻り、二塁手として頭角を現したのが右打者の元木大介だ。
巨人へのこだわりは筋金入りで、1年の浪人を経て91年に入団。卓越した野球センスと攻守の粘り強さから長嶋監督に“クセ者”と呼ばれ、
94年は中日との史上初の最終戦同率決戦“10.8”にも二塁手として先発出場、97年には初めて出場100試合をクリアした。
スイッチヒッターの“青い稲妻”松本匡史も80年代に姿を消したが、代わって90年代に登場したスイッチのスピードスターが緒方耕一。
3年目の89年にプロ初本塁打をランニング本塁打で決めると、翌90年には33盗塁で盗塁王に。
アキレス腱を痛めながらも、93年にも24盗塁で2度目の盗塁王となったが、その後は持病の腰痛が悪化。
それでも94年の西武との日本シリーズ(西武)で満塁本塁打を放って、日本一に大きく貢献している。
巨人・村田真一
新“先発三本柱”を支えた司令塔
一方、司令塔の補強は80年代から始まっていた。
ただ、V9時代にも司令塔の森昌彦には数多くの“刺客”が送り込まれており、ある意味、これも巨人の伝統といえる。87年MVPの山倉和博は90年がラストイヤー。
新たに司令塔となったのは村田真一だった。投手陣も槙原寛己、斎藤雅樹、桑田真澄ら右の新“先発三本柱”に、
左腕の宮本和知らと世代交代も完了。92年は西武から移籍してきた大久保博元が強打で沸かせたが、すぐに正捕手の座を奪い返す。
投手に気持ちよく投げさせる粘り強い我慢のリードが持ち味で、94年には槙原の完全試合を支え、“10.8”では槙原こそ炎上したが、続いた斎藤、桑田のリレーを好リード。
この“三本柱”は、いずれも150勝を超えているが、その勝ち星に最も貢献したのが村田だった。
岡崎は96年、吉村と緒方は98年にユニフォームを脱ぎ、村田は槙原、斎藤とともに21世紀に入った2001年に現役引退。
その01年に2度目の規定打席到達を果たした元木は、その後は代打の切り札として05年までプレーを続けた。もちろん、いずれも巨人ひと筋だ。 篠塚の名前間違ってるだろ
篠塚和典は車庫飛ばしの犯人の名前 90年代巨人軍って外人がいないんだな
クロマティも一応90年代ではあるけど 篠塚と吉村は好打者とかいうレベルじゃないだろw
岡崎や元木と同じに扱うなよ 1994年の緒方は
ペナントで1本もHRを打てなかったのに
よく日シリで杉山から満塁HRが打てたよなw 捕手の打撃は村田とか山倉とか中村武志とか打率低くてもパンチ力あれば十分なんだよな。 セカンドが篠塚から岡崎になったときに巨人ファンやめた。 篠塚とか立浪とか見た目とは正反対の黒い噂があるのは何なんだろうな 朝霞に住んでた時 朝霞市営球場で二軍戦が有って
一軍でエラーしてバッティングが不振の岡崎が
陸上トラックでトレーナーとランニングしてた
二軍落ちと言う奴だな(笑) >>2
嘘ばっか書いてあるな
村田真一は1990年に中尾孝義との正捕手争いを
勝ち抜いたかに思えたが翌1991年は吉原孝介が
台頭
1992年は吉原に加え高田誠との交換で加入した
藤田浩雅もレギュラー争いに加わる
そしてシーズン途中に大久保博元が加入
村田は出場機会を完全に奪われる >>1
>90年には故障に苦しむ篠塚に代わって二塁を守った岡崎郁
何でこんな嘘書くんだろうね?
篠塚利夫欠場の時にセカンドを守ったのは緒方耕一だ
セカンドでレギュラーっぽくなったのは1995年(すぐ剥奪) >>16
脚力 長打力 巧打力 守備力
全て中途半端なのにシレッとレギュラーで、しかもオールスターにも数回出場している
プロ野球史上最も不思議な男 >>30
まあ、この頃のセリーグは実質3か4球団だけがまともに野球やってた時代だからな
6球団が揃って真面目にやる気になったのはつい最近 >>32
1989年にサードに再転向するがすぐに怪我
故障中に岡崎郁にサードのレギュラーを奪われて
日シリを花道に引退 >>29
岡崎は河埜の替わりにショートで使われ始めたってイメージだよな
ただ、岡崎が四番を打ってから、
第○○代四番ってのが軽くなったイメージあるw >>30
それに関してはまだギリギリFAがなかった時代だったのも幸いした
とはいえその頃のサードって他球団でも結構微妙なレギュラーが多かったぞ
金村とか角とか仁村弟とかね >>13
打った後コメント求められとりあえず一服させてくれと言ったというアホや 岡崎は引退後TBSに出まくってたな
見るたびブクブク太ってた >>45
鴻野淳基は岡崎よりも試合に出た年がないからなあ
岡崎とレギュラーを争っていたというイメージはあるけど みんな数字は大したことないけど、当時はレギュラーじゃなくなったらほぼ引退だからな >>47
巨人のヘッドコーチとか2軍監督とかずっとやってたよ
今はスカウト部長だか 山倉から村田真一っていくらなんでも範囲が広過ぎるぞ 槇原は藤田、王、長嶋の下で働いてたけど一番いい監督は藤田だと言ってたな >>24
吉原ってデビュー時は肩はバカ強いし打撃も良いし足も速いしで
こりゃキャッチャーは向こう10年間安泰だなって思ったんだがな・・・
その後の活躍はガルベスから顔面に肘打ち喰らった事ぐらいしか無かったな >>16
ホントそれな
子供だったけど、そう思ってた 岡崎の流し打ちは芸術だぞ
篠塚はゴロで三遊間を破るが岡崎はライナーでレフト前に飛ばす >>56
あとは古田にキレたりw
立浪にもキレてたかな、クロスプレーで >>43
そう
元々ショートで河埜和正、鴻野淳基、勝呂壽統と
レギュラーを争ってた
1989年はファーストにコンバートされたけど中畑清
が故障したのでサードにコンバート
ライトの駒田徳広がファーストに回ることになった 大阪に阪神ファンの居酒屋があって、メニューが「江川の耳焼き」「篠塚の女っ垂らし」だった >>59
出初めから2年目までは強いライナー売ってたけど
それ以降は手首を返したテニスのボレー打ちみたいな >>49
鴻野淳基は途中で外野にコンバートされたからね
強打のショートとして開花しかけたのにね >>56
川上哲治とバッテリーを組んでた伝説の捕手(吉原正喜)
の再来と言われてたね 当時は打てる捕手なんて夢物語だったしなあ
ほぼ全球団8番だったし
田渕の現役時代知らんから古田はびっくりしたよ >>58
山倉和博が1988年に急激に衰えて1986年に巨人に
移籍した有田修三についに出場試合数で負ける
その後は中尾孝義が加入したりとかしばらく競争の
時代に突入 ナマクラと言われて有田修三が資格として加入
した年の山倉和博がまだ31歳ということに驚く
35歳で引退に追い込まれてたんだな 9回にサンチェが出てきたときの絶望感といったら、、、 >>16
勝負強さは感じるけど残す成績はイマイチというか
ただ、ショートの頭を超す時のフォロースルーは美しかった 篠塚和典 vs 伊藤智仁
駒田徳広 vs 加藤哲郎 あと有田のセーフティースクイズでファーストにヘッドスライディング?
あのプレイでプロも生き残るのに必死なんだなって子供ながらに感じたわ >>61
意外性の男のブルースってレコード出してなかった? >>66
狂肩俊足のショート
西武からやってきた鴻野、足速く肩強く長打力もあった
じゃあなぜトレードに出されたかというと
内野手では致命的なイップスだったから
送球難が半端無かった >>84
だったら何なんだよ
野球の話してんだよゴキブリは巣に籠もってろよ 原が全ての汚名を被ったけど、女と不倫してヤクザに脅されたのは3人で
残りの2人がこの中にいるんだよな >>20
篠塚は銚子ではヤンチャで有名だったとの噂だが、
ヤンチャなら練習も真面目にやらないだろう。
それで巨人に入れてあのバッティングだから、
天性のセンスがずば抜けてたんだろうな。 加藤初さん、亡くなられてたんかあ
もっと報道しろよ
俺も歳とるはずや >>94
加藤さんなぁ
定岡が3点取られても勝つけど
加藤さんは3点取られて負けるって印象
江川西本定岡加藤浅野堀内
松本篠塚中畑原クロマティスミス河埜山倉 >>86
河埜和正がイップスで潰れたのに鴻野淳基まで
イップスとはツイてないw 二軍の帝王大森より二軍でホームラン打ってる井上真二 >>1
良き思い出ではあるが、この一連の名前見ると今の方がレベルが高いというのが分かるな…。
少なくとも打者に関しては。 >>99
そもそもほぼほぼ2軍選手だった同じ内野の鈴木康友と1対1トレードだもんなあ
仮にも鴻野はドラ1なのにな >>100
井上はキーオの頭部デッドボールがなければなぁ >>107
三遊間狙ったような流し打ち
フルスイングしない >>106
それ定説なってるけど、呂明賜と同じで
確変終了しただけや 巨人遊撃手最大の送球イップスの鈴木康友
同じく鴻野も送球イップス
河埜は捕球イップス
そして石渡の守備を見たときの安心感はすごかった 昔、俺が「騙されてここに飛んできた訳だが」の騙しリンクで
唯一悔しかったのが【元木氏ねスレに本人の元木大介が降臨!!!!】だったわ >>107
落ちる球に空振りかと思いきや
股間から長いバットが出てきて
華麗にレフト前ヒット >>93
他の下手投げとは一味違う投げ方をしてた角に1票。 アンチだから悔しいけど、岡崎の応援歌は歴代1位だと思う >>74
そのサンチェを潰したカープの技!
だめ押し取られて痛くもないのに急に肩を降ってマウンドを降りたサンチェ
しかも9月で6差あったのに優勝までさらわれた貞治ジャイアント >>122
地味な選手なのにやたらと耳に残ってるわ >>108
強引に引っ張って一塁線抜いて空くか
一二塁間を抜く
高いバウンドのピッチャー返し
右へ左へ篠塚 >>125
後は初球狙い打ちの最短距離ライトポール際へのホームラン
この時だけはスイングの形が全く違う 元木と村田以外は80年代の選手だわな
王や第二次藤田が糞ドラフト連発したから90年代を代表する野手が松井くらいしかいないんだよね >>114
ずいぶんマニアックなw
一軍出場あったのかな? 後藤は高卒入団から30過ぎてもフレッシュな若手扱いで笑った ファースト駒田 セカンド原、遊撃篠塚、サード中畑を王監督時代に見た記憶
超攻撃的布陣とか言ってたけど、守備を犠牲にしすぎ 藤田監督は巨人ファンなら誰もが認める名将だが、第二期時代唯一の失敗が
先発完投絶対主義でクローザー軽視だった。
鹿取を西武に放出したのは大失敗だった >>133
藤田は第1期も左腕を育成しないのがおかしかった やくみつるの漫画では篠塚は常に巨根だったけど何で?ネタになるようなスキャンダルあったん? >>133
それと育成も。
1期目は長嶋遺産と新人だけど完成品の原。
2期目は最高が元木。
斎藤雅樹を再生したけど、すでに二桁経験もあり
元から実績ある選手。 岡崎は今の巨人でいえば亀井のような存在で開幕当初は常に4、5番手だが他が怪我や不調で
いつの間にかシレッとレギュラーになっているが、成績は打率265本塁打12くらいの常に中の下 この時代の選手はどの球団でもほとんど顔と名前が一致するわ 今じゃ2人か3人しかいない 藤田は長嶋、王という2大スター選手の後で誰もやりたがらないような時期に
引き受けてくれるリリーフ監督のイメージ >>137
長嶋は藤田のゴミドラフト連発のせいで
何でも欲しい病になったしな
対西武コンプも酷かったし言うほど名将
とも思えん
まあ嫌いじゃなかったけどさ >>46
ヤニカスだったんかよ
だから衰えるの早かったんだろなあ >>142
台湾だか韓国だかの球界で
折角日本人を獲るならもっと高いレベルの人じゃないと
って言われて不採用
身体は出来てるから後は実力がつけばとメジャーで言われた江夏より酷い >>46
美味そうにタバコをくゆらせながらホームランに関してコメントをしたとか記事になってたな
野球選手でしかも野手なんて持久力はまったく要らんしそんなもんでも構わんだろう >>9
ほんとそれ
ただ巨人にいただけの人と一緒にすな 元巨人は他チーム行けば名球会入り確実な人間がゴロゴロいるのは駒田で証明されてる
駒田は巨人に引きこもってたら王さんの真似事させられてただの悪球打ちがうまいだけの選手で選手生命終わってただろうね。実際には駒田ってシュアなバッティングとアベレージ型で率も残せるのが移籍して結果として明確に表してる
吉村が怪我したのも基本的な内外野の声かけが出来てないとこんなしょぼい凡ミスで選手生命終わらせてんだよ >>132
確かにファースト駒田セカンド原サード中畑はあった
でもショートは岡崎なんだよ
別にショート岡崎はファイヤーフォーメーションじゃない
からね
元々ショートでレギュラーになりかけた選手だから 自分は篠塚元選手の1,2個年上の千葉県習志野生まれで在住の爺さんだけどその活躍はよく憶えてる
でも中学生或いは高校生辺りで野球部の奴らって軟弱な奴らで柔道部とかサッカー部で身体の痛みに耐えきれない連中が駆け込み寺みたいに野球部入りしてたんだぞ
フィジカルの弱い生徒が野球部ってのが相場の時代だったんだよな >>149
岡崎の守備は上手くないが致命的でもない。
そんなレベル。
打撃も期待はできないが意外性はある。
そんなとこ。 >>152
新人だった篠さんの使い込まれた巨根に寮長もたまげたらしいなw >>16
近鉄に逆転勝ちした日本シリーズと、翌年西武にぼろ負けした日本シリーズの両方でめっちゃ打ってたけどな。それだけで俺は好きだった。 >>126
あの狙い撃ち
体倒しこむような感じで目いっぱい引っ張るのがかっこいんだよね 中井、二宮、島貫
このあたりの選手を語らずじて80年代の巨人を語ったことにはならない >>126
伊藤智仁から打ったホームランとかね。
とにかく絵になる打者だった。 当時の巨人のユニフォームダサいよな
あれが良いと思ったことない >>147
吉村の怪我をこんなふうに言う輩は許せんな。
アレは極度に緊張した栄村の暴走だろ。
ふざけんなよ、おまえ、死ね 駒田はバリバリのレギュラーだったが落合が来てレギュラーから落とされるの悟って他チームで活路を見出したんだ。こいつみたいなアホは何を見てたんだ?
巨人憎しで何もかもが歪んでるな。 >>157
西本和美
西尾享
が懐かしい。毎年週べで期待の星として取り上げられてたな
西本は目が出かけたけど
何しろ上は長島→藤田監督で選手層が厚すぎた 高校野球とプロ野球に利権を持った、マスコミ様達によって作られた世界の話だな。
よく騙してこられたよ、ネットや衛星放送がなかった時代とはいえ >>45
川相の前に勝呂もいたよ
大野と槙原の投げ合いの時に決勝ホームラン打った >>8
モスビーブラッドリーバーフィールドとか
1年だけそこそこ打ったのはいる このメンツに篠塚入れるのおかしいだろ
格が違いすぎるわ 逆に巨人に来て潰されてる選手数知れず。井端、屋敷要に川口とOBで止まらないような名選手揃い
2000安打達成者も平成入ってから巨人一筋なら阿部だけ。選手潰してんだよ球団が。使わない選手ってのも根拠なく使わない
長嶋さんの清水嫌いとか有名な話 この面子、山倉以外はみんな高卒
巨人て伝統的に高卒選手とって鍛えるっていう球団だったんだよね
逆指名と希望枠導入でそうじゃなくなったけど 日本シリーズで顕著だけど誰か切り込み隊長的な役割を果たす人間が居ないと
巨人は貧打のまま湿りっぱなしで繋がらないんだよな
89年は目立たないけど白幡が毎回打席に立てば安打で出塁
そこからやっと火が付き始めた
90年は緒方耕一、87年は松本匡史がそんな感じ 巨人の監督特に長島は、1番にまで長打力を求めたりするから、初代松本以外は俊足でかき回すタイプの1番は定着しなかった
グラッデンに1番やらす位だし >>8
なんでや!ガルベスはタイトル取ってるやろ! 緒方と熊工コンビって言われてた井上とかいうのもおったな
半年活躍してオールスターにも出たがすぐ消えたが 勝呂って最初は打ちまくってて凄い選手が出てきたなあと思ってたわ 元木なんて曲者とかいわれていたくらいで大した実績のこしていない >>49
燃えプロ買っちゃったのでショートといえばコウノだった この頃は緒方クラスでもCM出ていたが今は坂本みたいなスターですらハゴロモの1社だけ 元木は大騒動して浪人してまで巨人入りしたけど
それ程の選手でもなかった印象 80年代の話で申し訳ないんだけど山倉の控えの選手って誰だっけ?
左打ちでバッティングは良かった記憶がある 阪神に喰らったあの甲子園伝説のバックスクリーン3連発の時に槇原をリードしていた捕手がしょっぱかった新参だったから打たれたんだよね >>187
有田は違うの?
燃えプロのコンピュータ対戦だと、なぜか代打・有田 >>189
藤田監督から王監督に交代した時期くらいに見てた記憶がある >>178
個人成績などお構い無しのチームプレーが第一の選手だから
かくし球や二塁への併殺崩しなんて相手から恨まれるだけだし年俸にもたいして影響しないから誰もやりたくないが、
元木は勝利の為の自己犠牲で漢のなかの漢。岡崎みたいに淡々とプレーする奴のほうが自己中 山本功児とか淡口は移籍したらレギュラーになって活躍してたもんなあ
昔の巨人は選手層が厚かったんだなあ >>188
山倉が開幕2戦目で怪我して1ヶ月離脱してて、バックスクリーン3連発の時は
控え捕手だった佐野クリストだった。
これが王の逆鱗に触れたのか一軍で見なくなって、オフに実力のある捕手を探して
近鉄にいた有田を淡口とのトレードで獲得した。 >>150
へー、面白い。
噂通り、篠塚さんは銚子にいたころはヤンチャで有名だったんですか? >>170
清水はいいバッターだったのに、
だんだん使われなくなっていった印象。
あれ、長嶋さんの時だったのか >>182
基本的にアホだけど野球脳はよろしくて
ルールの隙や、或いはルール上違反行為だが習慣として定着してるモノを絶妙なタイミングで付けた
だから大豊だかがボックス内で構えを崩した瞬間にPに投げさせてピンチを救ったり
これがまた偶にやるから効果的
近藤昭仁みたい選手だった >>192
ID:KD/8Zmq20氏が指摘してる笹本信二で間違いない
と思う >>197
山本功児は運に恵まれなかった
淡口憲治は元々規定打席に届くかどうかレベルで
レギュラーでしょ
近鉄に移籍した年は活躍したけどさすがに衰えが
始まってて翌年から急劣化
でも移籍したおかげで2年くらい選手生命が伸びた
巨人で引退してたら1000本安打に届かなかった >>198
1985年は鈴木啓示が完全に衰えて有田修三の
出場機会も激減したから近鉄としてもトレードに
異存はなかったんだろう
その梨田昌孝も有田が去った後で出場機会が
半減するんだから皮肉なもんだ >>199
検索してみたけどこの選手だわ
レスしてくれた人達ありがとうございます
移籍してきた選手だったのか
捕手として出場してるイメージはあまりなくて代打でよく出てくるイメージ >>212
ランナーがタイム要求するのが基本になったんじゃね >>170
巨人憎しか何か知らんけど
瞬時にツッコマれるデタラメ書く
キチガイは何? >>203
3点勝ってる試合ででてくる抑え
6回ぐらいから投げることもしばしば >>218
HR8本、40打点のイメージ
ウィキみたら通算打率はジャストだったw 山倉、有田の控え捕手で代打が主の山崎てのが居たような
息子がオリックスの左腕で炎上ばっかする 巨人は、斎藤・槇原・桑田のイメージ
阪神は、バース・掛布・岡田
そして、当時、最強のパワー・ワードは、秋山・清原・デストラーデ www >>222
広島の正田、山崎、高橋慶のスイッチトリオが物凄く嫌だった 岡崎は勝負強いとか言われていたが中途半端な成績で、そう褒めるしかなかったから
当時勝負強いと言われていたのは仁村 長嶋清幸 秦 西田 などがいたが皆中途半端な成績 王監督の下でなかなかリーグ優勝できなかったメンツじゃないか?? 岡崎は引退後まもなく
「巨人軍第58代四番打者」の肩書きでテレビに出てた 岡崎は駒田とあと一人失念したけど
裏のクリーンアップとか第二のクリーンアップって言われてたな
下位に置いといたら投手にはいやらしいバッターだったのでは?
往年の阪神だって岡田から先6番以降は落ちたし
(今の西武はチートだけど) 内海はなんで打てないのか、最多勝をとれるほどなのか、
はたから見てると素人にはわからなかった >>229
駒田は天性のバッティングの才能がある人だけど、
ああ見えて苦労してる人なんだよな
王さんの1本足打法をマスターするように教育されて悩んだり、
ロダンとあだ名されたり、
監督と会わなくて、巨人からFAした唯一の選手だったり、
横浜に行ってもなんとなく巨人臭がしたり、
あのコピペだったり。 >>231
駒田で面白いのは横浜時代
観客がゴミやメガホンをグランドに投げ捨てたのを、雨の中選手が拾いに回って
結果、客とチームが一つになり次年の優勝に繋がる感動のエピソード
アレ全部駒田の演出
グランドキーパーが出て行こうとするのを止めさせて、ゴミ袋を選手に配り、主力選手ほど前に出てゴミ拾え
とベンチの中で指示してた
またお調子者の選手揃いだったから、誰も異議を唱えず駒田の号令で雨の中飛び出して行った 吉村を他の打者と並べたら駄目
才能は別格
栄村がいなければ今の10倍の名声を手にしていた選手 やっぱ誰が見ても鈴木望は天才だったよなぁ
45番の小沢はルックスが好みだった 緒方の若い頃はイケメンだった。
野球界では珍しい位のイケメン。顔だけなら大谷どころじゃなかった。 篠塚、吉村以外は巨人でなくてパリーグの選手だったら
ほとんど知名度なかっただろうな >>232
帰ってきた選手たちを駒田は労う。
「とりあえずお疲れ」 岡崎とのレギュラー争いに勝った河野じゅんきが派手なエラーかましてしまったのが運のつきだったよナ この時代までは「やきう」を見ていたよ。
クロウとかね。(優勝時が、相手の敗戦なので、遠征先のホテルだったのが悲しかった等の記憶がある)
でももう、248レスぐらいにしか伸びてない。
これが現状なんだよ >>247
岡崎、鴻野、勝呂、川相の4人は河埜引退後のショートの座を争ってた。
今の巨人の二塁現れみたいな感じで。
岡崎が原のレフトへのコンバートによって三塁に定着、鴻野は88年開幕戦でのやらかしで信用を失って
大洋へトレード、勝呂もオリックスへトレード、川相がショートのレギュラーを勝ち取るとは
予想外だった。守備が堅実とはいえ、87年日本シリーズの時のクロマティ緩慢守備にも関わってたし >>16
オフの大運動会か何かでサッカーがうまかった気がする >>252
川相の覚醒は見事だった
守備はともかく打球が外野まで飛ばない非力な男が突然ホームランを固め打ち
レギュラーに定着するやホームラン捨ててバンド職人化 >>188
みずほから資金移動さっそくしたわウチも
ソフバンショックきたらヤバいもんな。。格付けジャンク債だぜ? タイムマシンがあれば吉村に俺は未来人だが今日の試合は栄村が突っ込むから気をつけろよと忠告して歴史を改変したい >>247
東京ドームでの開幕戦(当時の皇太子・今の上皇)が観戦に来てる中で逆転負けに繋がった
大暴投をやらかし、以前巨人にいた平田薫にトドメを刺されたのが王監督を始めとする上層部の逆鱗に触れた このあいだ四十になりましたが、わたしも自慰一筋でやっております 23の上田はまだ巨人にいるの?
ある意味、この人も巨人一筋だよな、慶応でよかったなw
サインボール買ったわ >>259
ジャイアンツアカデミーの副校長
(因みに校長は岡崎、名誉監督にミスター)
とにかく明るくて人望があって、慶應卒の頭脳の持ち主だから
コーチに呼ばれちゃ、契約終了後すぐフロントに呼び戻されるの繰り返しでなんか多忙みたい
大洋戦で土壇場で勝越しホームラン打って号泣したままヒロイン受けて、その足でプロ野球ニュースに呼ばれたけど目が充血したまんまだったあの上田から変わってないらしい >>252
1989年の開幕戦はファースト岡崎サード中畑
中畑が怪我しちゃったんで間に合せでサードに >>233
プロ入り後6年間の通算打率が3割3分くらいじゃなかったか
ホームランも100本弱
間違いなく本物だった >>165
本当に俺も今思えばよくあんな下らないことに興味や関心を持ってられたもんだな。
而も俺の場合巨人ファンでさえ無かったってのにねw >>241
間違いなく現在だったら全国的な知名度は当時の西武以外のパ球団選手と同じ様なもんだったろうな 全国ネットで巨人戦だけが流れるのがいいのか
地方地方で地上波で地元球団の野球中継が流れる今のほうがいいのか
一概には言えないが
パリーグの集客力が倍増したことは間違いないな ナマクラさんも村田チュウもアベレージは低くても意外性の一発があった
小林に物足りないのはそれが期待出来ないところ >>260
上田和明
ハンカチ斎藤に爪の垢をアレしたい。
花の六大学の実力者が、プライド捨てて
便利屋上等。
バッテリー以外全守備経験。 正力、藤田でなければ上田は巨人からドラフト1位指名されることもなかっただろう
本人もそこらへんはよく分かってたんじゃないかな 大森もな
マスコミは元木とどっちが指名されるのか?みたいに焚きつけていたけど
慶応だから大森だろっていうのは自分の友人間でもよく言われてた >>268
藤田は第一期監督時代のドラフト運はそれなりにはあったんだがな
いきなり80年ドラフトで原を引き当て(その時のドラフト2位で駒田)、翌年は槙原・吉村・村田真、その次は荒木大輔を外すものの斎藤雅に川相と
見る目はあった。 川相が読売のまま引退していたら含まれていただろうか >>11
2ちゃんねらーは、丁度この当時野球ファンだったおっさん世代が多いから
80年代後半から90年代前半の野球のスレが立つとやたら伸びるんだよな
まさにおっさんホイホイスレ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています