しかし、韓国での生活も、プレーも、うんざりするほど水が合わなかった。

たとえば、ウォーミングアップではメディシングボールで20回のリフティングというメニューに閉口した。
深夜にお菓子やファーストフードを貪る若手選手たちも理解できなかった。

槍のような選手を両サイドに走らせ、クロスに無理やり合わせる、というプレー一辺倒の戦術にも疑問を持った。
ロッカールームの使い方の汚さは、日本人選手なら唖然とするほどで、がっかりした。

日々、違和感ばかりが募っていった。

一方で、豊田は過去のKリーグ所属日本人選手の誰よりも韓国語に取り組み、片言の会話はすぐできるようになっている。
しかし、むしろこれが逆効果になった。へたに会話ができたことで、侮(あなど)られることになったという。

クラブハウスで通訳と張り紙を見ていたときのことだ。ほとんど前触れもなく、背後からコーチに尻を蹴られた。
そのコーチは冗談のつもりだったようで、満面の笑みを浮かべていたが、何が起きたのか理解できなかった。

「これが韓国スタイルだから」

別のコーチがなだめるように言った。はたして、これで成長できるのか。その疑問が頭を離れなくなった。

「周りは『豊田は半年で帰ってきたのかよ』という見方だと思います。でも毎日、何か違和感のあることが起きるから、1日が長くて。少なくとも1年以上の感覚でした」

豊田はそう言って苦笑し、ウーロン茶を口に含んだ。追加した上ホルモンがテーブルにやってきた。