■ (あの夏)報徳学園×京都商1  同胞の名、見つめた一戦
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1981年 決勝
この物語を、大阪市西成区の一家庭の光景で始めたい。

「同胞がおるぞ」

常山姓を名乗るその家で、テレビに映し出された甲子園決勝のスコアボードを
親が興奮して見ていたのを、小6だった趙靖芳(チョジョンバン)は覚えている。
京都商の先発には、1番の鄭、5番の韓という在日コリアンがいた。今より出自を
オープンにしづらい時代。注目が集まる大会に、本名で出た高校生の存在は、
在日コリアンたちにも衝撃的だった。

「こいつらもそうやで」

親が挙げたのは京都商の4番金原、報徳学園の4番金村ら、在日コリアンに多い
姓の選手だった。現在、在日本大韓体育会事務局長の趙は、「その時、自分たちには
本名と通名があることを明確に意識した」と言う。11歳の少年にとって、通名の
使用がスタンダードである現実を知らされた機会でもあった。

報徳学園の4番エース、金村義明は兵庫県宝塚市出身。
本名・金義明(キムウィミョン)、朝鮮籍の在日3世だった。