現役時代は北海道日本ハムファイターズなどで活躍し、現在は野球解説者の森本稀哲が17日、ツイッターを更新。自身のドラフト会議での思い出を語った。

記録よりも記憶に残るプレーの数々で野球ファンをわかせた森本の入団秘話。そこからドラフトを終えたばかり新星たちへのメッセージが見えてきた。


■ドラフト4位で日ハムに入団
2019年のドラフト会議も終わった。佐々木朗希(大船渡)や奥川恭伸(星稜)といった注目選手がどこに行くのかが注目されがちだが、ドラフトは1位がすべてではない。下位指名の選手というのも必ず存在しているのだ。

ドラフト会議が行われた日に思い出話をツイッターに投稿した森本もその1人だ。98年のドラフト会議で4位指名を受けて日本ハムファイターズに入団。その当時についてこのようにツイートした。

〜ドラフトの思い出〜 前編

1998年に日本ハムファイターズからドラフト4位で指名を受けました。
帝京高校三年生だった僕は、ドラフト当日その瞬間は普通に授業をしていて、授業中にラジオを聴いていた一つ下の野球部の後輩から「日ハム4位おめでとうございます!」と休み時間に伝えられました。

? 森本稀哲 Hichori Morimoto (@onifukkusencho) October 17, 2019

〜ドラフトの思い出〜 後編

ホームルームでクラスのみんなに「おめでとう」と拍手をいただきました。

その後、記者会見や胴上げなどを期待していましたが、そんな事は全く無く監督に挨拶をして普通に下校。

一昔前の無名高校指名選手ってのは、そんな感じだったわけです?

? 森本稀哲 Hichori Morimoto (@onifukkusencho) October 17, 2019


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■今年のドラヨンはどうだった?
19年のドラフト会議の報道を見ると、読売ジャイアンツから4位指名を受けた井上温大(前橋商業)、阪神から4位指名された遠藤成(東海大相模)らは仲間からの胴上げや会見は行っている。

同じ順位で指名をされても、時代が違うだけでこの差。プロに入るだけでも立派なことを考えれば、森本の扱いが軽すぎるだけな気もする。
しかし、下位指名を受けたからといってすべてが終わるだけじゃない。それは森本自身を見るだけでも十分にわかる。

■ファンを愛し、ファンに愛された男
森本は入団当初こそ、それほど存在感があるとも言い切れない存在であったが、徐々に頭角を現した。
06年には1番バッターとして稼働し、自身初の規定打席に到達。ゴールデングラブ賞を獲得するなど大活躍し、チームの日本一にも貢献した。

そして当時同僚だった新庄剛志とともにファンサービスも多く行った。新庄引退後はその中心人物として様々なパフォーマンスを披露し、チームのみならず野球ファンから一目置かれる存在だった。

その後、横浜ベイスターズと埼玉西武ライオンズにも所属して15年シーズンに引退した。目立った大記録こそ残していないが、それ以上に多くの人の記憶に残る大選手だった。


■ドラフトがすべてではない
ドラフトで上位指名されても、必ずしもプロの壁を乗り越えられるわけではない。
一方で、森本のように下位指名から一気にスターダムにのし上がることもある。

昨日のドラフト会議で指名されたすべての選手にチャンスがある。10年後、まさかあの人が主力に――といったことは十二分にありえる。

森本にとって先のツイートは単なる思い出話ではなく、「その日が全てではない」という新星たちへのメッセージだったのではないだろうか。

明日の球界を担う新スター候補たち、記録だけでなく森本のような記憶に残る選手も出てきてもらいたいものだ。

https://news.nifty.com/article/item/neta/12189-20162182754/
2019年10月18日 20時50分 しらべ

https://www.youtube.com/watch?v=OpVoqtWgxh8
森本稀哲応援歌2017(北海道日本ハムファイターズ)