ネットテレビが取り組む「地上波ではできない笑い」は、暴力と下ネタなのか
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 その象徴といえるのが、『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』シリーズだろう。
『HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル』は2016年11月からシーズン1が
Amazon Prime Videoで配信され、現在では、2018年4月に配信されたシーズン5が最新のものとなっている。

 その表現に対する疑問の声も大きくなってきた。
その主たる要因は、あまりにも行き過ぎな下ネタである。

 たとえば、シーズン2では、裸になった小峠英二(バイきんぐ)が掃除機に男根を吸わせて悶絶するギャグを披露した。
シーズン3ではさらに過激化し、春日俊彰(オードリー)が局部の皮を伸ばしてそのなかに人形を入れて周囲の出演者の笑いを誘ったり、
また、性感マッサージ嬢に扮した秋山竜次(ロバート)がケンドーコバヤシのパンツのなかに手を入れて局部をしごくというコンビ芸も披露された。
どれも普段彼らがテレビでは絶対に見せないような姿である。

 こういった表現に対する異論の声は当然、番組のホストである松本人志の耳にも届いている。
だが、その意見に耳を傾ける気はないようで、彼は<よく下ネタがこの番組はひどいって言いますけど、
僕はいっさい下ネタなんてないと思ってますからね、この番組に関しては。あれは下ネタではないですよ。
アートですよ。芸術をもうちょっと理解してもらわないと>(シーズン4エピソード1)と開き直った発言をしている。

 松本も『ドキュメンタル』の魅力として、やはり、<地上波ではない>ということを強調する。
シーズン3エピソード1では、<『ドキュメンタル』を見てない人に対する優越感の笑いっていうものもあると思うんですよ。
やっぱり地上波ではない、なんですかね、『我々だけが知っている』みたいな>と語っているが、クリエイティブの自由を与えられ、
地上波ではできない番組づくりをした結果が「行き過ぎたセクハラとパワハラによる笑い」というものだとすればあまりにも悲しい。