【野球】平野謙 球史のトップにも立ったバイプレーヤー 1683試合 .273 53本 479打点 230盗塁 1551安打 451犠打
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1980年代。巨人戦テレビ中継が歴代最高を叩き出し、ライバルの阪神はフィーバーに沸き、一方のパ・リーグも西武を中心に新たな時代へと突入しつつあった。
時代も昭和から平成へ。激動の時代でもあったが、底抜けに明るい時代でもあった。そんな華やかな10年間に活躍した名選手たちを振り返っていく。
ドラフト外、背番号81の投手から台頭
めっきり近年は減ってきたが、1980年代は毎日のように、どこかのチャンネルで放送されていたテレビ時代劇のラストシーン、ヒーローが悪人をバッタバッタと斬り倒す立ち回りを想像していただきたい。
見事な剣さばきで、1人で大勢を斬り伏せる段取りなのだが、ヒーローが強く見えるためには、“斬られ役”が堅実かつ派手に、ちゃんと斬られてあげなければ成立しない。
さっき斬られた男が、すぐ後に違う扮装で再登場して斬られても、見ている人は気づかなかったりもする存在なのだが、それには熟練の技術が必要だ。
その技術は殺陣の“芯”として剣を振るう作業もカバーしていて、スターが別のシーンを撮影している間に、殺陣の段取りをチームで構築しているという。
こうした職人がいなければ、スターの剣さばきも“一人芝居”に過ぎない。
プロ野球の世界にも華やかなプレーで喝采を浴びるスター選手がいる。だが、堂々たる主役ぶりでファンを沸かせても、1人で野球をすることはできない。
スターが輝くためにも、やはりバイプレーヤーによる“お膳立て”が不可欠だ。映画やドラマでも、長くバイプレーヤーを務めてきた俳優が主役を張ることで独特の世界観が立ち上がることがあるが、
プロ野球もバイプレーヤーがスターを食う展開を見せると、妙に味わい深かったりする。
ひと言でバイプレーヤーといっても個性は多彩だが、二番打者としての堅実なバントを自身のトレードマークとしながらも、役割が一番打者となったら盗塁王へと駆け上がった平野謙は、そんな名バイプレーヤーの筆頭格といえるだろう。
愛知県の犬山高から名商大を経て、ドラフト外で78年に地元の中日へ。“裏技”や“寝技”によるドラフト外ではない。しかも、投手として。与えられた背番号は81番だった。
二軍では白星もあったものの芽が出ず、翌79年に外野手へ転向。キャンプで背番号は57番に変更されたが、
「よっしゃ、いい番号……と思ったら、俺より大きい背番号は3人くらいしかいなかった」
と、のちに笑って振り返る。スイッチヒッターに挑戦したのが80年だ。
「利き目が右だったのかな。左打席のほうが前で球を見られるから得意だった」
翌81年に就任した近藤貞雄監督に見出されて一軍デビュー。ただ、110試合に出場したものの、打数も同じ110だ。
代走として初出場して、初打席では適時三塁打を放っているが、その後も代走と守備固めがメーン。
8月下旬になって、ようやく二番打者としての先発出場を増やしていった。
背番号57で優勝に貢献
迎えた82年、中堅の定位置を不動のものとすると、二番打者にも定着。荒々しい“野武士野球”を持ち味としつつも、チーム63盗塁と機動力に欠けていた中日にあって、
出塁率の高い一番打者の田尾安志が走らない分、その得点圏への進塁には、二番打者による堅実な送りバントが求められた。
http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20190120-11&from=ynews
2019年1月20日(日) 11:05
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https://www.youtube.com/watch?v=6CuJBGn6hHg
中日 平野謙
https://www.youtube.com/watch?v=xn-Dfpf1nGA
ロッテ 平野
http://npb.jp/bis/players/41043863.html
成績 「(近藤監督から)『4打席で全部セーフティーバントを狙ってみろ、2つ成功したら5割打者になれるぞ』と言われた。半分は笑ってたけど、半分は本気だったと思う。
確かにそうだけど、『一応バッティング練習してますから、振らせてください』って(笑)」
最終的には近藤昭仁(大洋)が65年にマークしたシーズン41犠打をも上回り、リーグ最多の51犠打。
1人のバイプレーヤーが、プロ野球の歴史におけるトップに立った瞬間だった。一方で、のちのリードオフマンとしての適性もうかがえるシーズンでもあり、貴重な韋駄天として20盗塁もマークして、中日のリーグ優勝に貢献。ただ、
「(当時は)大きい背番号だと一軍に上がれなかった。ファームから来た“お手伝い”みたいで居心地は悪かったね」
こう語る一方で、
「ちょうど昭和57年(の優勝)で、おふくろの命日が5月7日なんだ。だから、おふくろが背中で見守ってくれている、助けてくれている、と思いながら、やっていたよ」
AKD砲へのつなぎ役として
ことプロ野球においては、バイプレーヤーがスターを食うことはあっても、スターがバイプレーヤーに徹するのは難しい。
1980年代の前半、中日の打線には、谷沢健一や田尾安志ら巧打と強打を兼ね備えた好打者に、大島康徳や宇野勝ら長距離砲と、主役タイプがズラリ。
1人のスターを複数のバイプレーヤーが支えるというより、平野謙、という1人の名バイプレーヤーが、複数の主役を支えるような構図だった。
84年オフに田尾がトレードで西武へ放出されると、この構図が一変。83年からはスター選手が着けることが多い背番号3となっていたものの、
それでもバイプレーヤーに徹し続けていたバントの職人が新たに求められたのは、リードオフマンという華やかな役割だった。 まさに職人の面目躍如。早々に新たな役割へと適応してみせる。翌85年から2年連続で全試合に出場し、85年は初めて打率3割に乗せると、86年には48盗塁で初タイトルを戴冠。
中日がリーグ優勝に輝いた82年に続いて、2年連続でダイヤモンド・グラブ(ゴールデン・グラブ)にも選ばれた。
だが、87年に故障もあって90試合の出場にとどまると、そのオフに、
「『やっさん(大島)、トレードですね』と話してたら、俺も出されたんだ(笑)」
新天地は西武。チームリーダーで、ムードメーカーでもあった石毛宏典をして「自分よりもひょうきん」と言わしめるなど、たちまち黄金期のチームにも馴染んでいった。
一方、その職人肌のプレーでは、森祇晶監督の追求する緻密な野球にとって不可欠な存在となっていく。
役割は二番打者。秋山幸二、清原和博の“AK砲”、デストラーデが加わってからの“AKD砲”が後ろに控えていたこともあり、さらにバントへと集中していった。
西武1年目から5年連続でリーグ最多犠打。移籍3年目の90年には吉田義男(阪神)が持っていた通算264犠打をも更新する。
西武では1年目から初のベストナインとゴールデン・グラブのダブル受賞。ゴールデン・グラブには在籍6年すべてで選ばれている。
94年にロッテへ移籍。95年からはコーチ兼任となり、96年限りで現役を引退した。
のちにリードオフマンとして活躍した中日時代を振り返り、あっさりと語っている。
「運だけよ。努力していない。もちろんバットは振ったけど。ただ、守備は努力した。打つほうは、打っても3割。
一生懸命やって4割を打った人は、いないでしょ。でも守備は頑張れば10割。ノーエラーで1年間、過ごせそうだな、と思った」 実は息子が声優・舞台俳優だけど落合の息子ほど知られてない 送りバントの極意
ひょうきんな性格のためか、はたまた職人の矜持のためか。ユーモアが散りばめられたコメントからは、その職人肌は見えづらい。
スイッチヒッターへの挑戦でも、ひたすらバットを振ったはずだ。確かに、広い守備範囲と投手出身の強肩を利した外野守備も堅実だった。
安打を捕球する際のステップにも研究を重ね、華麗なプレーよりも、しっかり打者を観察して、的確なポジショニングでファインプレーを普通のプレーに見せることにこだわるなど、守備も職人気質だ。
ただ、多くは語らないものの、それ以上に努力を積み重ねたのは、やはりバントだろう。
自分が出塁したいという気持ちを抑える。捕球から二塁への送球で180度、回転しなければならない投手に捕らせることを心がける。そして、とにかく地味な練習を繰り返す。
「バントもミートポイントは同じ」
と、打撃の一部としてバントの練習を重ねた。残した通算451犠打は当時のトップ。
通算成功率.874の安定感も光る。
通算犠打は98年に川相昌弘(巨人)が上回ったことで現在は2位だが、90年から2年連続でマークしたシーズン50犠打は長くパ・リーグのトップだった。
これを2007年に塗り替えたのは、日本ハムのコーチとしてバントのテクニックを授けた“教え子”の田中賢介。指導者としての手腕にも定評がある。
https://www.youtube.com/watch?v=oW5I1MBxVik&t=8s
中日ドラゴンズ応援 平野謙のチャンステーマ
https://www.youtube.com/watch?v=nShZ8vVQZcM
91西武ライオンズ選手別応援歌より 平野謙のテーマ 平野って最初中日だったんだね
西武からだと思ってた 辻
平野
秋山
清原
デストラーデ
石毛
日替わり
伊東
田辺 一番田尾が塁に出て
二番平野が送りバント
三番モッカが タイムリー
ゲーリーゲーリーホームラン! 小野が最多勝で中日が得したと思ったらその一年だけだったな
何か西本や関川とか中日のトレードは大活躍しても長く続かない印象 川相が殿堂入り投票で結構な数集めてたけど、
実際のとこトータルの数値なら平野の方がかなり上だな この人のライトからの返球かっこよかった
強肩の部類だよね 地元愛知ではこの人の姉がよく講演してたな
あと室伏の親父 俊足だーゴー行くーぞー、はしーれ走れひらーのけーん!
狙いは1つだ盗塁王、ベースを駆け抜けろー!! >>15
星野は継続性なんて求めてないよ
1シーズン活躍してくれればいいって感覚だよ 日ハムのコーチって印象もある
移転後初優勝の時にいたからかも >>1
平野と川相のバントは天才レベル
コーチに成って教えても誰もマスター出来なかった。 たった一年の優勝を買うために平野を手放した中日のやり方はありなのか? この頃の西武が日本のプロ野球史上最強のチーム、って認識は合ってる? >>34
ありです
>>35
巨人のV9には及ばなかったかも >>34
お前、あの広島さんが25年間も優勝できなかったの知らないの? 平野は西武のイメージしかない
秋山平野ジャクソンの外野は鉄壁でプロ野球史上で最強の外野布陣たったと思う これほどの人を何故か打撃コーチに配置転換した日本ハム 川相はシーズン犠打王でなおかつシーズン犠打失敗0という日本記録あるからな
次元が違うよ >>16
川相昌弘はショートでゴールデングラブ六回受賞だから、守備含めたトータルまで今風に評価すればいい勝負なんじゃないの 犬山高校出身でプロ入りがすごいわ。
特にスポーツに力入れてない学力レベルも何も
特筆のない公立高校だから。
おそらくリトルやシニアリーグにも所属してい
なくて、野球学校の目に留まらなかったんだろ
うな。 田尾といい中尾といい平野といい、なんで次々に放出されるのか子供心に謎だった。牛島は理解できたが 両親がいなくなって、お姉さんと一緒に金物屋やりながら生活してたんだっけ? >>11
辻…西武監督
平野…独立リーグ監督
秋山…ソフトバンク監督
清原…監獄
デストラーデ…
石毛…オリックス監督
日替わり
伊東…西武ロッテ監督
田辺…西武監督 >>54
あとワシが育てた彦野を使いたかった
彦野みたいに闘志を表に出すタイプを好んだというものあるな 何回かあった
レフト北村
センター秋山
ライト平野
が最強の布陣 田尾→西武→阪神
平野→西武→ロッテ
上川→ロッテ
宇野→ロッテ
中尾→巨人→西武
中村→横浜→楽天
山崎→オリックス→楽天→中日
大豊→阪神
矢野→阪神
種田→横浜 >>51
両親が立て続けに亡くなって、姉が高校辞めて金物屋を継いで、平野も中学時代は手伝っていた。
結局実家を売って犬山市に引っ越したから地元の高校に進んだ >>2
>谷沢田尾大島宇野平野
今の球界での立ち位置で
大島が一番上になるとは思わなかったな
星野がトレードで出したお蔭で
名球会入りにハム監督 WBC王JAPANコーチでNHK解説者重鎮格になった
>>51
犬山高OBに大先輩中日OBが居たのも
中日入り出来た一因 西武時代年俸1億円いってたよな
放出されて正解だったな
中日時代に瞬発力がすごい選手だと思ったわ >>51
まあ高卒後、名商大で活躍してからプロになったからな。
犬山高から直接プロ入りしてたらスカウトすげーだったんだろうがw
しかしスポーツ用品店店主さんのプッシュがあったとはいえ、
蒲郡高校から千賀を取ったソフトバンクのスカウトは改めてスゲーわw ロッテに3年もいたイメージはなかった
意外だ
仁村徹も宇野もロッテだったな イケメンだったな
今はメジャーにみんないくから
昔ほど野球がおもしろくないわ
外国人枠を撤廃したらいいのに
で1流の外国人選手を連れて来いよ >>54
星野「俺のやり方が気に入らない奴は出ていけ」
平野「はい、出ていきます」 辻:体が大きいのに(185CM)守備がめちゃくちゃうまい。よく守備の練習をしてもらった。
平野:一発でバントを決める。肩が強く、計算してバックホームするから絶対に途中でカットするなと言われていた。
秋山:抜群の身体能力を誇る。メジャーでも通用したのではないか。長打力ではゴジラ松井と並んで日本人トップ。
デストラーデ:ここぞという場面では打たないが2線級の投手からよく打って打点ホームランを稼ぎ、タイトルを取られた。
石毛:強力なリーダーシップを発揮し、選手を叱り飛ばす。自分もよく怒られた。
伊東:とにかく怖い。
田辺:やさしい先輩。ワンバウンドの送球をしてしまったときなど「キヨ、ごめんな」と謝ってくれる。
森監督:やさしい。打てない時期が続いても「いいんだよ、今までお前の打撃で散々買ってきたんだから」と言ってくれた。
伊原コーチ:最悪。殴られたこともある。 江川キラーと呼ばれた豊田もバントと走塁では及ばないが非常にうまい外野手だった。 センター秋山幸二 ライト平野謙 レフト笘篠か吉竹の外野は鉄壁だったな この頃の西武って、トレードで取った選手を
いい意味でとことん使い切ってたイメージがある
田尾だけだろ、期待はずれだったの お姉さんが書いた本を読んだ時は涙止まらなかった
苦労人なんだよね >>42
ジャクソンがいた頃、もう秋山も平野も西武じゃねーだろ 総合力では、とんでもないレベルの好選手だろ、平野は >>59
レフト 平野
センター 秋山
ライト 羽生田
が最強じゃね?
羽生田がスタメンの時は羽生田の強肩を活かすために、平野レフトだったんだよなあ 秋山平野笘篠
イチロー田口本西
新庄森本稲葉
こういう布陣できるチームは結構好き >>78
片平のリリースが若干早かったようには思う。翌年も日本一になれたから良いけど、かなりの貧打だったからなあ。 >>52
その前から島谷金二だの井上弘昭だの放出してたけどな >>88
あれ不思議なトレードだったよなあ
広瀬(だっけ?)とかいうドラ1とはいえたいした成績残してないピッチャーをとるのに
DHでレギュラーだった片平と中継ぎで使い倒してた永射のふたりも出すという >>86
羽生田はバッティングがダメ
吉竹と安倍ほど期待に応えてくれない そういえばFAが始まる前は
主力級の大型トレードも活発だったよな。 >>95
いや北村あげて最強って言ってるから、守備だけだと思ったんだがw
とはいえ、羽生田って実は.270くらいは打ってるんだけどね
当時の西武の打線が凄すぎて打てな過ぎるイメージが付き過ぎたよな >>13
モッカとゲーリーは被ってない
入れ替わり 俺もバイブレイヤー持ってる(;´Д`)ノθヴイィィィン 羽生田は肩はえげつないが守備はそこまででもないからなぁ
足も速いのに
てか怪我しすぎ こういう人が走者なしで2塁打とか3塁打を打つと燃える >>52
82年優勝メンバー
9田尾→西武
8平野→西武
5モッカ
3谷沢
7大島→日ハム
6宇野→ロッテ
2中尾→巨人
4上川→ロッテ
恐ろしい程の闇 >>105
矢沢→HR13本、OPS.835なのに星野により強制引退 >>102
若い頃の藤井にだぶるが、羽生田の送球は汚くないしな ライトからのバックホームが売り
初めて選ばれたオールスターでセンター守って見せ場が来たのにマウンドに当ててしまうもってなさ 西武時代に一番辻が出るとすかさず送りバント・・・あの野球が大嫌いだった。
だから平野のイメージはあまり良くない。 >>112
近藤貞雄さんはそういう野球に批判的だったな その年の中日がドラフトでかなり拒否を食らったので、
人数合わせでプロ入りしたんだよな。 >>4
高橋慶彦の娘も声優やってるんだよな
驚いたよ >>108
その時代はその成績でベテランなら引退は普通
山本浩二のラストイヤーの成績見たら矢沢は引退勧告されるだろ
村田兆治は二桁勝利して引退してる
中日の小松も引退した前年に二桁勝ってる >>11
主に90年からの黄金時代後期オーダーだな
辻が9番から1番に、1番の石毛が6番に、6番や7番を主に打ってた田辺が9番になることが多くなった
90年後半はバークレオが左翼に入り、石毛1番辻9番の以前のオーダーに戻すことも多かった
91年は>>11オーダーが基本で、左翼手は右打ちで打撃も守備も堅実な笘篠が対左で多く出場
右投手の時は左打ちでこれも攻守とも堅実な吉竹、パンチのある安部、守備に不安はあるが強打の森と揃っていた
さらにスイッチの強肩羽生田が控え、92年には左打ちの大塚が出てきた 平野と中尾孝義と同じ年齢
中尾は江川と共に憧れの慶応受験失敗組
江川は諦めて法政へ行ったが中尾は諦めきれず
一浪して再度受験また失敗専修大に入学
よって中日に入団した時は平野の一年後輩だった
だけど年齢は一緒なので呼び捨てでも構わなかったが
さん付け敬語で話していた そのことを記者に聞かれて
平野さんはため口で良いよって言ってくれてるんだけど
何かねどうしてできなくてそのままですと答えていた >>58
前年までほとんどチャンスを貰えなかった小松崎善久
を抜擢してるくらいだからね >>119
昔は記録の為に現役にしがみつく奴なんてほとんどいなかったからな。 >>64
日ハムは前年3割30本のブリューワが故障する
非常事態
衰えたりとはいえそれなりの成績を残したことで
主軸打者としての地位を確固たるものにした
移籍2年目にかつての上司の近藤貞雄が監督に
なって贔屓がなかったとは言わないけど大島より
打撃成績の良い日本人野手があまり居なかった
のもまた事実なんだよなあ >>75
1981年にレギュラーに定着しかけた豊田誠佑
しかし翌年平野謙に負けその座を失う
それが1987年終盤には平野をベンチに追いやって
先発出場してるんだから人生分からないよな
まあ翌年限りで引退するんだけど >>35
逆指名制度、FA制度無しのチームなら西武が最強だと思う
逆指名制度、FA制度有りのチームなら03ホークスが最強だと思う >>88
何の縁があったのか知らないけど古葉監督への
プレゼントだったんじゃないかな? ヒゲ「ごめんよ、ボクはバイなんだ」
嫁「いいえ、あなたはゲイよ!」
ヒゲ「エーーーーーヨ!」 この記事で初めて平野が西武一筋じゃなかったことを知った >>64
本多逸郎氏だな。この人も投手から打者に転向し、盗塁王を獲得してる。 辻
平野
チャンスに弱い気難しい
薬物女遊び
浮気腰痛
浮気
日替わり
陰険
田辺 >>130
へー、人によって違うもんだな
俺は中日のイメージが強いわ 案外不幸な生い立ちなんやな。
二軍で鳴かず飛ばずの頃に結婚した嫁さんと
離婚して、東海テレビのドラ番組のアシスタント
してた秋本理央と再婚したヤリチンイメージ
しかなかった 1992年のパリーグゴールデングラブ賞
投 郭泰源(西武)
捕 伊東勤(西武)
一 清原和博(西武)
二 辻発彦(西武)
三 石毛宏典(西武)
遊 田辺徳雄(西武)
外 秋山幸二(西武)
外 平野謙(西武)
外 佐々木誠(西武) 嫁は元ホリプロのアイドル秋本理央(橋本清美)
今はフラワーコーディネーターやってる
長男は俳優・声優の平野潤也 演劇集団 円に所属
顔もそこそこイケメン 明るい男 時代を走る 強肩強打をぶっとばせ 自由自在の二刀流♪ >>121
平野謙が西武に移籍した1988年は中尾孝義は外野手
にコンバートさせられた(大島康徳と交換した大宮龍男
が第二捕手に)
ルーキーの立浪和義抜擢のための玉突きコンバートで
ファーストのゲーリーが外野に回り川又米利と彦野利勝
にさらに中尾で競争だから平野はやっぱり余剰戦力に
なってしまうよ >>137
佐々木誠は当時はダイエーだぞ
この年は他球団でそれなりに得票出来そうなのは
大石大ちゃんくらいしか居ないからしょうがないな 60近くになってジョイナスにキャリア台無しにされた人 ♪俊足だ GO 行くぞ
走ーれ はーしれ 平野謙
目指すはひとーつ 盗塁王
ベースを駆け抜けろー >>11
ファミスタで1番秋山にしたりして遊んでたなぁ
実際にもそういうのあった記憶 >>143星野就任秋キャンプ第一声「オレの方針に従えない奴は挙手してくれ!」手を挙げたのは平野だった。それでトレード。平野が星野を嫌っていた。 >>135
とはいってもそういう事例って割と多いからな
切られた元嫁の方も内助の功アピールしすぎとか尻叩きすぎとか色々問題あったんじゃね? 黄金時代の西武にいたからいい選手と
呼ばれてるだけでロッテにいたら大したことなかったろ 1二 辻 現西武一軍監督
2右 平野 元ロッテ二軍監督
3中 秋山 前ソフトバンク一軍監督
4一 清原 どっかの監獄
5指 デストラーゼ フロリダ◯◯ディレクター
6遊 田辺 前西武一軍監督
7三 石毛 元オリックス一軍監督
8捕 伊東 前ロッテ一軍監督
渡辺久 元西武一軍監督
工藤 現ソフトバンク一軍監督
大久保 元楽天イーグルス監督 >>144
僅か2年で別チーム
86開幕
1平野2鈴木康3谷沢4ゲーリー5大島
6宇野7上川8大石
88開幕
1彦野2立浪3ゲーリー4落合5宇野
6仁村徹7川又8中村
さすが星野仙一 >>154
西村(現オリ監督)と同じくらいのスペックだったかな >>154
交換相手の小野和幸も最後はロッテだったな 平野と言えば小学生の頃オープン戦でセンター守ってた平野にこっち向けコノヤローとか野次飛ばしてうるさいと怒られた記憶がある >>93
今思い返しても不可解だよね。
片平なんか5番打者として完璧に近い役割果たしてたのに。
>>128
大盤振舞いし過ぎだよ。
翌年も片平はよく打ってたし、永射も全盛期には遠いがそこそこ投げたし。 平野にとってはロッテはいい思い出ないだろうな
ゴタゴタに巻き込まれて鬱を患って辞めたみたいだし 451犠打 トータルで考えれば1年間全打席バントだけで打席を消化した年も
あるってことだよなあ ニッポン放送の深澤 弘アナが実況で
この人が打席に立つと文芸評論家の平野謙さんと同姓同名ですが
何の関係もありません
こればっか言ってたなw >>108
1001「じゃあ聞くけど、おまえが監督なら選手谷沢健一を使うのか?」 >>93
やくみつるのマンガで
森「古葉さんの押しに負けましたよ、今回のトレード」
やく「いやー広瀬まで引き取ってくれて助かります」
森「こっちは金銭だけでいいっていったのに、強引だから」 >>158
鈴木康友はしょうがない
サードにコンバートされた宇野勝が大スランプに
陥ってショートに戻す必要があったから
むしろ上川誠二の穴が仁村徹で埋まり平野謙の
穴が彦野利勝で埋まる選手層の厚さを褒めよう >>169
同姓同名といえば、宇野勝東海大学サッカー部
監督もいた。ヘディング繋がりで当時話題になった。 2000本には全然届かないんだね
80年代後半、最強のライトといえは平野だったな〜 >>165
微妙だったブコビッチを残し田尾安志と片平晋作を
放出してそれでもなお投手力で勝ち抜いた1987年
は凄いわ >>151
糟糠の妻、切られるパターン多いけどな
まぁ、旦那が屑のパターンとただ単に
貧乏な頃から嫁がわがままなパターンと2通りあるが。
確か同じ中日の宇野も同じようだったかな
二回目の嫁さんは名古屋の女子アナだったかと >>150
阪神時代に村山監督に
Γ忌憚なく意見言ってくれ」と言われて
Γ若手優先ばかりせずに、ベテランの事も
考えてくれ」と言って干された田尾安志。
因みに、去年大阪産経新聞の運動欄のコラムで
その時の話取り上げてΓ絶対この監督首になるまで
現役止めないと誓った」と、いまだに根に持ってることも
告白(笑) >>11
これ、円周率や歴史の年号暗記並みに頭に染み込んでるw 田尾・平野・モッカ・谷沢・大島・宇野・上川・中尾・小松
野武士打線ってこれがベストオーダーだっけ トレードで中日に行った小野も翌年18勝で最多勝
両球団共にいいトレードだった >>182
多分おたくとは同じ世代と思う。西武の打順と円周率(150桁くらい)は覚えていたw ロッテの次期監督って言われてたこともあったぞ
結局ボビーになったけど 230盗塁って、思ったより少なかった。
イメージ的には500盗塁ぐらいかと。 >>188
犠打しまくりだし
監督が森だったから好きに盗塁不可だろうからそれでも多い方かも
主に2番打者で通算300犠打越え&2000安打と首位打者
130試合制でのシーズン最多安打記録の新井宏昌は凄いわw >>146
あれさえなければ中日監督もあったかもしれんのに…
姉ちゃんは半年ぐらい前に中日新聞のコラムを辞めちゃったな
二人揃って縁切っちゃったのかね >>189
新井宏昌は近鉄にトレードされたのがラッキーだった
南海最終年は完全に低迷してたし近鉄で中西太の指導
を受けて復活した 瞬足 強肩
ドラゴンズ時代のセンターからのレーザービームがカッコ良かったな >>191
谷沢は派閥は嫌いな個人主義者だから
友好的と云うか
東海ラジオ&TV小山派かな
孝政 田尾 平野 上川etc.
星野とも谷沢とも良好だった
大島 孝政
星野とも落合とも良好だった宇野
中日球団は昔から阪神より派閥抗争は陰湿かつ根深い処がある 平野と言えば
星野に嫌われて監督就任と同時に放出
ロッテに行った時、目が老化してフライが取れなくなったって、初めて目が老化でスタメン落ちという記事が世に出た選手 >>194
中日の派閥抗争は中日新聞本社の成立の歴史絡みの根深いもんだからな >>185
小野は一年目だけ
シリーズで清原から大ホームラン打たれて確変終了 >>178
別のパターンもありうるのに男がクズって一方的に言われることが多いのがちょっと気になるわな ライト=下手くそのイメージを変えた選手の一人
後にイチロー、高橋由伸で花形ポジションに
昔はサードがスター選手のポジションだったね、原、掛布、石毛 >>201
今はレフト=下手くそだな
その高橋由伸も晩年は下手くそなレフトの一人と化してた 西武黄金時代の平野と
ダイエー、ソフトバンクの鳥越には
違和感しかない >>80
プロ野球もやる文芸評論家か。
ロシア文学の本を出す巨人のエースもいたな。 田尾
平野
谷沢
大島
モッカ
宇野
上川
中尾
小松 西武時代、ラジオで豊田泰光が言っていたのを覚えている
「今日試合前平野と話し合ったんです。平野が“西武であと3年、
その後、あとダイエーで3年でプレーして引退する言っていました”」と話していたわ
その頃はダイエーが門田とか今井とかブーマーとかオッサン選手ばっかり
かき集めていたから >>169
つうか通常、同姓同名の人とは、全く何の関係もないだろw >>169
へーニッポン放送なら中日時代か
それは知らなかった
西武時代はQRで戸谷さんとか中田さんがやってた頃だろうから >>205
ロシア文学者は「えがわたく」。
なお本名の苗字は馬場である模様 >さっき斬られた男が、すぐ後に違う扮装で再登場して斬られても、見ている人は気づかなかったり
福本清三先生は「暴れん坊将軍ラストの殺陣のシーンで、1話の中で何回か斬られてたなあ
おれが見た中では最高で4回斬られてた >秋山幸二、清原和博の“AK砲”、デストラーデが加わってからの“AKD砲
おれの中では秋山清原バークレオの「元祖AKB」だなあ >>214
あれって、基本峰打ちだから(殺陣の前に健様が刀を反対向きにしてる)斬られてないんじゃ? >>216
峰打ちだけど、あれって刃の反対側=幅太い&鍛錬された金属=鉄棒で殴られたようなもんだぞ、激痛だぞ
みぞおちにやられたら、失神する。すぐ起き上がれない >>144>>158
ゲーリーも外野やったり一塁やったりいろいろだったな
最初は谷沢がいたから外野で、落合加入で一塁に回って、立浪加入と内野異動でまた外野で
あの時点ではゲーリー 落としてブライアントなんて考えもしないくらいだったんだよな
実際ゲーリーとブライアントってそこまで大きくOPS変わらず、ゲーリーが一塁も外野もこなすのも考えると
損したって感じでもないんだよな >>146
そればかりは高木を責めるわけにはいかんわ
何回ランナー憤死させたことやら
あの時は最初の高木体制で頭角を現した清水雅治が帰ってくるかもと期待したんだがハムに残り、平野でもいいかなと思ってたらあの体たらく
そのオフに梨田とともに清水はハム辞めたから、今度こそと思ったら伊東のツテでロッテへ
このオフこそ伊東のツテで、と思ったら元中日繋がりか矢野の阪神へ行ってしまったな
>>180
田尾と谷沢は爽やかそうに見えて根は・・・って感じで、案外解説もねちっこいとこがある
田尾と谷沢は一度だけ指導者として声がかかったが短期間で退団してそれっきりだったな >>218
上川さんだけわからないけど
あと打ちそうな人ばっかり >>201
今はサードが負担が少なく楽なポジションなんだね
>>220
田尾と谷沢は、口が災いし過ぎてる。
あと谷沢は、、、解説の内容が馬鹿過ぎる。 平野はクールな性格が星野には覇気がない、やる気がないに見えて嫌われてトレードに出された
でも西武でいい野球人生送れたからよかったな 昔は送りバントやらせとけって意識だったから棒球投げてたんだよ
今は簡単にバントやらせなくなってる >>195
平野は星野のもとで1年やってるんだが? 良くも悪くも森監督は石橋を叩いても渡らない性格だったゆえに
2番にバントの名手を置くことを徹底した
必要とあらば3番秋山にもバントをやらせる有様だし
また優勝できなきゃ「監督がやりたいんであればどーぞ」とオーナーに嫌味を言われるから
なおさらそういうスタイルに徹しざるを得なかったろうけど テレビの視聴率が良かったんじゃなくて当時はそれくらいしか見るものがなかったが正しいな。テレビも普及し始めたばかりだし 引退する年に新幹線の席についてるコップ入れに指を挟んで骨折したんだよな >>64
その上に位置するのがメジャーの名将、ケン・モッカ ぴの
るうく
たろすけ
ぱつく
かけきよ
にやむこ
ぎる
さんま
ぴぴ この人は内野安打が多くて内野安打も立派なヒットこれからはこういう選手が増えてくるだろうなんて記事を読んだ覚えがある >>152
>>229
秋本理央が東海テレビのドラゴンズ応援番組でアシスタントしていた時に見初められたっけな >>201-202
要するに右打者ばっかでライト方向に強い打球が
飛ばないという昔のイメージを引きずってるのが
ライパチくんだもんね
プロではバックホームにライトほどの強肩が必要
ないということでレフトの方が軽視されるように >>206
簑田浩二をあげるんならその前にライトを守ってたのが
強肩のバーニー・ウィリアムス
外野は両極端だね
強肩で守備を評価されたか弱肩で外野くらいしか守る
ポジションがないか >>209
広島に一歩及ばなかった
中日の方がやや投手力が劣ったのと衣笠祥雄が
確変を起こしたことでカープ逃げ切り >>215
ブコビッチはAKB砲と呼ばれなくてかわいそう >>209
オールスター明けに中尾が怪我して控えの捕手の薄さが露呈された
そこで球団に楯突いた田尾を放出して、大石を獲得
余談だが一緒に取った杉本は左投手が都だけしかいなかったため >>219
ブライアントは中日で一軍に上がってても大型扇風機
で終わってたよ
やっぱり中西太コーチの指導あってこそ >>242
杉本正は移籍初年はいまいちだったけど2、3年目は
結果を残してるね
田尾安志が西武で活躍出来なかったことを考えると
中日の方が儲けた >>155
上手いこと言ってるつもりだが清原はせいぜい留置所じゃないの? >>238
プロでは守備が甘く弱肩だが
打力の有る御仁を付けるのが
左翼&一塁だしな(DH除く)
>>244
大石は郭源治専用捕手だったな バント職人のイメージしかなかったけど、1500本もヒット打ってんだな >>237
あの頃の東海テレビのドラゴンズ番組何故かアイドル起用してたな
堀江しのぶとかLINDBERG結成前の渡瀬麻紀とか 右打者だらけの西武黄金期なかで、
コイツと安部の左打ちは貴重だった
右打者だらけ打線のせいで、
右のアンダースロー、右のシュート使い
には弱い打線だった。 与田の後、2年だけでいいから
平野を監督にしてやって >>254
アンダースローには弱いとか誰の事だろう?
近鉄の佐々木とかオリの伊藤敦規とかイマイチなのしか思い出せない >>244
杉本はローテ投手で二桁勝利するしな
イニングも小松の次に消化するし
田尾は西武ではレギュラーに定着できなかったから不思議だ、中日ではあれだけ打ってたのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています