落選後、カズと北沢は代表宿舎から離れた。日本協会スタッフが希望の行き先を尋ねると、
カズは「ミラノ」と答えた。飛行機移動なら空港でメディアに囲まれるかもしれない。
車を手配しようとすると、宿舎ホテルのオーナーが「オレのベンツを使え」と車の鍵を差し出した。

 フランス語の通訳がグレーのワンボックスカーを運転し、助手席には代表スタッフ、
後部座席右にカズ、左に北沢が座った。ニヨンから隣国イタリアのミラノまでの4時間。
北沢は一言も発さず下を向き、カズも無口だった。

 ミラノ市内に入ると、カズは吹っ切れたように道案内を始めた。
当時はカーナビゲーションがなかったが、セリエAジェノアでプレーしたこともあり、
ミラノの街を知るカズは「次右、2つ目の信号左」と、予約したホテルまでの道を丁寧に伝えた。

 落選から一晩が過ぎ、ミラノのホテルには、日本からのメディアが2社駆けつけた。
落選をどう受け止めているかと聞かれ「今は何にも言いたくないんだよ。なあ? キーちゃん?」と
隣にいた北沢に同意を求めた。いつもは自信に満ちあふれる表情で受け答えするカズが、そう漏らした。
そして「代表の誇り、魂は置いてきた」と帰国の途についた。

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