家族はどう見守っていたのだろう。長女の亜紀さん(47)に聞いた。

「母は毎朝、暗いうちに起きて仕事へ行き、夜中帰ることもあったので、いつも身体は大丈夫なのかな? と思っていました。
風邪なんか病気じゃないわよと話してましたし、弱音は吐きませんでしたね。

 中2の夏休みに家族で伊豆へ旅行に行ったとき、御巣鷹山で日航機墜落事故が起きて、まだ着いて間もないのに取材へ行ってしまったことがあります。
寂しくも感じましたが、子ども心に責任ある仕事を任されているんだなと思いました」

 しつけや門限が厳しかったため、“いつもいないくせに”と反発したこともあったが、今にしてみれば、さまざまな事件を見てきた母親だからこそ、本気で心配してくれていたんだとわかるそう。

「母が留守中に父と兄と3人で外食することもありましたが、やっぱり母が加わると盛り上がるんですよ。とぼけたこと言ったりして、楽しい人なので。
母が多忙を極めたころは距離感を感じたこともありましたけど、今は何でも相談できる友達親子のような関係です」

事件取材を通じて痛感したこと
 夫の誠さんは上場企業の営業職として働き、定年後は東海林さんと買い物やドライブを楽しむなど穏やかな日々を送っていたが、昨年の夏、持病の腎臓病で亡くなった。東海林さんが言う。

「夫は私が出張中に子どものお弁当をつくったり、娘の髪を結ったり、よく家事に協力してくれました。

 それでもその仕事をどうするんだ? と言われたことがあります。
辞めろということかなと思って1週間くらい考えた後に、面白くなってきたところだから辞められないと言ったら、じゃあ日本一のリポーターになれと言われました。
それで頑張れたのかはわかりませんが、いつも応援してくれたことには心から感謝しています」

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」「市川一家4人殺人事件」「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」など凶悪な少年犯罪も数多く取材した。
時を経て、その少年たちの判決を知ったとき、いつも胸をよぎるものがある。

「その子たちは本当に悪いことをしたから当然なんだけど、やはりかわいそうだったなと思うんです。
罪を犯した人間にそんなことを言うなんてと大方の人は言うかもしれませんが、いろいろ取材をしていく中で、やはり家庭や環境に問題があって、その子だけが悪かったんじゃないと思ったんですね。

ただただ、自分は母親に愛されたとか誰かに大事にされたという実感があれば、そんな事件を起こさなかったかもしれないと思うんですよ」

事件取材を通して、親子の愛情の大切さを痛感したという東海林さんは、まずは子育て中のお母さんたちが笑顔でいられるように応援したいと話す。