今年夏、甲子園球場を舞台にした全国高校野球選手権大会(以下、甲子園大会。8月5日から17日間)が第100回を迎えるのを前に、各地で予選となる地方大会が行われている。記録的な連日の猛暑を受け、主催する朝日新聞社と日本高校野球連盟は7月19日、各都道府県連盟に熱中症対策に万全を期すよう呼び掛けた。高校球児の練習や試合の環境は年々改善され、現役当時の見る影もない、さえないオッサンの元球児たちが「練習中は水を飲むな」などとムチャ振りされていたのは、今は昔の話だ。三十数年前の元球児(50代半ば)が現在の高校野球と比較し「当時のあれ、何だったの?」を回想する。(ジャーナリスト 戸田一法)
「熱中症へのご注意を」の文書

 朝日新聞と高野連が熱中症対策を呼び掛けた文書は、甲子園大会での取り組みや、2013年8月に甲府市で40.7度を記録した山梨大会での対策を参考に提示している。

 文書を要約すると、甲子園大会では理学療法士十数人がスポーツドリンクや氷を用意し、体温計や血圧計を準備。選手へ事前にアンケートして既往症などを把握し、グラウンドでの様子をチェックする上、試合後も疲労回復を促すクーリングダウンを指導しているという。

 観客には球場スクリーンに「水分補給を」などの注意を表示し、繰り返しアナウンス。第100回大会開会式では選手のほか、吹奏楽、合唱、プラカードを持つ生徒にもペットボトルを配布し「式中」の飲料を勧めることも検討しているらしい。

 13年の山梨大会では、5回終了後のグラウンド整備で散水。攻守交代の際に打者と走者はベンチ選手が十分に水分補給するまでグラウンドに出さず、気温によっては7回終了時に試合を5分間中断し、水分補給の時間を設ける――などとしていた。

 改めて読んでみると、今では常識として実施されているのではないか?というレベルの内容でしかないが、試合をジャッジしている審判員が元球児ならば、自分の現役当時を回顧するとき、どう感じるのだろう。というのは、高校野球の審判員は「水を飲むな」の世代が多いので、隔世の感があるのではないだろうか。



 その時代、審判員にはイニングの間に冷たいタオルが提供され、グラウンド整備の間は日陰の控室で美味しそうに水を飲んでいた。もちろん、審判員が高温や水分補給を我慢する必要はないのだが、元球児の筆者には羨ましかった記憶がある。当たり前だが、13年山梨大会の取り組みには、7回終了時の5分間に「審判員も控室に入り休憩や水分補給」などを求めている。
今思う「あれに何の意味が…」

 では、三十数年前はどうだったか。同世代だと野球部に限らず、他の運動部でも同様の「あるある」だろうが、我々が「水を飲むな」の最後の世代だった。ご存じではない方々に実態をお伝えしたい。

 まず前述の通り、練習中の水分補給は禁止である。

 口頭で直接「水を飲むな」と監督やコーチに命じられていたわけではないが、それが当時は常識だった。比較的涼しい春や秋は何とかなるが、それでも快晴だときつい。もちろん、真夏に耐えられるわけがない。それでは当時、どうしていたのか。

 結論は「隠れて飲む」しかない。

 筆者の野球部では、バッテリー組はランニングのため「ロード」と称してグラウンドから脱出。野手組はシートバッティングやノックで移動する際、バッグネット裏のグラウンドから死角になる用具室裏の蛇口や、3塁側にあったトイレの脇から路地を少し抜けた民家の玄関前にある水道(おばあさんの1人暮らしで、だいぶ昔の先輩が了解を得ていたらしい)でのどを潤していた。

 ただ、うまくタイミングをつかめず水分補給をしないままレフトのポジションに戻り、フラフラになって耐えきれず、フェンスを乗り越えて田んぼ脇の用水路に顔を突っ込んだという同級生もいたから、昔の高校野球では「いかにうまく立ち回るか」も大事な能力だったと言える。これは、ほかの高校の野球部も同様だったのではないだろうか。

 水の問題とともに疑問だったのが「セッキョー(説教)」と称される後輩いびりだ。

 1年生が入部した最初の合宿で、2年生が「気合を入れる」との名目で全員を正座させ、とにかく理解不能な言い掛かりをつけるというものだ。このセッキョーは年代や出身地が違っても、高校野球経験者なら誰でも知っている言葉だったから、おそらく高校球児の「共通語」なのだろう。

 このほか、これは筆者の野球部特有の後輩いびりと思うが「セミ」というのがあった。

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