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日大本部とは  『富野由悠季全仕事』

富野 

ゲーム的以前です。主義主張なんか関係ないから、メッチャクチャ面白い。
それと体制というものが、全学連レベルでは崩せないということを、僕は日大で教えられました。
もう40年近くも前のことだから話してもいいでしょうけど、本当に一度だけ、息が飲むくらいびっくりしたことがあります。
ある学生課の課長から動員がかかって、「何月何日お前ら本部に集まれ。それから赤坂に行け」と。
で、そこに行くと、体育会系の連中がだーっと集まってる。
体育会系といっても、中央が呼ぶんだからオール日大メンバーなんですよね。
その連中と僕たち中執の連中が赤坂に集合させたれたわけ。
何かというと、当時のケネディ政権下の司法長官、ケネディ大統領の弟のロバート・ケネディが始めて日本に来た時、
日大の古田重二良会頭に会うということだったんです。

60年安保の後、もう一度学生運動が盛り上がって日大闘争が起きるまで、日大には古田体制というのがあったんです。
中執はその統制下に入っている自治会でした。
で、当時赤坂には日大の迎賓館があって、そこの純和風の全部茶室みたいな、
それはそれは立派な平屋の外に僕ら並ばされたわけです。
司法長官と会頭の会談がおわってから、会頭が呼んでいるから中執の連中は全部集まれと茶室みたいな処に呼ばれて、
「お前ら頑張ってくれ」と。その後生まれて初めてベンツに乗って帰っていいと、
10人ぐらいの中執の連中を一台一台の外車のハイヤーに載せてくれたんです。
僕はその日もう小田原に帰るつもりがなかったから、中執の仲間の家までベンツに乗ったんです。
「日大というのは一体何なんだろう」と、僕はその時ホントもう真っ青になりました。

――そういう体験が、後のジオン公国とかザンスカール帝国みたいなもののモデルになっていたのでしょうか。

富野

それは映画版やっているときに、初めて気がついてたんです。
『ガンダム』みたいな作品をやりながら、何でジオン公国みたなフィーリングをああいう風に描けたんだろうかという時に、
ああいう光景を目撃させてくれたという日大には感謝してます。
それは絶対無縁ではない。ああいう気分を知らないで書いている人とは違うと思います。