【野球】杉浦亨が引退撤回でもう1年と決意。 広澤克実に猛烈に腹が立っていた
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
西武×ヤクルト "伝説"となった日本シリーズの記憶(28)【ベテラン】ヤクルト・杉浦享 後編
「広沢のスライディングに腹が立った」
――1992年の日本シリーズ第7戦。1−1の同点で迎えた7回裏ワンアウト満塁の大チャンス。対戦したのは石井丈裕投手でした。
杉浦 スライダーが抜群の投手でしたね。僕の場合、インサイドのボールに詰まることはほとんどないんですけど、石井くんの場合はしっかり詰まらされました。
曲がりが急だし、すごくいい角度で曲がってくるんです。とても打ちづらい投手でした。
――前回の続きとなりますが、初戦で鹿取義隆投手から満塁ホームランを打ったことが伏線となって、「アウトコース低めのボールがくるだろう」と読んで打席に入って、まさに、狙い通りのゴロを打ちました。
しかし、三塁走者の広沢克己(現・広澤克実)選手はホームでアウトとなりました。
杉浦 はい。だから、広沢のスライディングに猛烈に腹が立ちました。満塁でゴロを放ったのに、スタートが遅れているんです。後にこの場面の映像を見たら、広沢は一度戻ってからスタートをしていました。
そして、そのまま真っ直ぐホームベースを目指せばいいのに、回り込んでスライディングをしていた。こっちはなんとかバットの先に引っ掛けてゴロを打ったのに、それが結局は生かされなかったんです。
――この場面がきっかけとなり、「もう1年、現役を続けよう」と思ったわけですね。
杉浦 前回も言ったように、僕は「今年のヤクルトはとても強いチームだ」と思っていました。だから、「この悔しさがあれば来年はもっと強くなるだろう。絶対に日本一になるだろう」という確信がありました。
だから、もう1年続けたいと思ったんです。それで野村さんに「今年限りで辞めようと思っていましたが、来年このチームは絶対に日本一になるから、もう1年だけ置いてください」と頼みました。
すると、「やりたいのなら残ってもいい」と言われたので、もう1年だけ続けることにしたんです。
――結果的に、翌1993年のスワローズは日本一となりました。やはり、杉浦さんが考えていたように、チームのムードはガラリと変わったのですか?
杉浦 大きく変わりましたね。池山にしても、飯田にしても、古田にしても。でも、ひとりだけ変わらないヤツもいましたけど。のちに巨人に行ったり、阪神に行ったりしたヤツです。
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190501-00858760-sportiva-base
5/1(水) 7:37配信 ――背番号8のチームリーダーですか?
杉浦 さっきのスライディングの件にしてもそうですけど、みんなが「あの悔しさを忘れない」と思っていたのに、当の本人だけはあまりそういう意識を感じられなかったのが、とても残念でした。
1992年の日本シリーズ中にもシートノックを受けているときに「なんで、こんなことをしなくちゃいけないんだろう」と言っていました。
四番打者がチンタラしていたらチームのムードに影響するので、「お前のための練習なんだから、きちんとやれ!」って怒鳴りましたよ。
結局は、試合でも暴投したんですけどね。
ベテランとして若手を支える役割を
――前年の悔しさを胸に臨んだ1993年シーズンは、当初から「今年限りだ」という思いで臨んだ1年だったんですね。
杉浦 そうです。本音を言えば、前年のシリーズで日本一になって引退したかったです。
だから、1993年は「もう1年、現役ができる」という喜びよりも、前年限りで辞められなかった「悔しさ」が勝っていたシーズンでした。
――前回もお聞きしましたが、「今年は絶対に日本一になる」という確信はどこから生まれてきたのですか?
杉浦 前年に負けたからです。西武に敗れたことによって、みんなが悔しさを持っていました。
そして、「さらにひとつにならなければ勝てない」という思いが芽生えていたからです。
それに、西武はすでに完成されていたチームなので、これから落ちていく一方だけど、うちはまだまだ伸びていくチームだと思っていたからです。
――確かに1993年のライオンズは、(オレステス・)デストラーデ選手がメジャー復帰するなど、戦力ダウンは否めませんでした。
杉浦 1992年の日本シリーズは本当にわずかの差で敗れました。そのわずかの差は絶対に埋められると思っていましたから。
ハッキリ言えば、僕は戦力としては力になれないかもしれないけど、ベテランとして若手選手にアドバイスを与えるなどできればいいなと思っていました。
僕自身は、1992年の日本シリーズで完全燃焼していましたから。
――そして、1993年は見事に日本一になりました。
杉浦 これで、何も思い残すことはなくユニフォームを脱ぐことができました。
この2年間は自分のプロ野球人生において、もっとも印象深く、もっとも忘れることができない2年間になりました。 「あと10年遅く生まれて、古田たちともっと野球がしたかった」
――大ベテランだった杉浦さんは、1978年のチーム初の日本一も経験しています。
このときは広岡達朗監督、森昌彦(現・祇晶)ヘッドコーチでした。
つまり、杉浦さんは野村克也監督だけでなく、敵将である森さんとも同じユニフォームを着ていました。
杉浦さんから見て、野村さんと森さんは似ていますか? まったく違いますか?
杉浦 似ているところもあれば、違うところもありますよね。野村さんは「教える」ということに関しては日本一だと思います。
でも、大事なところで人のせいにする部分があるのが残念です。
敗戦の責任を選手やコーチのせいにするのではなく、「オレのせいだ」と言えばいいのに、それができない。
口にはしないけど、たぶん古田(敦也)は相当悔しい思いをしていると思いますよ。僕はバカだから、すぐ口にしちゃうけど(笑)。
―― 一方の森監督はいかがですか?
杉浦 あのときは広岡監督の時代ですからね。広岡さんが最初に取り組んだのは選手たちの意識改革でした。
あの頃は「酒は飲むな、白米は食べるな、タバコは吸うな、遅刻はするな」など、とにかく厳しい時代でした。
そのときに森さんは、選手の部屋を回って冷蔵庫の中身をチェックするようなことをしていました。
"嫌われ役"に徹していたイメージが強いですね。でも、やかんや急須に、ビールや焼酎を入れて飲んでいたんですけど(笑)。。 ――ちなみに、「広岡野球」はどのように見ていましたか?
杉浦 広岡さんの場合は、与えられた戦力を一度すべてリセットするんです。
ポンコツをすべて解体して、部品を磨き直す。それから、あらためて組み立て直す。そんなチーム作りだったような気がしますね。
でも、野村さんは土橋(正幸)さん、関根(潤三)さんが我慢して使い続けた選手たちが伸びてきた頃に、それを受け継いで、そこに「頭脳」を注入した。そんなイメージがありますね。
――1992年、そして1993年の日本シリーズはともに第7戦まで戦い、2年間のトータルで言えばスワローズもライオンズも7勝7敗でした。
両チームの決着は着いたのでしょうか?
杉浦 うーん、互角でしょうね。西武はすでに完成されたチームで、一方のヤクルトは伸び盛りのチームでした。
その両チームが真正面からぶつかり合って、最初は西武が勝ったけど、次の年はヤクルトが急成長して見事に勝った。やっぱり、互角だったと思います。
僕自身はすでに引退を決意していたし、体もボロボロだったのであまり戦力にはなれなかったけど、野球人生最高の思い出ができました。
悔いはまったくありませんが、ひとつだけ欲を言えば、あと10年遅く生まれて、古田たちと同じぐらいの年代で一緒にプレーしてみたかったです ラジオの巨人戦中継でしかヤクルトの選手を知ろうとしなかった当時、杉浦と杉村の区別がつかなかった
大杉さんも健在だったし
…若松さんもいたな
梅はいないか 初期のファミスタでれおんとすぎうらだけホームラン打てたような気がする ノムさんの本によると、広澤はライナーゲッツーを気にしてスタート遅れたらしいね 平和台でのヤクルト阪神戦で雨天コールドになって、
諦めきれない奴らが外野スタンドに居残ってなぜか「ヒーロサワ、ヒーロサワ」とコールしながら騒いでたら大雨の中出てきてくれて手を振ってくれた思い出 >>16
日本シリーズ史上初の「代打サヨナラ満塁本塁打」 ヤクルト時代の広沢は気さくでファンサービスも良かったよ
神宮のクラブハウスと練習場を行き来する時も、
外周道路とかでサインや握手やちょっとした雑談にも応じてくれたしね >>15
ヤクルト本社で部長してるんじゃなかったっけ? >>8
てか、タフマンのCM、ずっと杉浦だと思ってた少年時代。 巨人にFAが噂されていた年に 試合解説のゲストに広沢が来てチームの秘密でもある野村IDで解析した巨人の弱点をペラペラしゃべってたんだよな
あれでこれはもうヤクルトを出るなと誰もが思ったし裏切りだと思った 広澤は明治在学中四年間で体育の3単位しか取れなかったと聞いたが 広澤は、引退後の解説でマウンドに立ってる投手のクセをばらしたりしてたからなw
周りは忍耐が必要なタイプ バース級のスイングスピードだった
でも控えの選手っていう >>20
スタートもそうだし、足からホームに行けばいいものを、伊東の足にスライディングしてホームベースを手でタッチしようとしてるのがホントアホ。 杉浦といえば弾丸ライナーでライトスタンドに突き刺さる打球の印象が強烈だなあ
スイングスピードでは歴代屈指だろう >>41
えっ?晩年は代打だったけど全盛期は普通にレギュラーだぞ 最後に広沢をフォローするのかと思いきや、そのまま終わってワロタ 杉浦享 身長 177cm
広澤克実 身長 185cm
ガキの頃、杉浦さんが凄くデカイ大男に見えた
辻発彦さんと並んでる時かなり小さくて本当に驚いたよ >>52
珍カスに媚びて過去の所属チームや選手の悪口言ってる奴が好かれてるはずないだろ、こいつと金村は本当人格的に最低じゃないの、て2人ともアレだったなw 広沢は空気読めないからなあ
悪気はないし、ファン大事にするけどなあ >>48
やっぱりシリーズはカメラも多くて迫力あるな、杉浦も辻も伊東も精一杯のプレーの中で広澤だけが普通のプレーw 杉浦って、ヤクルト本社営業の部長さんなんだっけか?
ハンカチ王子もヤクルトに入っていれば引退後はこんな風になりたかったのだろう。 広澤といえば一塁から右翼に回されたとき
「外野は一塁と違ってトンネルしても自分で拾いに行かなきゃいけないから大変だ」
とか言ってたような奴だし >>29
そうなんだ
でも女人気はなかったよね
当時神宮の入り待ちしてたヤクルトギャル達はキャー古田さーん!池山さーん!て大騒ぎしてたけど
広澤が通るとあ、広澤だくらいの反応しかしてなかった記憶 これがきっかけでギャンブルスタートみたいなのを次の年から採用したとか
古田が言ってたやつかな 杉浦懐かしいな
あの伊東四朗みたいな人だよね?
このころのヤクルトは杉浦とか八重樫とか個性的な人がいて面白かった 杉浦以上に若松の打撃フォームが好きで、あのオッサンの草野球打ちみたいなグゥ〜ッとテークバックしてからのスイングを真似してたら何故か担任
(野球部の顧問)から「そんな撃ち方するなら使わんぞ」と怒られた思い出。反動を利用する様な撃ち方より、なるべく頭もグリップも静止した状態
からスイングしてほしかったらしい。 >>45
田代まさしがそんなこと言ってたの覚えてる 記事でも触れられている広澤のお嬢様スライディングは
最近出た平成スポーツ史に収録されている野村、池山、内藤の対談でも
ボロクソ言われてるねw >>52
ヤクルトファンからも巨人ファンからも阪神ファンからすらも嫌われてるからな >>54
>>59
53年生まれだけどレギュラーだったときの記憶全くないわ 広澤といえば大学の同期の竹田ってのもいたな。
プロでは鳴かず飛ばずだったが。
2人ともあっち系だったんだろ? >>42
やっぱそうなんだ。
どうりでロクな奴じゃないと思ったわw 広沢が反省して心を入れ替えて
翌年日本一へと向かう美談だと思ったら
全然そうでもなかった あれ?別の文献ではノンさんにあと一年だけユニフォーム着てくれと懇願されたとあったけど。 >>82
広澤のスタートが遅過ぎる。
あれは余裕でセーフになっていなければおかしい。
これの6:40くらい
https://youtu.be/gXk_zl0VbrY 杉浦のこの話を聞いて、広沢がコーチとしては有能ではないことがわかった
向上心があった飯田や池山はコーチとしては及第点以上なんだな 本名の漢字に寅が入ってるから、トラと呼ばれてたのは2chで知った。 広岡監督と野村監督と両方のもとでやったことがあったのか >>1
杉浦の打球はあまり上がらなくて、いつもすごいライナーなんだよな。
いいバッティングしてたなあ。
まあ広沢はあれだから・・・ほっときなよ。 野村は楽天の監督になるときに、池山はコーチに誘ったが広澤はスルーした
若手時代は同じようにおちゃらけていたけど、野球に対する取り組みはちがったみたいだね
まあ池山があんなになるまで現役にこだわり、
引退後の解説者になってあんなに喋れないとは思いもよらなかったが 広沢は右方向の長打や左中間 右中間へのホームランが美しかった
明治の4番だったね >>98
その間の武上とか、土橋とか、ダメ監督ぶりが一層際立ちますね 杉浦の豆知識 東京球場と福岡ドーム、2つの球場で行われた公式戦に出場したことある数少ない選手の1人 >>77
えええ??
おまえが小6んときの池山広沢杉浦デシンセイの並び覚えてへんのか 池山広沢は何も考えてないとノムにダメ出しされまくりだったな >>112
その2人にダメ出されまくってた奴もいたな。 今では美談扱いされてるけど当時野村監督は選手から嫌われてたしな
そりゃ毎日ようにネチネチされてたら嫌になるわな >>115
イメージほどホームラン打たない、打点は稼ぐ
似てると思うが プロ野球カードゲームじゃ88年は8本だったから、この人めっちゃ覚えてる 選手名鑑に選手の住所が書いてあった時代に荒川区の南千住に杉浦の住所があって、
プロ野球選手がなんでこんなところに住んでいるんだと驚いた記憶 >>122
確かに西武黄金時代だったなー
そして近鉄は万年2位だった・・・ >>121
中田は状況を判断して考えたプレーができる。
広澤は引退するまでできなかった。
守備も中田はNPB屈指の一塁手のレベルで上手いが広澤は超がつくレベルで酷い。 晩年のイメージしかなかったから数字見てビビった
三振少なくて併殺も少くて盗塁もけっこう多い。中、長距離バッターなんだな
メチャクチャいい選手じゃねえか 広沢は考えるプレーが出来ないことは
明治の監督も証言してる
期待するほうがおかしい >>107
プロレス系を除くなら
南海の杉浦忠は数回引退を撤回してる >大事なところで人のせいにする部分があるのが残念です。
>敗戦の責任を選手やコーチのせいにするのではなく、
>「オレのせいだ」と言えばいいのに、それができない。
満塁でやっとこさしょぼいゴロしか打てなかったオレのせいだ、とは
思わんのね杉浦先生は >>117
でも明らかにチーム強くなってるから上がりたい奴らは完全についていってたろ
それこそ広沢以外は >>100
オレもそう思ってたけどけっこう息長くなげてたのね
しかしこのシリーズはヤバかったし神がかってた これがきっかけでギャンブルスタート、ゴロGOのサインができたんだよな。 >>77
嘘つけ、お前と同じ年齢だけど広沢頼りないけど4番だったぞ、それも俺が中学高校の時だからそんなに昔でもない どんだけ広沢のことが嫌いなんだよコイツ
杉浦って今はヤクルトの重役なんだよね
広沢がヤクルトには戻る椅子はないわ >>107
大仁田と答えそうになったけどあいつは劇団員だったわ >>34 槙原の球種を投げる瞬間にことごとく当てていたよね >>137
中高でレギュラーは絶対にない
ありえない ヤクルトの日本シリーズといえば、センター飯田のホームタッチアウト。
カッコ良かったな。 >>110
池山広沢は常にレギュラーのイメージあるけど杉浦が常に控えのイメージ
デシンセイなんか名前だけ覚えてるだけで右か左かもわからん >>11
ほんまやw
どんだけ嫌われとんねんwwwww 八重樫の豆知識 捕手以外のポジションで、外野、センターを20試合近く守ったことがある 貴重な経歴の持ち主だ
ヤクルト売らすだけではもったいないな 92年のヤクルトって言えば岡林一人に負担全部押し付けてた頃じゃないのか?
日本シリーズも岡林一人で頑張ってたイメージしかない 杉浦はヤクルトで一番好きだったな
ってか敵として怖かった >>122
90〜92年の西武は本当に強かった。どこにも隙が無いくらい
(しいて挙げればばレフトのレギュラーが固定できなかったくらい) >>151
広澤がきちんと走っていれば
岡林が3完投の2勝1敗でMVPだったから
岡林が一番怒っていい。 シーズンも折り返して
疲労がたまった敵投手を打ち込んで打率の帳尻合わせ
広沢「帳尻あわせできる打者が何人いるんですか?」
これしかエピソードしらんわ >>149
キャッチャーとしてドラフト1位で指名されたのにな 沢を澤にかえて
日本人アピール
朝鮮寄生蛆虫づら
一緒にドラフトかかってたやつも
在日朝鮮寄生蛆虫だっけ? 広沢ボロクソ言われてるな
よくノムシンが星野が優勝したのは野村が育てた選手使っただけと同じ事を野村も言われてるのも面白い >>156
澤や瀧は
日本人しか使えないアピールで
日本人だと捏造だからな >>72
今その顧問が言うようなスウィングしたら、それこそ試合に使ってもらえないね。
昔のプロは理論がなくても、そういうところをよくわかってたんだな。 巨人一年目はまるっきりダメだったな
97年にちょっと復活したが翌年高橋がきて完全に控えとなった チームメイトだから半分冗談で言ってるかと思ったら
本気でこき下ろしてて笑ったw
まあ広沢だし 俺らの時代は若松か杉浦の必殺仕事人の応援歌が流行ったな トランペットの見せ場 阪神ファンには監督の批判をする前に
久万という無能だったオーナーを批判するオツムはないのであろうか
いつも不思議に思う バカなのに知的ぶった解説したがるからな、透けて見えてるのに >>89
これの下の方のコメント欄にこんな事が書かれてあるけど本当なら別に広澤に責任はないように思える
このときヤクルトはライナーでランナー飛び出しによる併殺を恐れベンチは広沢にゴロを確認してからのスタートを指示、
更に併殺崩しのため伊東の足を払い一塁転送阻止を最低限するよう指示していました。補足。? スレタイ見てさっさと引退しない杉浦に広澤がプチ切れたのかと思ったら逆だった 阪神ではヒーローインタビューで六甲おろしを歌い盛り上げていた。
瞬間的な盛り上げや微笑ましさはあり、事実大物だが、格は低い選手だった。
どこにいてもチャランポランというかね。
巨人時代は、江藤とごっちゃになっている。助っ人というより飽食の寄生虫だった。 >>151
西村がシーズン終盤の怪我で日本シリーズに登板できなかったからなぁ。
あの年は岡林もそうだけど、シーズンは西村も頑張った。 >>160
賛なんか無いよ。
やっぱり、あっちの人は 自分だけ良けりゃ なんだよな。 >>1
読んでて、最初は広澤って嫌な奴なんだなームカつくなー、って思ったけど、最後まで読んだらこの杉浦?って奴も嫌な奴っぽいなーと思ったw >>1
やかんや急須にビールや焼酎入れるのは良くて、練習について愚痴るのダメとか自分勝手な奴だな杉浦 >>171
あのタイミングで併殺(ホームゲッツー)になるわけがない。
広沢自身もなんで併殺崩しにいったんだろ?ってスポルティーバの別記事で反省してるから読むといいよ。 >>1を見るに、的確な視点で物事を捉えてる感じがするし、
人望もありそうで監督向きな感じもするけどやらんのか?
野球界でここまでしっかりした人は中々いない気がするぞ ヤクルト暗黒時代のスタメン
1栗山
2水谷
3若松
4杉浦
5八重樫
6広沢(新人)
7角
8渋井
9尾花 「ヤクルト球団に酷い事言われたからFAで出て行く!」とか言ってたのも後から考えたら朝鮮人特有のウソだってわかるんだよね これ愛のあるイジリじゃなくてガチで嫌いなパターン? >>163
そしてシゲオを逆恨みだからな
本当クズだよ
指導者として完全にスルーされてる
金村、江本、長谷川あたりと同じ 92年の日本シリーズは夢中になって見てたな
特に、ヤクルト岡林と西武石井の力投は記憶に残ってる >>1
当時の報道では92年で引退を決意していた杉浦を、
「(日本シリーズでの代打満塁)ホームラン打てるんやからもう少しやれ」と野村が引き止めたということになっていたが。
そうか、杉浦からもう一年とお願いしたのか。 >>182
敗戦の責任を全部被らない野村を否定するから監督には向かないよ。
選手視点でしかない。
負けて「おまえらは悪くない、悪くいのは俺」を繰り返しては、
結局選手を甘やかしてしまいチームが強くならない。
嫌われる勇気がないと。 >>192
やっぱ杉浦って馬鹿だよな
言わなくていいことを言うってところがな
「(日本シリーズでの代打満塁)ホームラン打てるんやからもう少しやれ」と野村が引き止めた
って事にしとけば美談になったのにな >>181
そのスポルティーバの別記事を今捜して読んだけどこんなことが書いてあった
https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2018/09/25/___split_87/index_2.php
広澤
いまだに、「お嬢さんスライディング」って言われますね。
先日、あるテレビ番組で検証したら、私の足が先に入っていて、本当はセーフだったんだけどね。 >>193
他人のせいにするだけじゃダメなんですけどね
人望を失っちゃいますんで 広澤という新字体と旧字体を混ぜたヘンテコ名でメディアにでるならお笑い芸人かツボいノリおを目指せよ 今じゃ当たり前の選手別テーマソングも
昔はヤクルトじゃ若松と杉浦しかなかったし >>196
というのが言い訳で、本名が崔寅鎬だから 野球界から離れている人は、思っていても口にしちゃいけないと思うんだけどね なんでお前ら広澤の本名知ってるんだよww
確かに顔はあっちの人っぽいけど >>195
村山実も長嶋に打たれた天覧試合ホームランが何度もリピートされるので、
ある時期から「あれはファール」と言い張るようになったなw
そりゃ、自分の失敗を何度も取り上げられるのは辛いよねw
昔は巨人戦は毎試合地上波ゴールデンタイムで全国放送で、
ドーム球場もなく人工芝も少なくて、雨天中止が多くて、
余った時間によく天覧試合ホームランを放送していたからね。 >>16
1434安打、224本塁打(20本以上5回)、通算打率.284に対して出塁率.370の選球眼
なお682四球669三振と四球が三振より多い 「巨人の出ない日本シリーズは真の日本一決定戦じゃない」
こんな妄言がメディアで平気で発信されてた時代 >>199
広沢「子供の頃の俺?ドラえもんのジャイアンみたいなガキ大将だったよw」
そのまんまやんけ! >>206
1983年6月29日
住所 東京都調布市
崔寅鎬(広沢克己、松山克己)昭和三十七年四月十日生 >>196
オフに広沢が寅さんのモノマネしてたな
まあ、声色もそこそこ似ていたw 野村評がストレートで笑った
でも野村の周りの人はみんな同じように思ってるだろうね >>210
巨人に行ったら乙女村田の先輩みたいにおとなしくなってたじゃん >>211
池山もアレだし
ヤクて主砲2人がクソワロタ >>208
もっと打率低いイメージだったわ。
出塁率、ホームラン数も含めて立派なもんだ。
6番にいたら敵チーム嫌だったろうな マジレスするとトラというあだ名は関根潤三監督がつけた。
昔、広沢虎造という超大人気の浪曲師がいて、
広沢だからトラとな。
テレビもなくラジオもNHKしかない時代に、
広沢虎造の浪曲は毎日のように放送され、全国で大人気。
関根さんの世代が広沢と聞けば虎造を思い出すはず。
「旅行けばー、駿河の国の茶の香り」のダミ声が、
虎造の次郎長三国志のくだり。 >>196
神様仏様名無し様[sage] 投稿日:2018/12/26(水) 20:13:18.85 ID:d7Jr88F5
マイク仲田のマイクは出自に関わる問題だから、出版社としては濁したんだろうよ。
広沢克己のニックネームがトラなのも、ネットで官報情報が出て、元々は崔寅鎬という名前だったから寅さんなのかと実に納得した。
浪曲師広沢虎造にちなんだとか、寅さんに似ているとかいうのも、今考えるといかにも後付けだよな。 >>1
愛知県の幡豆郡幡豆町に西浦亨さんが
居たなんてはじめて知ったのん >>213
まあお人好しは監督には向かないね
水原茂なんかも、土橋や江藤慎一や板東英二とかに、
冷たくて嫌な奴とボロクソに言われるし >>19
93年は打点王も獲ってるし頑張ったよな
杉浦は厳しいこと言ってるが広沢は広沢なりに成長してたんだと思うよ >>182
本人は優しすぎてコーチに向いてないと言って本社のサラリーマンになったとか
人が良くて欲も無いので若い頃控えが長かったとも >>221
おまえは広沢虎造の昔の人気を知らない
俺は親に散々聞かされた
それにいちいち在日選手の帰化前の本名やら、チームメイトも知らんだろ 神宮球場の売店に杉浦のサインボールがなくて、店員に「杉浦のサインボールありますか?」って聞いたら「杉浦は売り切れです」「(聞いてないのに)若松も売り切れです」って言われたのを思い出した >>230
別にほとんどのチームメイトは、広沢の韓国名を知っているとかじゃなくて、みんながトラさんって呼んでるからそう呼んでただけだろ。
だいたい広沢虎造なんて知ってるチームメイトがいるのか。
お前の親が変なだけ。 >>228
ワシもそう思う
池山と違い言動は野村監督になっても軽いまんまだけど、
タイトルを取って、日本一チームの四番らしくはなったし
それより池山が野村に影響されすぎて打撃が小さくなり、
タイトルを取らずに終わってしまったように思えた
野村もヤクルトをやめるときに、「池山だけはうまく指導できなかった」と認めていたしな >>217
3番でチャンスメークとポイントゲットの両方を担う力もあったけど、3番には若松がいた
何年も続けて二桁盗塁する脚力もあったが、大杉引退で中軸に入って前ほど走らなくなり、そしてひざを痛めて走力は落ちた(打撃ではカムバック賞取ってる) >>232
文盲?
トラというあだ名は関根監督が言い出したと上に書いたのだがw
俺もリアルタイムで、関根監督が「トラ」とか「デーやん」とか呼んでいたのをテレビで聞いたよ。 杉浦と言えば凄いライナーで飛んでいくホームランのイメージ >>229
初代三冠王で和製ベーブールースと呼ばれた、
巨人の四番打者で監督もした中島治康もプロの世界のドロドロに嫌気がさして、
アマ野球専門の新聞記者に転身したそうだね。 >>236
なんで関根監督について書いたお前のレスまで読まなきゃいけないんだよ
そして、関根監督が名付けたから広沢虎造に因んだって、因果関係が飛躍してるじゃんw この人ツボにはまると凄い飛距離出たよなあ
日本シリーズのサヨナラ満塁ホームランとか典型的
その割に通算算本塁打数が物足りないけど、
あのダウンスイングのせいでライナー性の打球が多かったからかなとも思う 杉浦っていえば、特に腰の回転で打つイメージがあるなあ
クルって感じ
バットスピードも早くて好きな選手だったわ >>242
チミは>>220で関根潤三がトラと名付けたって思い込みで言っておきながら、
ソースは関根の年代ならきっと広沢虎造を知ってるはずだから、ってこと?
ということは、そして広沢のあだ名が「トラ」で韓国名に「寅」が含まれているのは、奇跡の偶然といいたいわけ?
>>230で親から広沢虎造の話を聞かされたって、別にてめえの想い出には誰も興味ねえよwwwwww >>218
帰化すると官報に掲載されるので有名人だとすぐバレるのよ >>249
奇跡の偶然ではないよね
絶対に知ってたよね >>243
こんなに草をたくさん生やすやつ久し振りに見たわ。
可哀想によほど悔しかったのね。
お前さんみたく無駄に負けず嫌いで、つまらん陰謀論に振り回されるような真の情弱のアホは芸スポ板の花。
俺もキャッチアンドリリースの精神で労ってやるよ。 缶コーヒーのCMだかで、ノムさんと古田他の選手達が部長(?)と平社員みたいな設定でやってたやつが妙に合っていて好きだったw >>248
このトランペットカッコイイよなあ
子供の頃だけどはっきり覚えてるわ >>248 なつい
パララ〜〜パ〜ラララ〜〜ラララ
パ〜〜ララララ〜ン
杉浦〜杉浦〜頼りになる男(かっ飛ばせ〜杉浦!)
杉浦〜杉浦〜 お前はいい男(かっ飛ばせ〜杉浦!)
高校野球の仕事人は殆ど若松のテーマだけど杉浦のテーマももっと使って欲しい >>254
東京電話とかいう、携帯電話のCMかな?
ノムが部長でヤクルトの若手選手が部下みたいな設定で。
ノムが部下に仕事を振ろうとして、古田を探したら外に出ていていない。
それでカツ丼食ってる内藤と目があって、
「おまえは…いいや」というオチもあったな。
缶コーヒーでも似たようなCMあったかもだが。 当時の西武ビジターユニフォーム、ポリバケツ色ってバカにしてたけど、
凄みがあるんだよね、当時の強さとメンバー知ってると。 >>259
ギャオス懐かしいなw
ノムさん結構ギャオスのことは可愛がってた気がする >>232
横だけど
私も広沢虎造自体はどんな人物かはあまり知らないけど、
当時の超人気ヤンキー漫画での台詞「お前は広沢虎造か?」で
その存在を知ったね。
こういう人は以外と居たんじゃないかな。
関根さんがトラ呼ばわりの元祖も合ってるね >>172
若松の音楽はイントロが格好良いよね
歌詞はお前は良い男 キャッキャッですがw >>149
今の時代ならたまにキャッチャーが外野守るのも珍しくないよなー
そのままコンバートされて外野手になるのも少なくないけど >>176
荒木、高野、伊東が故障明け
西村が故障
岡林が孤軍奮闘せざるを得ない状態だったんだよな
第3戦で当時ルーキーの石井一久を使うしかなかった
岡林は第1戦で12回、第4戦で8回、第7戦で10回
3試合に先発して計30イニング投げるなんて今じゃ考えられない >>252
ねえ、じゃあ関根監督の命名と広沢の韓国名に寅があったのは、奇跡の偶然ということでいいの?
あと、関根監督がトラと呼んだことがあっただけで、なんで関根監督が命名したことになるの? 広沢は飄々としてて見てる分には面白いんだが、近くで関わったらしんどいだろうな
けどこの頃に三冠王狙える選手を問われたとき、ノムさんは広沢の名を挙げてた記憶
それだけの素質はあったのに、のらりくらりやってるのが杉浦も歯がゆかったのかね 寅さんのものまねがトラかと思ってたわ。
本名に寅が入っていて
なおかつ広沢虎造説もあるわけか。
本名説で言うと全く隠す気がないと言うことになるな。
まあ、見た感じまんまだけど。 >>120
ボールをシバいてからのバット投げが美しすぎるなw ラッパ吹きなら解るけど杉浦の前奏ファンファーレはメチャムズい。
80年代の燕軍団(赤シャツ)はT橋さんとか、
メンバーにプロのトランペッターが居たから美音で余裕だったけど、
応援主導権が報燕隊に移った後は、
報燕は自信が無いのか1音下げて勝負を避けてたねw 日本シリーズで投手のクセを言いまくっていたのには引いたわ ファンサービスでいえば圧倒的に杉浦より広沢。
池山や古田もすごくいいが。 >>259
噸、いやそれですw ギャオスがオチのやつw >>あと10年遅く生まれて、古田たちと同じぐらいの年代で一緒にプレーしてみたかったです
ええ話 東京バリバリの人かと思ったら愛知県の人なんだ
よな。 >>278
80年代終わりから先輩に神宮連れてってもらうようになったけど、90年代の必殺は下手になったってこぼしてたな。 でもこの時はベンチから広沢にライナーでの併殺警戒してゴロをしっかり確認してから走れ&キャッチャーの一塁投球を防げ
という指示が出てたって話もあるからなあ… 広沢はデーブにも言える事だけど
茨城丸出しなんだよ
面白いけど敵を作りやすい >広澤克実に猛烈に腹が立っていた
野球選手を引退後、企業で重役にまで上り詰めた超一流人にここまで言われるって、
ある意味ですごいw >>275
えっ?(笑)
低打率でそこまで長打力もない広沢が?原の下位互換にしか見えん
まぁ狙うのは誰でも勝手に狙えるが・・・
野村は理論派であり策士ではあると思うがだから言うことが正しいわけではないしな >>11
公のインタビューでここまで同僚批判珍しくないw
話し終わったと思ったらまた広沢の話ぶり返してるしw >>129
俺も80年代中盤以降の杉浦しか知らなかったけど、wikiで盗塁数見てびっくりした。
1シーズン20ぐらい盗塁してたんだな。
HRは何度も30本記録してるかと思ったら、1回だけでこちらも驚いた。
大砲タイプだと思ってたけど、「じっくり見る佐々木誠」的な選手だったんだな。 これ昔古田の番組でやってたがゴロゴー(ゴロを確認してからスタート)の指示出てたんだよ。
で、それを野村が反省して翌年からはギャンブルスタート(バットに当たったらスタート)に変えた。
その結果、翌年の日本シリーズでは古田の好走塁があったって流れ >>289
キャッチャーの一塁送球を邪魔する指示は出てたけど、あくまでも"ホームゲッツーになりそうな場合"
杉浦の打球を見て、ホームゲッツーになりそうだと思うやつはまずいない。
広沢も後に反省してる。 池広コンビ、古田、ハウエル、岡林とかよりも
杉浦若松角八重樫尾花の並びの方が何故か
趣を感じる。 >>290
水戸っぽか。豊田さんもそうだね。
野球ではないが、仁義なき闘いの深作欣二監督もそんな感じ。
バンカラで荒っぽくて、飾らずに言いたいことズケズケ言う感じ。
でも同じ水戸っぽでも根本陸夫は政治力に長けていて、うまく球界を泳いだ印象。 >>297
弾丸ライナーで球が上がらないタイプかな
打球やスイングがすごい割りにホームランは意外に多くないという >>300
後者は職人って感じだなw
水谷さんとかも入れたい 広沢がトラと呼ばれてるのは帰化前の名前に寅が入っているからかよ!
広沢虎造からとったのかと思ってたぜ。 >>300
上段はビールの肴、下段は日本酒の肴、って感じがする >>275
落合かな?三冠王の条件はまず長打力と。
首位打者はどの打順やどのタイプの野手も狙えるかど、ホームラン王は別と。
広沢は長打力があって、あれで意外に右打ちも上手い。
ちゃんと頭を使って、意識を高く持って連取に励めば…ということかな?
古田はホームラン王は難しいし、池山はプルヒッターでアウトローのスライダーに弱くて打率がキツイし。 広沢は今サンテレビで、偉そうにウンチク垂れ流して
阪神ファンから最も嫌われ解説者になってる >>302
それ。
しかし初球を絶対に見逃す杉浦が初球からガンガン打ちに行く佐々木誠よりも
三振が少ないというのも興味深い 辻って日本シリーズのキーマンだよなぁ
こういう選手がいるチームってつよい
クロマティの舐めた返球でホームに帰ったのも辻じゃなかった? >>1
>ひとりだけ変わらないヤツもいましたけど。のちに巨人に行ったり、阪神に行ったりしたヤツです。
www 平野(西)と秦(ヤ)の
ライト強肩対決とも言われたシリーズ >>1
ナンバーか何かで広沢はこの件について言い訳していたな >>308
阪神ファンじゃないけどあんま好きじゃない >>120
おっさんかっこええなぁ
スイングはえーわ!鹿取のシュートもやばいが 伊勢コーチだったと思うけど、入団してきた広澤を指導したとき、煙たがられて、やる気もなかったと言ってた
伊勢が退団するとき他の選手は挨拶に来てくれたけど一番指導した広澤は来なかった >>245
ダウンスイングといえば、王の師匠でダウンスイング教祖みたいな荒川がヤクルトの監督やってたなぁ。
大杉は荒川にダウンスイングに改造されて打撃不振になり、
オフに毎日室内でマシン特打をして必死にスイングを元に戻したとか。 >>318
野村監督が監督を引退した時、広澤が空気清浄機をプレゼントしたら、
野村監督に「こんな安物使えって言うのか?」とか言ってケチつけられた。
数年後、広澤が野村監督の家に行ったら、野村監督がその空気清浄機を大事に使ってた。
という話を思い出した。 杉浦のHRはすげーかっこいいんだよな
角度がいいのか
あと篠塚のHRな >>182
ヤクルト本社の営業本部長だったかな?
野球終わってビジネスマンとしても成功したぐらいだから、それなりの人物なのだろう 昔のヤクルトは外車禁止とか、エースの安田が庶民感覚を忘れないようにとオフに配送のバイトをしたりな。
そういう地味でおっとりしたカラーで、杉浦もそれにぴったりハマっていたな。 いしいひさいちの描くヒロサワは傑作だったな
タブチくんやヒロオカ監督より特徴をつかんでいたような >>184
栗山とか広沢いるときは暗黒時代の末期。
暗黒時代の1番ひどかった頃は
1 遊 渋井敬一
2 三 角富士夫
3 左 若松勉
4 一 大杉勝男
5 右 杉浦享
6 中 ハーロー
7 二 渡辺進
8 捕 大矢明彦
9 投 鈴木康二朗
このあたりかと 92年は濃かったな、荒木の復活登板、田村から八重樫同点土橋サヨナラの連続ホームラン
八木の幻のホームランとか 広澤はセンターから右に高く上がるホームランが印象深い。まさにホームランバッターの打球。当時四番任せるなら広澤しかいなかっただろう。 広沢は荒っぽいけど穴がないというかな?
ここに投げれば大丈夫みたいなコースがないから、四番に使いやすいかも お前ら元記事読めよ
広澤批判なんて元記事には走塁ミスの箇所以外は
存在しない
全部キチガイマスカレードの捏造だぞ >>184
広澤克実が在籍してる時点で暗黒じゃない
暗黒ってのは武上四郎監督そのもののことだ やっぱり杉浦さんはちゃんと見てるよな
土橋さんと関根さんが我慢に我慢を重ねて育て上げた
戦力がまずあって野村克也は勝つための暗示をかけた
野村は「勝ったら全部オレの手柄」だもんな 文章じゃ広沢が好きでネタにして笑いとってるのか、
ガチでむかついてて忘れられないほどなのか
どっちか分からないな >>336
杉浦のウィキによると、ヤクルト監督になる前の野村スコープで解説した試合をビデオに録って研究していたとか 日本国内に流通している覚せい剤の多くは
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)
が手配している訳ですけれども
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)
から覚せい剤を入手している人たちは
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)
に決定的な弱みを握られてしまう訳で
パヨク(ゴキブリ在日韓国人)
の言いなりになってしまいます
<*`∀´>
「言うこと聴かないと
シャブを回してやらないニダ!」 >>336
まあそういうのは9293あたりかな
95 97 は広沢も居ないし池山はけが勝ちで戦力交代期
稲葉や宮本や一久なんか育成しながら勝ったからね 1、2、3の出合い頭みたいなホームランは記憶に残ってるわ 広沢は、ヤクルトでFA宣言する前からなぜかジャイアンツ戦のテレビ中継に呼ばれて出てきて、槇原の投球のクセをバラしてたんで、何だコイツって思ったね。
そりゃ元同僚に嫌われるだろう。 >>336
「一年目に種をやり、二年目に水をやり、三年目に花を咲かせる」by野村
に対して、それじゃ荒地を耕したのは土橋と関根だなって、当時よく言ってたわ。
でも古田ってピースが加わったからこそ黄金時代が訪れたんだけど。
外野手飯田も古田の加入でキャッチャーから弾き出されたから誕生したわけだし。 >>267
昔の広沢虎造の人気といったらそりゃあもう凄いもんだったそうだ
年配の人にとっては広沢といったら虎造なんだと思う
まあ俺も杉山といったらサンダーだし上田といえば馬之助なわけだが 巨人に移籍して最初のヤクルト戦の試合前に野村に挨拶してな、
「どや?憧れのユニフォームの着心地は?」とノムに嫌味言われて下向いてたな >>324
1水谷2角3若松4杉浦5マルカーノ
6八重樫7小川8渡辺9尾花
1番水谷2番角は暗黒時代の象徴 杉浦さんは表立って他人の批判をする人じゃないからな
話は変わって、この時代のヤクルト選手でファンサービス最低は八重樫。
相手が子供だろうと誰であろうと、サインや握手に頑張って下さい等の声掛けは一切無視。
ある年、八重樫が極度の打撃不振で投手よりも低打率の時、
神宮の外周道路で開門待ちの時に八重樫が通り掛かったから思わず「八重樫、働け!」と言ったら、
「何だこの野郎!」と鬼の形相で怒鳴り返されたっけ。
大杉引退後のヤクルトでは喧嘩最強と言われてた八重樫だったから正直ビビったけど、
「何だ聞こえてんじゃん。無視じゃねーのかよ?」と思ったのも事実 >>130
その明治の監督様が考えないタイプの代表だったんだが マスカレードに釣られて広澤克実の中傷しかしてない
知的障害者だらけ >>344
古田敦也の指名は野村とは無関係に決まってたし
古田の指名を妨害したのが当の野村なんだもん
関根さん3年目の時点であとは抑え投手だけって
ところまで戦力は整いつつあった >>179
上手いこというなw
現役選手にも関わらず迷惑なチンピラボコったのは早くも見切りをつけていたからか キチガイマスカレードのせいで誰も杉浦さんを
語らない
まあゆとり世代には語れないか >>61
悪気がないところが合わない人にはとことん合わないんだろうな 広澤と広岡は親戚との記事を読んだことがあるが本当なのかね? このインタビューの前編も読んでみ。
広沢のことを決して悪く言ってなくていいバッターに名前上げてる。
スライディングの部分だけの批判だから、冷静な対応だよ。
杉浦 確かに向こうもすごいけど、こっちだって戦力は充実していましたから。
広沢(克己/現・広澤克実)、池山(隆寛)、飯田(哲也)と、意外性のあるいいバッターがそろっていましたし、
(ジャック・)ハウエルもいいバッターでしたからね。 広沢虎造由来は本人がそう言ってるが多分嘘
本名由来 杉浦享なんて選手いたっけ?
石井も鹿取も広沢もしっかり覚えてるんだが全く記憶にない >>153
いやレフトを固定しなかったのはわざと
でも競争ポジションを作っても彼らは結局準レギュラー
にしかなれなかったという 野村と長嶋と星野の元で野球やったのは広沢だけ
この3球団で4番に入ったのも広沢だけ 名前忘れたが斉藤雅の顔も見たくないとわがまま言ってた外人の4番
斉藤が投げそうな時に4番に偵察メンバー入れてたな
んで斉藤先発だと4番杉浦
池山も広沢も全く打ててなかったが杉浦はそんなに苦手にしてなかったな >>330
というかこのメンツが揃ってて最下位ってのが
暗黒の根深さを物語ってる
武上四郎はプロ野球史上ワースト監督だよ >>372
あーそうそう
ワニ食う奴
斉藤相手だとクルクルバット回ってたw >>194
確か野村は
杉浦の晩年時に
ケガさえなければ
超一流になっていたと持ち上げていたが
本当にそんな凄い選手なのか? 動画見たけど、やっぱ日本シリーズは昼だよな
ドラフトもそうだけど平日昼〜夕方の非日常性が良いのにな 富士重工に就職予定だったがプロ入り
引退後はヤクルト本社で要職に。
野球やってなくても成功した人だろーねぇ。すごい。 授業中に隠れてラジオで日本シリーズを聴いたのを思い出す
清原のドラフトも教師がテレビで見ていたのか教室に入るなり巨人は汚いねえと言っていた >>376
その「ケガさえなければ」ってのがめちゃくちゃ難しいんだけどな
野村自身もそうだったが超一流ってのはとにかくケガに強い >>361
純粋な日本人なら5代くらい遡ると結構な人と親戚関係になるよ
血縁は関係なくね 【速報】セブン・イレブンで70%返還祭り
mercariをインストール
↓
招待コード JDFWCM で300Pを入手
https://pbs.twimg.com/media/D5dR-xoX4AU0lvH.jpg
↓
アプリを使ってセブン・イレブンで買い物する(酒タバコOK)
↓
翌日70%が返還される(最大2500P)
↓
付与されたポイントで買い物して更に返還 >>3
>あの頃は「酒は飲むな、白米は食べるな、タバコは吸うな、遅刻はするな」など、
>とにかく厳しい時代でした。
板東
「広岡さんはヤクルトの監督当時でも新栄の寿司屋でバクバク寿司食べてたで」 ライトスタンドで見てたけど
ボールが向かって飛んできて最高だった 広沢は怪我ないし1塁と外野守れるし
中距離砲の四番としては充分なんだよなー
天然ではあるけど 野球知らない人も広沢きっかけで野球に興味を持ってしまうな・・・ >>376
レギュラーに定着したのが26歳という遅咲き
それで通算安打数が1500本近いってのは凄いよ >>351
1988年の関根政権ヤクルトって優勝した
シーズンより好き。確か池山広沢30本そろい組。
なんか楽しそうに野球していて新時代の東京球団な
イメージがあった。それに比べてかの盟主球団は
古臭いいかにも昭和的な感じがあった。 広沢が韓国ドラマにチョイ役で出てきたときは盛大に吹き出したわ 野村って、実績の割に人がついてこない理由がわかるな バットスイングの速さ二強
杉浦享(ヤクルト)
清水隆行(巨人) >>394
清水は800グラム台の軽量バットだけどね 広岡時代、玄米はいいが、ちゃんと発芽させて毒を抜いていたのか気になる。物凄い面倒くさいよ玄米は。部屋臭くなるし。 減量中なのでノムさんの寿司の誘いを断ったらマジギレされたって話が好きだな
あと当時の選手名鑑で選手の趣味がゴルフとカラオケばかりなのに杉浦だけ漫画だった >>394
読売ファンなら清水じゃなくて淡口と言う所だね 杉浦さんは高卒ドラフト10位だからなかなかチャンスが
巡ってこなかった
広岡監督が外野手のロジャーを解雇(内野手のヒルトン
を代わりに獲得)したことで外野の一角が空きポジション
争いを勝ち抜いてついにレギュラーになった >>204
平成のネット時代って衝撃だよな。
昭和の時代、広澤も矢沢永吉も帰化チョンだなんて知らなかったわ >>391
わかる
一茂ブームもあり、伊東が最多勝とか思い出深い >>391
栗山英樹も規定打席にわずかに届かないながらも
.331という高打率を残してるしね
何がダメだったかって抑え投手がおらず伊東昭光を
抑えに配置
その結果先発投手が足りなくなるという悪循環w
ドラフト成功で投手陣の層が厚くなるまでもうちょっと
だったんだよなあ >>391
関根さんは広沢池山に思い切って行けって自由にやらせたんだよな
でも二人ともは三振が130越える勢いで
さすがの関根さんももちっと三振を減らして
って泣きが入ったとか 広沢のあのふてぶてしさはいいと思うよ
好きじゃないけどチームには必要なタイプだと思う サヨナラ満塁ホームラン
1992年 日本シリーズ 西武×ヤクルト ※ヤクルト・杉浦
2001年 ペナントレース オリックス×近鉄 ※近鉄・北川
2016年 日本シリーズ 広島×日本ハム ※日本ハム・西川 物凄くぶっちゃけてるな。ここまで元同僚腐してるのは見たことがな、
面白いけどw 球辞苑に出たときだったか、
初球は絶対振らん、
追い込まれても
打てるとか言ってて
実際成績残してるからすげー、
って思ったわ。 >>24
おっ、その試合俺もおったかも
ホーナー幻のホームランの日かな? >>74
通算50勝もしてないギャオスにまで嫌われる始末wwwwww ホーナーが来た87年、志願して広沢が即席のホーナー打撃教室に弟子入りしたんだけど…
大した進歩が見られなかった事は言うまでも無い
でもあの年の
3 杉浦
4 ホーナー
5 レオン
6 広沢
の打順の並びは破壊力抜群で恐ろしい(でもシーズン順位は4位) >>300
若松、渋井、八重樫、杉浦、マルカーノ、角 >>370
大杉が引退直後に出した本は
数ある球界暴露本の中でも一番ぶっちゃけってたな。
あそこまで個人名出して事細かに内情を書いた有名選手の著書ってそうは無いわ。 >>391
一茂がルーキーでオモチャにされてた頃か
確かにバブル期の神宮外苑の雰囲気も相まってトレンディー()な感じがあったな
関根監督も何気に原宿出身だしw >>1の原文から、広沢批判が削除されて、走塁ミスだけになってるんだけど、何か言われたのか? >>74
これって別に嫌ってるとかじゃねーだろw
ノムさんも言ってたけど、
この広沢のミスがあったからこそ
ギャンブルスタートという作戦が生まれた。 阪神広島戦の試合前、バルディリスがバッティング練習していた
その後ろにその年コーチになった広沢がいた
バルディリスの練習に見向きもせずに駿太とじゃれあって大笑いしてる広沢を見て大嫌いになったわ >>425
帰化したのが大学在学中だから多分五輪の為。 杉浦ってホームラン打ったあとのバット投げがクルクル回っていたイメージ >>391
掛布の引退試合に、掛布の地元で掛布に憧れ
ていた現監督が掛布の目の前で満塁ホームラン
打ったのは別の意味で忘れられん
現監督は阪神キラーで他では全く打たないのに
阪神だけはホームラン打ちまくった印象は強い
この年は何気にヤクルトは印象ある試合がおおい
・東京ドーム初のホームランデシンセイ
確かヤクルト監督候補だった長嶋茂雄の目の前で
打った
・有名なガリクソンから一茂プロ初ホームラン
・新外人呂初打席初ホームランは神宮で
柴田恭兵の目の前で東京ドームサヨナラホームランも
放つ
・星野仙一中日第一期優勝を目の前で見る
・掛布引退試合の現監督逆転満塁ホームラン 92-93の日本選手権は、自分の中で至高の14試合
本当に面白かった >>414
投手陣がみごとに弱かったからな
尾花ぐらいしか計算できんかった
観客集めのために、ドラフトを野手中心に絞った挙げ句
打線は広沢や池山など期待の長距離が増えたが
投手陣が弱小すぎたために勝てなかった
だからこそ野村克也は投手陣をかき集め
西村や石井や高津などで投手陣を強化し
黄金期を築いた
のむさん時代が強かったのはIDいうより
戦える選手が揃ったドラフトや外国人の強化に
尽きる >>1
ほとんど捏造スレタイだな
オリジナルも刺激の無い記事をなんとかしようと無理くりなんだけど
素人が余計なことして更に・・・ 杉浦って今は絶滅危惧種のダウンスイングバッターだった記憶 杉浦はスタイルは若松と淡口の間みたいなイメージかな >>430
でも昔からけがが多いからノムさん時代もなかなかそろわないんだよ
結局やりくりになる >>434
コラージュ継投とか野手投手とも交代枠使い切っちゃうとか
ノムさんのやりくりは観てて楽しかったわ >>433
若干スケールダウンした簑田浩二って感じ? 広沢は試合前ノックをダラダラやってたのは間違いない。特に巨人時代の外野ノックとか酷かった記憶がある >>436
俊足を失ってHR狙いに変えたあたりは門田にも似てる >>431
いや、元記事が変わった。
スレが立った頃は間違いなく書いてたよ。
広澤克実に猛烈に腹が立っていた
→広沢のスライディングはベストではなかった
に文章が変わってる。
>杉浦 大きく変わりましたね。池山にしても、飯田にしても、古田にしても。でも、ひとりだけ変わらないヤツもいましたけど。のちに巨人に行ったり、阪神に行ったりしたヤツです。
ここの部分も今は削られてる
なんかクレーム入ったんかな? 才能だけでやってた山崎も
晩年は野村の言うこと聞いたのにな 俺は亨を信じるよ。
あの逆転満塁ホームランは何者にも変えがたい感動たった。 >>427
若松って優勝のあとの胴上げがクルクル回っていたイメージ 杉浦と秦のさよならホームランは球場で見たなあ
結局このシリーズは負けるんだけど
言い古されてるけど、この2年は本当にロッキー1.2みたいで野球の面白さが詰まってるよね
もう一線を退いてた岡田さんを見れたのもいい思い出 >>1
???
俺の中では既に故人だと思ってた
俺は誰と勘違いしてるんだろ? ダメ押しの広澤の悪口の部分カットされてんな
なんか言われたのか 高校野球の応援って若松の応援歌で
おまえはいいおとこ〜♪って言ってる
杉浦の応援歌だよね
お〜まえは〜いいおとこ〜♪っていう歌詞は
杉浦は監督もやらないし張本チックなのかと思ったら
どっこいヤクルトでサラリーマンやって管理職まで務めていた >>449
そして明けて1994年は慢心した野村ヤクルトは4位
(最下位ベイスターズと1ゲーム差)に転落し森西武
はパリーグは危なげなく制したものの日本シリーズ
では決着前に監督解任のニュースが流れるそんな
激動の年だった 85年のイメージ強い
普通に日本人最強打者だったな
後輩に手厳しいのね、92なんて最晩年、広沢はチームの顔だったか >>454
成績が凄いが現役知らん世代としては
張本はただの基地外虚カス爺だからな 走れなくなってから打撃開花、門田に似た
金本も広島時代よりも晩年阪神で打撃専な時が一番だったね 杉浦に代打満塁サヨナラホームランを打たれた西武首脳(おそらく伊原?)の
「外野フライと一緒」(延長裏同点一死満塁なので犠飛でも負け)という
悔しまぎれの談話は覚えてる >>434
のむさん野球はその年だけの全力野球だけに
どうしても翌年度は疲弊が出やすくなった
いかに当時のフロントが有能だったかがわかる
95年だと広沢とハウエルだして、オマリーに
吉井にブロスにミューレンだからね
のむさんは巨人の金満だと批判していたが
ヤクルトも大差はなかった ただあの広沢がホームでアウトになったのって
スローで見るとセーフに見えるんだけどどうなんだろう ノムさんがあそこで広沢に代走
しなかったからこそ今の世界がある ハウエルと巨人に来たときはぶっちぎりで優勝すると思ってたらまさかの大コケだったな
成長株の松井に斎藤沢村賞、桑田靭帯断裂、原引退と濃いシーズンだった 広沢って俊足らしいな
西武秋山清原に迫るポテンシャルがあるのに二流スラッガー感の広沢に歯痒さがあったんかね あのシリーズは凄かったねという昔話で
さらに昔の最初の優勝メンバーが活躍するという
この歴史がたまらん >>120
すごいスイングスピード。またバット投げがかっこいい! >>442
ノムさん若いなw
この時代切れ味あったなあ
阪神楽天では狸爺になってすっかり錆びついてたけどw 元記事の内容変わったのか
修正前の方が良かったのに ライトスタンドに突き刺さるようなホームランは芸術的だった
>>468
苫篠やら栗山が入ってくるまで池山と広沢は俊足扱いだったような・・・ >>330
渡辺って、ヤクルトへの貢献度かなり高いのに今、何処にいるんだろ? >>460
事実だけどね
外野に運ばれた時点で西武の負けは確定 >>411
おお!まさにその日!
まさに弾丸ライナーで凄かった >>475
しばらくフロント入ったり、二軍コーチやってたけど、今は日立のコーチやってる >>475
もう定年迎えたと思うけど、コーチ→球団フロントだと思うよ。
ホントヤクルトは生え抜きOBには優しい。 >>478
ググったらまだコーチしてるんだな。
そして加藤博人も日立でコーチしてるとか。 >>480
加藤博人のカーブは凄かったよな
まるで魔球のようだった 広沢はバックが面倒だから 清原と仲が良くて帰化したあれ >>348
八重樫は打撃不振の時【お仕置き】って応援団が言って、応援しなかったことがある
そして【働け】って言われてた現監督 明治 星野の子分 つまりバカ。
1992年日本シリーズ第1戦 杉浦代打サヨナラ満塁ホームラン
https://www.youtube.com/watch?v=nsvXE1brBcQ >>287
杉浦って姓は愛知に多い。
南海の杉浦も、俳優の杉浦直樹も愛知県出身 >>480
加藤は子どもにも丁寧だったからなんか嬉しい おまいらこの試合リアルタイムで見てた?
見てた人はだいたい45歳前後? >>485
いやいや、外野のツバメ軍団応援リードのF木さんやI野さんが
「そーーれ、はったらっけはったらっけ やーえーがしっ!」
と応援席のファンに3連コールを強要してた事も有ったぞw
(岡田正泰団長来場前の早い時間帯) >>493
うん、観てたよ
ちなみにミラクルジャイアンツ童夢くんと同い年 広沢って巨人行ってわざわざヤクルトの指導者手形をフイにしたと思ってたけど
これ見ると怠慢プレーで浮いていたようだからどの道駄目だったかな? 武上-土橋の暗黒時代を知るヤクルトファンでも、
広沢だけは将来指導者になると思ってた人は本当に少数派だったと思うね
打撃理論ゼロでいつまで経っても素質だけで野球やってる感満載だったし 広沢って大学時代に帰化をしている在日なんだね
このスレで知ったよ なんか広澤って山崎武志と性格が丸かぶりなんだよな
ガキ大将がそのまま大人になっただけ
でも何故か両者ともノムからは好かれてるんだよね 「マジレスするとトラというあだ名は関根潤三監督がつけた。
昔、広沢虎造という超大人気の浪曲師がいて、
関根さんの世代が広沢と聞けば虎造を思い出すはず。」
―「じゃあ関根の命名のトラと広沢の韓国名に入ってる「寅」は奇跡の偶然ということ?
「・・・・・・(何も答えられない)」 関根監督時代の80年代後半とかはネット社会でもないし、
選手の出自や国籍なんて誰も気にしてなかったし知らなかったが普通だったんじゃないの?
王さんだって別に何とも思われてなかったしね。
ネットに毒されていつまでも粘着している方が本当に気持ち悪い >>468
地肩も強かった。守備そのものはあれだったが>広澤 >>499
山崎は、火事で逃げ遅れた乳幼児とか数人を救った優しいところもある >>481
YouTubeとか探しても1989あたりの映像がないんだよなぁ。
全盛期のカーブがまた見たいわ。
ヤクルト黄金期の話になると野村監督、古田の話が中心になるけど、
池山・広沢はもちろん、内藤や加藤、栗山、とましの(スマホだと変換できない)、おまけで一茂の活躍があった関根監督時代があってこそなんだよね。
1988-89がヤクルトの明るい未来を暗示してた。 >>502
確かに応援歌でも「肩も強い大物だ」って歌われてたわ >>11
毎晩夜遊びして古田ら後輩を連れ回してたからFAで消えてヤクルトが更に強くなった >>234
意外と池山広沢が関根より野村に心酔というか指導を絶賛してるのもまた面白い >>501
出自を気にしなかったからこそ、韓国名に入っている名前をあだ名にした、という因果関係になるのが普通なんだけど、
君の因果関係は飛躍してない?
国籍はロス五輪に出場できるか否か、という決定的な違いをもたらすから、球界関係者が知ってても全然おかしくないし。
じゃあ君はあだ名と韓国名の両方に奇跡的に「トラ」が入っていたということ?
勝手に関根潤三命名とか根拠もなく適当な情報を流しましたすみません、と言えば済むことなのに。 仮に偶然として、奇跡的ってほど奇跡でもないと思うけど >>509
昔の芸能人から付けたあだ名と、あだ名を付けられた当人の元の名前の1文字が同じ読み方って、天文学的な奇跡と思うが。 >>508
安価も付けられてもないのに反応しなくていいよ。ウザいから。
もう君はNGね。 >>61
悪気がないクズって素がクズってことだからなw 大した選手でもないのに文句ばかり言ってたよなこいつは。サッカーで言うとクソ人間の木村和司みたい。こいつは死ねばいいのに >>511
じゃあじゃあ君はあだ名と韓国名の両方に奇跡的に「トラ」が入っていたという認識でいいんだね?
答えられないなら答えられないでいいから、教えてくれたまえ。 いや、普通に同一IDのこれらが広沢虎造の根拠って苦しすぎないか?
デシンセイがいた88年に関根監督がトラと呼んで、てめえの親が広沢虎造の話をしただけじゃんw
>>236の
>俺もリアルタイムで、関根監督が「トラ」とか「デーやん」とか呼んでいたのをテレビで聞いたよ
>>230の
>おまえは広沢虎造の昔の人気を知らない 俺は親に散々聞かされた
>>220の
>広沢虎造の浪曲は毎日のように放送され、全国で大人気。
>関根さんの世代が広沢と聞けば虎造を思い出すはず。 >>197
結果出してないと出来ないやり方だからな
だから野村は阪神じゃまったくもってダメだった 広沢は小学校が同郷だから悪く言われるのは正直複雑
まあでも意識低いならしょうがない >>501
>王さんだって別に何とも思われてなかったしね。
お前頭悪いなあ
王さんだって何とも思われなかったけど、中国大陸にルーツがあることが知られていたからこそ、
「ワンちゃん」っていう中国語読みのあだ名がついてたじゃん。
本当に頭悪いなあ。 >>481
加藤は魔球のような縦のカーブ(横にも大きく動いてた)と、
それ自体はプロとは思えないくらいのヘロヘロひょろひょろのストレートで、
観る価値のあるユニークな投手だと、他チームファンながら楽しめる投手だったな。
数年後、急にやたらとストレートが速くカーブがイマイチになって、
面白味のない投手になったが。
速ければいいってもんじゃなくて難しいもんだなと感じた。 杉浦って、
すぎうらー、すぎうらー、おまえーはいいおとこー!!
の杉浦? >>521
うん
すぎうらー、すぎうらー、たーよりーにーなーるおーとこー
の杉浦でもある >>520
97年に優勝したとき150キロくらい出してるのを見て本気で別人かと思ってた 若松は やさいージュースー 飲むとチビになるー だなw 92年はシーズンも楽しかったんだよな
荒井がノムさんにポカリって叩かれて「殴られたほうより殴ったほうが辛いんですよ」って
ノムさんを庇う談話を出したり、ノムさんも翌日みんなの前で荒井に謝罪したり
ゲーム運びもだけど選手達のエピソードもドラマ性のあるチームだった 1985年の阪神が優勝を決めた試合は、
相手のヤクルトのクリーンアップが若松・杉浦・八重樫とマニアにはたまらない3人だった >>523
「面白いカーブを投げる」ってだけでテスト合格した投手が、
数年後にあんなストレート投げられるようになるとはね。驚き。
個人的には、加藤というと、そのすぐあとに出てきた鈴木平も思い出す。
こっちは対照的に右横手で、右打者の背中のほうからアウトコースに向けて
横に大きく曲がりながらさらに浮き上がってるように見える
(テレビ画面では)カーブを投げてたのが、加藤との対比もあって印象に残った。 荒井幸雄もアマ時代は全日本の四番だったんだよな
でもヤクルトは応援歌の他選手への流用が多かったね
思い付くだけでも
杉浦→稲葉
大杉→広沢
ホーナー→古田
レオン→加藤博人(投手)
水谷→宮本慎也
角→辻発彦
栗山→岩村
渡辺→佐藤真
パリッシュ→城
マルカーノ→ペタ・ラミの前奏ファンファーレ
他にもまだ有るかもだけど、流用無しは
若松さん、池山、八重樫のテレ朝曲位かな??
ハウエルもロブロに流用だったし
稲葉は法政マーチのままでも良かったかも。 >>518
広沢って、巨人へいって、ほとんど活躍しなかった人だっけ? >>518
ソース見ると広沢を悪く言ってる部分はない
1の捏造 思い出したw
長島タコ茂のお守り役だったデシンセイの曲が、
投手の宮本賢治に移管された時は笑ったな
曲の後半の歌詞が
「投〜げるシンカー1級品、サブマ〜リンけ〜ん〜じ〜」だったな >>529
あと、ミューレン→バレンティンだね
同じオランダ領つながりで ――背番号8のチームリーダーですか?
杉浦 さっきのスライディングの件にしてもそうですけど、みんなが「あの悔しさを忘れない」と思っていたのに、当の本人だけはあまりそういう意識を感じられなかったのが、とても残念でした。
1992年の日本シリーズ中にもシートノックを受けているときに「なんで、こんなことをしなくちゃいけないんだろう」と言っていました。
四番打者がチンタラしていたらチームのムードに影響するので、「お前のための練習なんだから、きちんとやれ!」って怒鳴りましたよ。
結局は、試合でも暴投したんですけどね。 >>531
だーかーらー
ソース元が記事を変えたんだって >>534
あ、それはバレの前に一瞬スミス(ペタ初年度と同年)にも使ってたね
後はブロハード→ラミレスも思い出した >>481
鶴太郎似の長嶋が
ストライクなのに腰引いて逃げちゃったという >>501は、王さんの威を借りて>>519で藪蛇だったことが分かったね笑 応援団長だった岡田のおっちゃんは今でも神宮のライトスタンドに祀られてるのかな? 当時さ、
杉浦、八重樫、角、金森
って代打4人いたよな!?
打つのはいいが、代走やら守備固めいれたら、野手控えいなくなるじゃんって思ってた。
ベテランの香りがプンプンするよな >>487
理由を森が直接野村に聴いてる
森 後日、この場面について野村監督に「なぜ、勝負したのか?」聞いたことがあるんです。
すると、野村さんが言ったのは、「塁上には辻と秋山。打席には奈良原となると、3人の俊足選手がそろうことになる。
しかも奈良原は小細工が利くし、何をしてくるかわからない。まったく読めない」と言うんだね。その結果、「秋山なら三振を取れる」と考えて勝負したそうです。
でも、岡林の投球が甘くなって犠牲フライを打たれた。もしも、ボール1個分外に行っていたら空振りだよ。そんな駆け引きが、あの場面では行なわれて >>536
ああ、本当だね
https://web.archive.org/web/20190430230019/https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2019/05/01/___split_72/
捏造ではありませんでした 西武にシリーズで負けるなら阪神優勝させろやって思った92年 日本三大亨
1杉浦亨
2小川亨
ファーストストライクを決して振らないところまで似ている 野村克也の本にあったが小川亨はいつもは初球を振らないけど、ごくたまに振るんだと
そういう意外性もあって攻めにくいとかなんとな >>543
松本匡史への評価といい、野村はよっぽど足にコンプレックスを抱えてたんだな 野球で杉浦と聞いたらこの人よりアマでオリンピック出てたピッチャーの方が思い浮かぶわ パンチ力のある打者やったな。この頃は若松、大杉、八重樫と凄い打者揃ってたな あと杉浦のライトポール際のホームランを何回見たことか。勝負強かったわ 92年の日本シリーズって、ヤクルト側はたった6人しか投手使ってないんだね
岡林以外では、病み上がりの荒木や、新人で一軍未勝利の石井一久を先発で使ったりしてるし >>481
オープン戦で打席に立った門田が
デッドボールを恐れて後ろにのけぞり倒れたことがあった
そのボールはたしかストライクだったように記憶してる
曲がり方が尋常じゃなかったね >>553
それを言ったら長嶋茂雄の大学の同期の南海のエースじゃね? >>527
確か先制ホームラン打ったのが杉浦だった
はず >>248
オレヤクルトファンでもないのにこのトランペット覚えてるなあ
この2年のシリーズだけで刷り込まれたのかな 外国人打者が揃いも揃って使い物にならなかったため、他球団でプレーしていた
マルカーノやレオンを獲得してたな 万年最下位で暗黒時代だったはずなのに、今思えば超魅力的な選手が揃ってたという不思議
若松大杉杉浦八重樫角富士夫水谷尾花梶間安田荒木大輔 八木のあの打球がホームラン
だったら、阪神が日本シリーズに
出てたな 映像見た限りでは一度戻ったとかじゃない、
スタートするのに体重がかかったというだけだな。
そもそも、広沢に前進守備の内野ゴロでホームでセーフになれとか、
そこまでの走塁を求めるほうがおかしいだろどう考えても。
野村監督が勝負どころと考えずに、代走を送らなかった。
これが全てだよ。 >>567
その顔ぶれでわかるが先発投手の層が薄いしレベルが低いから暗黒もやむを得ない
大洋にも言える事だが 池山ほど華のあるショートなかなか居ない
坂本勇人くらいか? 二桁勝利が計算できるのが尾花しかいなく(しかも勝利より敗戦数が毎年多かった)
荒木、高野はギリギリ二桁勝利に届かない、先発の柱だった梶間も故障で伊東が中継ぎに回りながらも
最多勝になるなど、投手のやりくりには相当苦労してた >>574
高野はとても才能ある投手だったのに、先発と抑えの両方とか変な使い方されて気の毒だったな。
強い球団入ってれば普通のローテーションなら歴史に残るような投手になったかもしれないのに。 高野はいかにも気が弱そうだったし
球は速かったけど球種が少ないから
狙いは絞りやすかった
荒木は対して球種がおおかったからうちにく
かったけど
怪我しやすい体質で素質をつぶしたようには
見えた
それよりは中継ぎが見事に皆無だった
金沢とかサッシー酒井がきたときなんか
絶対打てるってガッツポーズしたもんな
乱橋、阿井、中本
中本なんかは金田氏がえらく評価していたが
伸び悩んだ
あとは大川
素晴らしいぐらいに特徴ないピッチャーだった >>556
さらに2年前の平成2年巨人は130試合を10人だけで投げ切った
時代が違うな >>127
中田は状況を判断したマン振りで三振かポップフライだぞ、
今や守備の人、中田 プロ野球ニュースで自主トレ中に取材を受けた広沢
「朝は何時からトレーニングですか?」
「毎朝6時からです!」
「早いですね」
「ええ、6時から布団の中でイメージトレーニングをしています」 広岡達朗がラジオで「もし体がもっと柔らかければ三冠王も取れたバッター」言ってたな
体が硬いから怪我に弱いんだと そう言えば高野は引退後に嫁さんと娘の前で自宅マンションから飛び降り自殺したんだよな・・・
なじられたんかな・・・ >>567
その面子って、
巨人戦は全試合テレビ中継され、巨人戦以外もセリーグは積極的に放映されてた時代に、
セリーグの野手レギュラーだったというだけで名前を覚えてもらっているけれど
実績的には若松と尾花以外は全然ショボイ顔ぶれ。
そら最下位だわって話でしかないぞ
(※大杉はハム時代は凄い選手だったが) とにかく広沢はチャンスに弱かった印象しかない
代打若松のほうがよっぽど頼りになった 少し時代は後になるが、ヤクは荒井とか土橋とかほんと味がある選手多い 92〜3年ごろは日本のプロ野球の頂点、最後の輝きだった。そこからサッカーに移行してゆく >>582
当時10歳の娘さんが通報したんだよね 痛まし過ぎる
それ以降ヤクルトは引退選手に更に手厚くなったらしい
乱橋も2016年の50歳まで打撃投手兼コーチとして在籍してた >>586
再生工場で再生したベテラン勢も味わい深い
・金沢次男
・新浦壽夫
・角盈男
・金森栄治
・大野雄二
・青柳進
・野口寿浩
・佐藤真一
・辻発彦
・吉井理人
・田畑一也
・小早川毅彦
・廣田浩章
・野中徹博
・馬場敏史
・渡辺久信
・高木晃次 あの日本シリーズは飯田の落球がすべて
エラー扱いではなかったが >>439
マジかよw
捏造インタビューにされた杉浦かわいそう >>592
勝手な推測だけど、杉浦側が
「これじゃ、単なる広沢の悪口になっちゃってるよ〜」
って記事の書き換えを頼んだんじゃないかな?
発言もきっと嫌っているというよりも先輩が後輩を叱る感じの意味合い、注意しても響かない後輩への小言みたいな感じで言ったんだと思う。
杉浦はそのくらい優しい印象。
この連載でヤクルト側・西武側共に広沢の走塁をボロクソ言ってるから広沢側のクレームではないと思う。 乱橋は名前の通りよく乱調する投手だったw
渋井は名前の通り渋い選手だったw 当時広澤はお嬢さんスライディングと馬鹿にされたけど
広澤自身には言い分はあるみたいだ
なんかの記事で見た >>376
杉浦いうたら3割30本打ったことあるバッターや >>598
再生工場だから野村のとき限定か
済まんね >>194
いや、杉浦にとってそんなことどうでもええことやから >>590
野口はヤクルト→日ハムだった。間違い。 杉浦とかからだっけ?打席に入ってチャンテの前にファンファーレのペットが入る奴って。
杉浦はウィークエンダーだったっけ? >>607
ザコっぽい曲やん
クリーンアップには絶対使われんような曲 >>606
解ってて構ってちゃん釣りは流行らない
今時の釣りはもっと巧妙なのが流行りだぞ。
ウィークエンは玄岡だよ 乱橋、大川、中本がきたら間違いなく
大量点思ったもんな
掛布やバースは左関係なかったし >>596
広沢側のクレームだと思う
>この連載でヤクルト側・西武側共に広沢の走塁をボロクソ言ってる
主に技術的批判であって、ここまでの人格批判は無かったろ
杉浦も出る前に原稿チェックしてるだろうから よくG+で原の後楽園最後のサヨナラタイムリー
で西岡洋ってピッチャーが使われるけど
外見が今のG陽岱鋼ににてて外国人みたいな
風貌だったピッチャーがいた
今なにしてんだろ
ホーナーに関したら3連発より暗黒ど真ん中阪神87の
オアシスバース唯一で初めてのサヨナラホームランを
思い出す >>610
スマン、玄岡が判らないわw
違ったっけか?当時の応援で必殺仕事人もあった記憶、気が向いたら調べてみるわノ >>472
楽天がノム野球としては一番面白かったんやで 広沢といえば巨人時代、無気力走塁で恐ろしいぐらい叩かれてたのを思い出す >>24 >>411
ワイもおったでww
1塁内野席やったな
懐かしい >>80
これ。
けっこうばれていて初球ど真ん中に放られていた。
それでも、振る気なく堂々と見逃していた。 いしいひさいちでヤバイのは
広沢が意味不明な文を書いて
それに「ハングルでは?」ってツッコミする4コマ >>285
バッティングフォームだけならパ・リーグのスタイルに近いな、個性的でよろしい。 宮本ってピッチャーもいたなぁ、やたら帽子ん深く被ってる >>208
すげーな
ここまで知ってる人がまだ居るんだ
尊敬するわ 金村と広沢
現在の解説時代含め俺の二大嫌いな野球選手
ラジオ聞いてても今の選手とか、まーったく勉強してないんだもん >>629
コーチで呼ばれるわけでもなくずっと外から見ているだけだからな
デーブは評判悪いがコーチ・監督やって以前よりマシになった >>629
岩本勉なんか絶叫してるだけだもんな
わーっわーっわーっすげー
実況もずに乗るやつらばっかり >>566
1977年:マニエル(外)とロジャー(外)のファイヤー外野陣。2位
1978年:マニエル残留、ヒルトン(内)加入。日本一
1979年:ヒルトン残留、スコット(外)加入で守備力強化。最下位
1980年:スコット残留、パラーゾ(内)加入。2位
1981年:スコット残留、マニエル復帰。スコット大怪我、マニエル
は衰え。4位
1982年:デントン(内)とハーロー(外)獲得。ハーローは途中で
解雇されブリッグス(外)獲得。最下位
1983年:ブリッグス残留、阪急をクビになったマルカーノ(内)を
拾う。最下位
1984年:マルカーノ残留、スミス(外)獲得。やっと武上四郎が
辞める。最下位
1985年:マルカーノとスミス残留。最下位
1986年:ブロハード(外)と大洋をクビになったレオン(内)を獲得。
最下位
1987年:ブロハードとレオン残留もホーナー(内)獲得でブロハード
退団。4位
結局武上四郎のクビを切れなかったフロントが暗黒時代の主犯
なんだけどマニエル獲得のためにパラーゾを切ったあたりから
歯車が狂いだしてるね >>583
あえて揚げ足を取ると大杉勝男は日ハム時代はうんこ
ヤクルトでも1年目はうんこでトレード相手の小田義人が
リーグ2位の打率を残しちゃったんで大失敗トレードだと
言われたもんだ(伝聞ですよ念のため)
八重樫幸雄は出場機会に恵まれなかったから通算成績
が寂しいがレギュラー時代は結構な成績を残してるぞ
角富士夫も全然悪い成績じゃないぞ >>627
ホエールズキラーだった宮本顕治・・・じゃなくて
宮本賢治 >>633
6年連続30本、3年連続40本の大杉ハム時代をウンコというならもう何も言えんし
その割りに100試合超え6年だけ、キャリアハイ.301 通産で打率.262 出塁率.319 OPS.711の角は悪い成績じゃないというなら何も言えん 角富士夫なんて守備要員で全然打つイメージないけど、1000安打以上打ってるんだな。立派なもんだ。
八重樫は変な構えから器用に流したり引っ張ったりで、捕手なのに怖い打者だったイメージがある。 別に角が嫌いなわけじゃないんだけど
あのクラスの選手が長きに渡りサードのレギュラーを張ってたということが
それだけ選手層が薄かったということの証左だし
そら最下位だよねっていう話なわけよ >>635
日ハム時代って書いてある時点で察してよw
東映フライヤーズの主力を張本勲を除いてみんな
放出しちゃった三原脩
残った張本も翌年巨人に放出されるんだけど >>636-637
全盛期が暗黒時代だから余計印象が薄いんだろうねw
角富士夫は意外にも1990年にプチ復活してリーグ10位
の打率を残してる 落として上げるパターンかと思ったら
最後まで広沢絶許だったw こんなもんヒット打てない奴が悪いだろ
ずっと自分の中で広沢のせいにし続けて自分のちっぽけなプライドを守ってるんだなこいつ
せこくてダサいわ 澤は日本人しか使えない
澤に改名
在日朝鮮寄生蛆虫だっけ? >>220
>>236
https://blog.goo.ne.jp/grussgod/e/069921ff265eb2990b8897a58921e99f
おいおい、関根潤三が監督に就任(1987年)する前で、
広沢が新人の時(1985年)から、トラって呼ばれてるじゃん。
捏造すんなよ
>>267も自作自演だな、きっと。 広沢の解説聞いてて
妬みや僻みや謎の上から目線や知ったかぶりや嫌なところが満載だなと思ってたら
帰化人だと知った思い出 >>644
土橋監督の頃からイケトラコンビって言われてたよ >>646
だったら、1日に26レスもしてる>>220は、最初から嘘をいうつもりで偽情報を流してたの?
原辰徳の1億円並みに酷い話だ。 >>635
今より全体に打低だろ?そんな悪い数字か?
サードが最強スラッガーポジションな時代だから他と比較すると物足りないかもしれんが >>646
>土橋監督の頃からイケトラコンビと呼ばれてた
↑これはさすがに無理がある嘘。
明大ドラ1鳴り物即戦力の広沢とドラ2で高卒3年目でやっと遊撃に定着するかどうかの池山を
当時のチーム関係者もマスコミも、誰も同列やコンビ扱い等していない
まして土橋政権最終年の池山は遊撃で打順8番が指定席(シーズンHRは5本だったか?)
コンビ扱いがクローズアップされて来たのは関根政権2年目の88年からだ >>644
>>267は私だが、どこをどうすれば自演になるんだ?
私の過去レスの内容を見れば、当時を知る人間のレスだと解るだろ?
ID:ajvG2/Ac0の様な、データをググっただけで当時を知った様なフリをする
適当垂れ流しと一緒にしないでくれ。 >「やりたいのなら残ってもいい」と言われたので、もう1年だけ続けることにしたんです
最後と決めてるなら思い残すこと無いよう全力尽くして頑張ってくれな、みたいなのあっても良さそうだけど
野村ってイメージ通りで人情味全くないんだなw >>652
評価してなかったら、あの場面で代打すらない 杉浦と言えば仕事人のテーマからの曲調が呑気な応援歌への流れが好き ノムさん、広岡、広沢
人物分析が的確でさすがやねえ >>613
西岡剛ね。
一茂の1年前のドラ1だけど、プロでは未勝利に終わった。 >>636
若い頃は左の掛布、右の角と期待されてた選手 >>644
結局、帰化前からの愛称がトラだったってことだよな >>643
こいつのコテハン
統合失調症「オラ悟空」は
芸スポ速報+ノストラダムス予言スレで自分は神の啓示をうけ覚醒した預言者で地震予知ができる教祖と言ってる基地外ババア
大阪在住の50歳無職独身のネット廃人のババア
九州の男で塾員(慶応大卒)というのは真っ赤な嘘
身バレが怖い小心者
もちろん、地震災害予知や覚醒や預言者や教祖というのは誇大妄想(統合失調症)
日本語が破綻している支離滅裂な書き込みを何十連投も続ける迷惑な荒らし
誰ひとり相手にしてないが本人は自己愛性パーソナル障害のため本気で信じている末期の統合失調症
通称 ガチ恋ババア
またの名を大阪の嘘つきガリガリ禿げ河童婆
この婆の巣は
吉井和哉アンチスレで
スレ立て主
YELLOW MONKEY吉井和哉に粘着する有名な基地外
この婆のTwitterは
そら@Spark6K
オラ悟空ことガチ恋ババアは絶対に否定するが同一人物の証拠は過去スレから多数堀ってあり100%です >>621
杉浦の場合は応援歌の前奏を吹き終わるのを
待ってやってた側面もある >>278
巨人もヤクルトもプロのラッパ吹きがいなくなってから
テンポも早くなって聴き応えがなくなったなあと感じてきたな
>>529
青木の渡米前の1年間は若松のテーマだったような >>666
青木が若松さんのテーマ使ってたのはあくまでチャンス時のみ
チャンス青木ってテーマ名になってたはず >>551
飯田赤星鉄平とどのチーム行っても快足の外野手を使って育ててたな >>571
ゲームでしか知らないんだろうが、当時の広沢は鈍足ではないぞ >>628
意味分からん
調べれば小学生でも書き込める内容 御朱印集めする女性の「伊勢神宮の御朱印は努力が足りない。まるでスタンプラリー」に対して権禰宜が本来の意図を伝えて誤解を解く展開へ
http://nutt.yourspecialtees.com/7708233999541/b94 >>659
何のための前進守備かわかってない人も中にはいるから ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています