サッカー批評家としてはすっかり信用のなくなったセルジオだけど、
「異邦人として日本の環境を見る」という点ではまだ頼りになってる


◆セルジオ越後の発言要旨
2011年9月10日 NHK「ニュース深読み〜スポーツ選手の夢と現実」より


まずスポーツはどの国でもやっているけれど、その国の生活、その国の
文化に沿って行われている。
たとえば海外のカトリック圏の国では土日は仕事を完全休業になるので、
そこで公園やスポーツクラブが解放されてみんなスポーツを楽しめる。
日曜ごとに教会にお金を収めに行く国だから、地域のスポーツクラブに
基金するっていうのも当たり前になってる。年に二回だけお参りをして
自分に利益が来るようにと御賽銭を投げる日本との文化の違いだろう。

たとえば大統領選挙がある国では、候補者はナショナルチームに力を
入れると公約しないわけにはいけないけれど、日本の政治家は地方の
選挙区にしか興味がないからスポーツに対して何かをするという意識がない。

そもそも企業っていうものは、そこでスポーツをやるための場じゃない。
だから不況になればあっさり最初にスポーツ部門を切り捨てる。
そして国は哲学がないから、スポーツのための予算はみんな国土交通省に
行って箱モノに消費されてしまってる。

ヨーロッパは企業ではなく地域が公費でスポーツを支えてる。
ドイツのレバークーゼンは人口16万人だが、13種目のスポーツが楽しめる
総合スポーツクラブがあり、すべて地域が維持している。収入源は一万人の
会員が支払う年会費(ひとり年2万円)と地域のプロスポーツチームの収益。
ここから34人の五輪メダリストが出ていて、その人たちが引退後指導者となり
地元の人間を高いレベルでコーチしている。市民はクラブのリハビリ施設を
自由に使えるため地域の医療費も大きく減り、地元企業も収益を寄付している。