0001ばーど ★
2019/03/11(月) 17:36:42.67ID:oGvNDuek9と、ここまでが第8回。スヤはこれからどうなるのか、いつ四三と結ばれるのか。そして迎えた第9回。シベリア鉄道の中で監督の大森が咳き込む様子が、繰り返し描かれた。見ている側は肺の病気だろうなと察するし、それを裏付ける場面もあった。
私が感心したのが、舞台回しとしての「咳」の使い方だった。
寝台車で咳き込む大森の背中が映る。夜だ。次に同じ暗さで、誰かが寝ているシーンになる。スヤだ。隣の布団から、スヤの夫の咳き込む音が聞こえる。
ああ、そうか。スヤの夫も肺を病んでいるのか。すぐに朝になる。スヤが縁側で伸びをしている。その向こう、母屋らしきところの廊下に、姑の幾江が正座している。
ここから大竹と綾瀬だけの場面になる。「ばっ、おかあさん」。そう言って綾瀬が驚く。「おはようございます。ニワトリが泣かんけん、寝過ごしました」と言う。大竹は一言も発さず、手招きをする。手の平を上に、力強く、すばやく、2回。
「スヤさん、あんたはよう笑う愉快な人だけん、のびのびやってもらってかまわんばってん、この家にもいくつか守ってもらわんといかん仕来たりのあるとばい」
大竹のこの台詞まわしが、とにかくすごかった。幾江という人間が、一瞬にしてわかったのだ。眼力があり、心が広く、威厳を持って家を運営している。そういうことがたったこれだけで、理解できた。
大竹が演技のうまい女優であることは、誰もが知るところだ。上手すぎて、ちょっと圧を感じるなー、と思ったこともあった。だが、「いだてん」の大竹から感じたのは、確かな存在感だった。
「いだてん」はこれまでのところ、テンション高めに進んでいる。四三役の中村にしても、嘉納役の役所にしても、早めの台詞まわしでワーワーと賑やかな芝居をしている。そこにあって大竹はぐっと抑えた声で、ゆっくり堂々と演じていた。
ああ、こういうところにお嫁にいってスヤはよかった。夫を亡くしてもこの義母はいて、四三との縁がつながっていくのだな。一瞬にして、そんな安心感に包まれた。幾江はスヤに、毎朝水を汲みタライに入れ、自分が顔を洗う間、それを持っていよと命じていた。
ここでまた場面がシベリア鉄道に切り替わる。四三が監督から「朝食の前に、着替えて顔を洗ってこい」と命じられている。咳の次は、洗顔でつなげる。しばらくして、再び熊本に。スヤがタライを新聞紙の上に置く。幾江が近づいてくる。スヤがタライを持ち上げる。新聞に「金栗四三選手、有望」という記事。一瞬目をやるスヤ。きれいな綾瀬の目。
クドカンはうまい脚本家だと、しみじみ思う。そして、既成概念にとらわれない。彼の書いた「あまちゃん」は、「女の一代記」という朝ドラの枠組みをヒョイと超えていた。「いだてん」も同様だ。「歴史上の大人物」は出てこない。「時系列の一代記」でもない。
だから「いつもの朝ドラ」のつもりで「あまちゃん」を見た人が驚いたように、「いつもの大河」のつもりで「いだてん」を見た人は驚いただろう。だから、「いつものが好き」な人は離れる。視聴率も下がる。それがこれまでの流れだろう。
だが「あまちゃん」は回を追うごとに評判が上がり、視聴率も上がっていった。「いだてん」もそうなるに違いない。クドカンワールドを愛する者として、そう信じたい。
「あまちゃん」の要所を抑えたのは、ヒロインの祖母役の宮本信子だった。それと同じ役目を「いだてん」で果たすのは、大竹しのぶをおいて他にいない。
さて最後に、「いだてん」は明治と昭和を行ったり来たりしてわかりにくいとか、古今亭志ん生役のビートたけしの滑舌が悪くて何を言ってるかわからないとか、そんなふうに思っているみなさまへ。「もう、『いだてん』見るのやめようかな」と思案中ならば、こう申し上げたい。
大丈夫、「いだてん」には、大竹しのぶがいる。(矢部万紀子)
3/11(月) 13:00
AERA dot.
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