>>326
篠竹の末期に独裁体質のマイナス面が露呈して低迷が始まり
内田はそこからなかなか立て直せなかった
そんな内田が長いこと日大の監督でいられたのは
篠竹末期にそっぽを向かれた日大付属高との関係修復には成功したという
いわば内部限定の手柄は持っていたというのも理由の1つ
篠竹の下でコーチをしていた時代には
篠竹に対する選手の不満の受け皿になっていて
その面に関しては当時の選手からは一定の信頼は得ていたという話も一部には出ている