JR広島駅からマツダスタジアムへ続く「カープロード」沿いに30日、「津田恒美記念館」がオープンする。
広島の守護神として活躍し、脳腫瘍のため1993年(平5)に32歳の若さで他界した「炎のストッパー」、津田恒実さんゆかりの品100点あまりが展示される。
1人息子の大毅(だいき)さん(30)がクラウドファンディングで資金を集め、開館にこぎつけた。
その思いを聞いた。【取材、構成=村野森】

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−大毅さんの経歴は

大毅さん (母の実家の)熊本で育ちました。九州学院で野球をして、九州国際大に進みました。
(カープの)松山さんと1年だけかぶっています。
2年から父がお世話になった古葉竹識さんに指導を受けるため、東京国際大に編入しました。
4年まで野球をやり、それから埼玉で会社員をしていました。
冠婚葬祭の会社に3年半いて、その後は都内で営業をやったりいろいろです。そこからいろいろご紹介をいただいて、多くの方にご協力をいただき記念館をオープンします。

−記念館開館のきっかけは

大毅さん 父の実家が山口県の周南市にあるんです。
17〜18年前に祖父が亡くなってからは空き家状態で、親戚がたまに風を通したりしていました。
裏の山に父の墓があるんですが、ファンの方がお墓参りされた際に、実家にあるトロフィーとかグラブとかを見せていただけないですか、という問い合わせが多かったんです。
飾れるような場所をつくれたらというのが始まりです。

−開館までの経緯は

大毅さん 思い立ったのは3年くらい前です。最初は実家を記念館にするつもりでした。
いろいろな方とお話ししていく中で、父が活躍した広島に、津田恒実に触れられる機会がないのは寂しいとおっしゃっていただくことがすごく多かった。
広島にはまったく知り合いがおらず、右も左もわからない状態から手探りで始めました。
今年に入って広島に引っ越しました。

−2年前にクラウドファンディング(CF)で資金を集めた

大毅さん そうです。目標にした400万円が初日の5時間で集まりました。最終的に2600万円になりました。
1631人の方に支援していただきましたが、6〜7割が中国地方の方。CFを始めた翌日から半年かけて自転車で日本中を回りました。
宣伝になればというのもありましたし、どこまでファンがいるのかなというのを知りたかった。もともと自分が(日本一周を)やりたかったのもあります。

−日本一周の思い出は

大毅さん 目標にしていたのは県庁所在地の主要駅でした。
その前で写真を撮って、ツイッター、フェイスブックで告知して、ファンの方と待ち合わせみたいにして。47都道府県、やりました。
北海道は最北端の稚内まで行き、最南端は沖縄の波照間島まで。新潟で小さな空気入れが壊れたことをツイートしたら、片道2時間ぐらいかけて届けてくれた方がいました。
どこにいるかを予想して。どこに行っても父のファンの方はいらっしゃいました。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190528-05280023-nksports-base
5/28(火) 6:38配信

https://www.nikkansports.com/baseball/news/img/201905280000023-w1300_0.jpg
https://www.asahicom.jp/articles/images/AS20170620001614_commL.jpg
https://d6zq5bkx7ktpp.cloudfront.net/project/content/98363763ec70706e00d7175e837d4a90/655bdd8a423a0420a05bdf3c58275ff7.jpg
https://www.1242.com/lf/asset/uploads/2017/07/10000000000000040451_20170718173914031183_P130926000760w680.jpg

http://npb.jp/bis/players/41743865.html
成績

https://www.youtube.com/watch?v=yVD8I9ixRHA
知ってるつもり?! 炎のストッパー 津田恒美

https://www.youtube.com/watch?v=rOxzelhfe7M
津田恒実 火の玉ストレート 球宴でオールストレート三者三振