【文芸】<齋藤孝>「本を読まない人たちが知らない人生」 自らを成長させるために、1日に1時間でも本の世界に浸ってみては?★2
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今年の2月、大学生協が発表した報告書によると、大学生の53.1%が1日の読書時間について「ゼロ」だと回答したそうです。
1日の読書時間の平均は23.6分、一方で1日のスマートフォン利用時間の平均は177.3分になるそうです。これは非常に驚くべきことです。
■読書は生きるための基本
私は職業柄、人間が自己形成をしていくうえで、読書がいかに大切かということを身をもって知っています。
たとえば哲学者のニーチェは『ツァラトゥストラ』の中で「読書をする怠け者を憎む」と述べています。
つまりニーチェは、自己形成のためには読書をするだけではなく、自分で考えることが大切だと言っているのです。
しかし現代人は、自分で考えるどころか、本すら読まなくなってきている。これは非常に深刻な事態でしょう。
人間が生きていくうえで欠かせないのが「思考力」です。
知識をもとにして自分の頭でものごとを考え、価値観を培っていく。そのベースとなるのが本であり、読書であるからです。
本というのは基本的に、「偉大な他者が書いたもの」です。それらを読むことで、自分の思考を深め、精神を高めることができる。
たとえば、夏目漱石が書いた本を持ち歩き、読むことで、偉大な人とつねにつながっている感覚を得ることができます。
読書とは、他者の話に耳を傾け、自分自身と向き合うことです。
その他者が偉大であればあるほど、一流の思考を自分自身に取り入れ、人間としての骨格を形成するきっかけを与えてくれるのです。
たとえば、サッカー・スペインリーグのFCバルセロナに所属しているメッシというプレーヤーがいますね。
メッシのような一流のプレーヤーは、すべてのプレーで見る人を感動させ、刺激を与えることができる。
バスケットにおけるマイケル・ジョーダンもそうです。私たちがこれらの人物に直接会えることはまれです。
しかし、会う機会はめったになくても、一流の人の本ならば、いつでも誰でも触れることができます。
私は、現代人は文学を読むことの優先順位を高く設定すべきだと思っています。
なぜならば文学作品は、「自分の経験以上のもの」を与えてくれるからです。
たとえば、『ジャン・クリストフ』という長編小説があります。この小説には、主人公が生まれてから死ぬまでの出来事が詳細に描かれています。
このような小説を読んでいると、別の人間の人生を生きたような感覚を得ることができるのです。
当たり前ですが、私たちは私たち固有の人生を生きているので、他人の人生を生きることはできません。
しかし文学を読むことで、他人の人生を追体験することはできる。
これが非常に大事なことです。言い換えると、他人の気持ちに感情移入し、想像するということですね。
さらにこの経験は、私たちに「寛容さ」を教えてくれます。人間は「寛容さ」を身に付けるからこそ成長していくことができると、私は思っています。
人が生きていくうえでは、他人の考えを想像して理解し、認めて、受け入れることが求められます。そのような力を培うことができるのが、文学なのです。
文学を読むと、自分の弱い部分や、他人に対して攻撃的になってしまう「過剰な部分」を認めることができるようになり、人間としてのバランスが培われます。
文学が描く「日常生活では経験できない世界」を通り抜けることで、精神的に成長することができるのです。
>>2以降につづく
5/3(木) 8:00配信 東洋経済オンライン
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180503-00218588-toyo-bus_all
2018/05/03(木) 08:22:15.36
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1525303335/ ■自分らしく生きるには
一方で、文学は私たちがこれまでに経験してきたことを思い出させてくれる力も持っています。
今回、『別冊NHK100分de名著 読書の学校』の特別授業で中学生に読んでもらった『銀の匙』という本は、そんな1冊です。
この本には、著者である中勘助が子ども時代に経験した一つひとつの思い出が2ページ程度で描かれ、それに伴い主人公は成長していきます。
たとえば本書には、子ども時代に経験したお祭りの話が出てきます。
その部分を読んだときに私たちの頭の中で何が起こるかというと、まずは作品に描かれている中勘助の経験を想像します。
そして同時に、「そういえば、自分も小さいころにお祭りに行ったな」と、自分の経験と照らし合わせます。
つまり、中勘助の経験と自分の経験の2つを並行して追いかけているのです。
文学を読む楽しみは、作者の経験に寄り添い、作品の世界へと深く入りこんで、その世界を共有することにあります。
本を読むことは、大変高度で知的な作業なのです。
この『銀の匙』から私たちが学べることは何か。ひとことで言うと「生き方の価値観を考え直す」ことの重要性です。
普段、私たちは現代社会のさまざまな価値観に縛られています。たとえば、学校や会社ではつねに競争することを求められます。
時には、何が損か得かを考えて行動しなければなりません。
しかし『銀の匙』の世界には、そのような経済合理性の外にあるものの豊かさが多く描かれています。
子ども時代を思い返すこと自体はおカネを生み出しませんし、おカネがかかることでもありません。
しかし、自分の好きなものを好きだと言えた子ども時代、何のしがらみもなく自由に生きていたあの頃を思い出すことは、
どのような状況にあっても、自分らしく生きることの価値を再認識するきっかけを与えてくれるのです。
これは人生を後ろ向きに考えることではなく、人生を掘り起こすことなのです。
「自分の人生なんて大したものではない」と思っている人にこそ、この『銀の匙』を読んでもらいたい。
人生の意味は与えられるものではなく、見いだすものです。日中は一生懸命働いて、会社の外では文学の世界に少しでも浸ってみる。
そうした異なる2つの世界を往復することで、人生本来の豊かさを再発見することができるのです。
■読み聞かせの効用
子どもを持つ親には、子どもに『銀の匙』を読み聞かせることをおすすめします。
『銀の匙』のように、昔の話を読み聞かせる場合は、子どもにとってわからない言葉や言い回しが多いでしょう。
でも、子どもにとってわかりやすいことだけが、ためになるとは限りません。少しくらいわからないことがあるほうが面白いんです。
すべてをかみくだいてしまうと、物語自体の魅力がなくなってしまいます。
ですから、わからない言葉があっても、わからないなりに親が読んであげることが大切です。
喜劇役者として有名なチャップリンのお母さんは役者だったので、何かを子どもに説明する際、その人物になりきって話をしていたそうです。
チャップリンが大人になって、感性豊かな作品を作り続けられたのは、この母親の影響が大きかったのではないでしょうか。
本を読むとき、私たちは文字を追いながら映像をイメージしますが、子どもはこの作業に慣れていません。
そこで、親は子どもがイメージしやすいように情感を込めて読んであげる。そうすると、子どもは頭の中の映像に集中でき、作品世界の理解につながります。
中勘助の作品は、最初の数ページを読んだだけでも、私たちのこころをつかんで放さない力をもっています。
人の言葉は、その人が死んでも作品の中に生きているものです。この『銀の匙』の中には中勘助が生きています。
また、そのような言葉を読むことでこそ、生きるうえでの自分だけの支柱を立てることができるのです。
本を読み、見識を広げ、寛容さを身に付ける。そして人間理解を深め、感性を豊かにする。
本を読むことで、私たちは確実に人格をつくっていくことができます。
自らを成長させるために、1日に1時間でもいいので、本の世界に浸ってみてはどうでしょうか。
写真 齋藤 孝 :明治大学教授
https://lpt.c.yimg.jp/amd/20180503-00218588-toyo-000-view.jpg いや 普通に5歳ぐらいから
読書する環境のある人間が・・・
後は言うまい・・・ >>1
スマホでなにかしらの活字読みまくってるのは理解した方はええと思うで。 >>1
とはいえ本も良書に出会うかどうかだからねぇ
ホリエモンみたいに何万冊読んでも馬鹿のままっていう輩もいる >>1
アホくさ
こいつのいう「読書」って「読書のための読書」の事だろう
ほんとうの「読書」は「情報を得る事」
情報を得られるなら「有益」
情報を得られないなら「無益」
情報が大して必要ないなら「読書も必要ない」
つまり人それぞれ違う
「読書は教養を高める」とかナンセンスの極み パルコのコピーで「本読むバカが、私は好きよ」ってのがあったが
今では本読みは好かれもしない
遠ざけられるだけの存在に成り果てた 本に影響受けるとかないわ
所詮他人の思考は他人のものだからな フィクションなんか読んで楽しい以外の感想なんかあるの?
人生に役立つなんて考えてるならそれこそ功利主義でさもしい人生のあり方 結局のとこ人生を変えるような至極の一冊に出会えるかどうかだよな
例えば近代啓蒙思想とグローバリズムが普遍的価値だと考えれば、それを補完するような本しか読まなくなる
その結果「改革、改革」と叫ぶだけの猿が誕生する 本を読まない人間との会話はつまらない、
自分の思い込みと同じ事を繰り返す。 俺たくさん読んでるけど国語力低いよ
文章の意味はわかるけど漢字書けないし
教養には全く関係ない思う 試行錯誤しながらある種の真実に到達したとき
絶対他人に教えたくなくなるのが真の本読み
教えたくなるのがベストセラー 本は「成長」っていうか
普通の人生日常では体験できない知らない世界がたくさん広がっていて面白いよね?
私はせいぜい年100冊くらいかなあ?
それも恋愛本とかスピ本とか入ってるから
本当の教養、文学本は少ない
興味ある本を全部読まないとせっかくこの世に生まれてきて
もったいない気もするんだよね
だから本を読むためにまた生まれたいとか思っちゃう >>20
語彙が増えてだからどうしたw
アホが言葉の選択肢を増やしたところでアホのままだろw 小林よしのり
大学生の53%が読書時間がゼロだという調査も出た。
若い世代が「本離れ」しているそうだが、
本を読まない大学生なんて、大学に行く意味があるのか?
本来、読書は無理にするものではない。
大学生の頃は、単に娯楽としての読書を超えて、知識欲の高まりで本をむさぼり読む時代のはずだ。
人間とは何か?歴史とは何か?宇宙とは何か?生きる意味とは何か?
そういう好奇心が湧かない者が大学に行ったってしょうがない。
読書は若いときしかできない。
社会に出て働き出せば、忙しすぎて読書の時間をとれなくなるし、疲れて本を読む気力も衰える。
やっと定年退職する頃には、老眼になって、本を読むのも疲れるばかりになる。
若い頃に、特に大学生のときに本を読んでおかなければ、一生馬鹿になるのに、哀れなものだ。 >>22
若い時いなせでカッコいい大工さんとかガテン系とか
中年過ぎると全く冴えないジジイになるのは
やっぱり本を読んでなくて教養が無いからだと思う
全てがそうとは言わないが >>25
教養とか文学にむやみにコンプレックス抱かなくていいから 小説や映画みたいな作り話に金払ったり無駄な時間を費やすのはガキ 今太宰治も読んでるけど(他の文学も同時並行)
彼の文章、だらだらしてるようですんなり入ってきて読みやすいんだよね 小林よしのり
20年くらい前、大人が電車で漫画を読む姿がみっともないなどと言われたものだが、
今やそんな姿はどこにもなく、あの時代は漫画と同時に本や雑誌全般が読まれていたのだ。
つまり漫画も含む活字全般に慣れ親しんでいた時代だった。
日本人は本を読む国民だから、文化的で素晴らしいと、誇りに思っていたが、
ネットが普及してからは見る影もない。
ツイッターの短文しか読めない若者がごっそり出てきて、
今じゃ文字数がかなり多い『ゴーマニズム宣言』を読める若者は、それだけで頭がいいと評価せねばならないだろう。
馬鹿があまりにも増えたから、「罵詈雑言」と「批評・論理」の区別もつかなくなった。
ヘイトスピーチの問題もその辺の事情が原因としてあるのではないか?
右も左もツイッターでは「劣化した感情」が噴き出すだけで、論理が全くない。
活字文化の衰退は、国民の知性を劣化させ、
国家権力の意のままになる羊の群れを生産するだけである。 本好きだけど趣味の範囲だし他人にすすめようとは思わんけどな
釣り好きの人が釣りはいいぞーとか言ってすすめてきてもうざいだけだろ
もともと興味あったとか何にでもチャレンジしてみたいとかそういう人は別にして
あと本の場合釣りとかの趣味とは違って大抵の人が経験してるし、経験した上でやらないってことは合わないってことだろうしな
ピーマン嫌いな子にピーマンおいしいから食べなさいとか栄養あるから食べなさいとか言っても意味ないのと同じだよ 読書はホントに良いものだ。しかしメディアに出てくる多読家は、例えば立花隆みたいに深みのある人間と思えない人ばかりのような気がする。 なんか思ってた論調と違った
最後まで読んでないけど偉人と繋がってる感覚〜のくだりでんん?となった 本は時代遅れ それでも哲学書は読めだな
でも精神は高まらないからね
なぜかというと、その高まった精神とやらで、他人や世界を判断し、裁くからだよ
あなてゃレベルが低いですよだの、あなたは間違っていますよだの
この構造がわかれば、イエスが偉大な人間で、キリスト教信者がなぜだめなのか理解できる 好きな物しか読まなくなるってのはあるし、能力を超えてると判断したら数ページで放置している。
芥川賞とか簡単に読めるからと読んではいるがほとんど覚えていない。
Amazonのレビューでも読んだほうが良いかと思う今日この頃 図鑑を眺めるより動画で見たほうが100倍理解が早い
活字を読むことより何をどれくらい知ったかが大事でしょ 趣味でいいんだよ
ゲームテレビネット漫画音楽エロビテオの見すぎやり過ぎより罪悪感が薄いって程度 歯並びの悪いサッカー選手が
生意気な事言ってんのかと思ってしまった 書物で得られる知識などたかが知れている
いやむしろ知った気になる分たちが悪い
自ら体験し、自著を出版してこそ一流 >>1
スレタイだけだと
流石齋藤先生良い事言うな
と思ったんだが…
全文読んだら単なる「銀の匙」の
ステマかよ?!で終わったわw 乱読、つん読しながら苦しみながら獲得してほしい
好きな情報だけでない
何かを示唆していることに気付くようになってほしい
そこがネットとは違うんだよネットとは
www
はい問題提起したよ >>28
語彙とは脳に入れるデーター、
脳内がビックデータになれば思考力や判断力や
表現力が高まる。当然行動や品格が変わる。 >>28
語彙が増えれば相手の言ってることも
理解しやすくなるんですが、、、 >>33
でも文学は賞を取った人が多いし、出版までにかなり精査されて実力を試されてるよね?
教養、はやっぱり学問の世界で実力を持ててる人しか出せないもの。
読めばそのまま知識にもなる(いい悪いの知識は別としても)
娯楽本よりは読むに値するものが多いのは事実だと思う
恋愛本とかありきたりだったり偏った価値の押し付けだったり
読んで損したって本が多い
もう読まないと思うw オススメ作家
池澤夏樹
平野啓一郎
星野智幸
高橋源一郎
島田雅彦 あくまでも俺の印象
本を読む人は相手の良くも悪くも人の気持ちが分かる
本を読まない人は人の気持ちがわからない You達はDo生きるか
サヨクイチオシなので絶対に読みませんがね
テレビで何回もあらすじ出しやがってウザいわ
サヨクが言いたい事は
「とにかく謝れ」ってだけなんだよな 吸収力がある人が本を読んだら知識や語彙が増えるけど、
吸収力がない人が本を読んでも知識や語彙は増えない。
本に限らず、学べるかどうかにはその人の生きる姿勢が関わってくる。
やる気が足りない人は何をやっても基本的に吸収しない。
目に見える形で成長しなければいけないということはないので、
心の拠り所や娯楽として楽しんでも全く問題はないけど。 一時間、幸せになりたかったら酒を飲みなさい
三日間、幸せになりたかったら結婚しなさい
八日間、幸せになりたかったら豚を殺して食べなさい
永遠に、幸せになりたかったら釣りを覚えなさい >1日に1時間でも
すでにハードル高し
まぁもって15分だな 何でも読めば良いという訳じゃない
読む価値のある本を読みたいのに つっても本ばかり読んでる引きこもりオタクでは意味が無い
バランスが大事 この>>1の記事では「読書で他社の人生を追体験できる」とか書いてるけど
「追体験」って不可能だよなw
絶対できもしないやってもいない事をやった気分になっている
例えばその本で主人公が殺人を犯して苦しんでるとする
それを見て読者は「こんなに苦しんでいるんだー」と思う
でもそこで思ったことはほぼ全て嘘
その本の主人公と読者である自分は全くの無関係
野次馬にすぎない
野次馬には当事者の気持ちなんて未来永劫わからない
そんなんで「理解していることになる」というならそれこそ今まさにテレビでやってるワイドショー
視聴者も「他者の人生をおもんばかる人間」という事になってしまう 本でも映画でも、読んでる見てる数を言うやつはカスばかり
ただ読んでるだけ、見てるだけ
それを読んで何をしたとか、それができた背景とかそういうのが語れる人は良い >>52
いくらデータが膨大でもそれを取捨選択する人間のアタマが悪ければ折角のデータも
すべて間違った使い方をされるだけ 本を読まない奴は子供が出来たらキラキラネーム付ける。 >>59
>「とにかく謝れ」ってだけなんだよな
あの人たち自分から決して謝らないのにな 小林よしのり
大学には勉強しに行くもんだと思っていた。
それも高校生までのように教師から詰め込まれる知識ではなくて、
自力で勉強できるのが大学生の特権だと思っていた。
明確に「本を読む」という目的で大学に行ったので、講義すらサボって自宅で本を読んでいた。
「人間とは何か?」「社会とは何か?」「歴史とは何か?」「宇宙とは何か?」と興味が膨らみ、
「民主主義とは?社会主義とは?共産主義とは?」そういうことに興味を持ち始めるのが大学生だし、
それを自力で勉強できるのが、大学生の特権だと思っていた。
仏文学でサルトルの「嘔吐」を原文で読む授業を受けていたが、
面白いと思ったら文庫本を買って、さっさと日本語訳で読んで、
さらに実存主義に興味を持ち、ハイデッガーに興味を持ち、
メルロー=ポンティに興味を持ち、マルクス主義に興味を持ち、
フランス革命に興味を持ち、ルソーに興味を持ち・・という風に、どんどん読まなきゃならない本が増えていった。
一方で日本文学も世界文学も読んでいたし、ブルーバックスで相対性理論や量子力学や脳生理学も読んでいた。
それが大学生だと思っていたから、「民主主義とは何だ?」と社会に訴える感覚が全く分からない。
「これだ!」なんて言ってる若者を見ると恥ずかしくなる。
そういう問いが生まれたら、ただちに本を読んで自力で学習するのが大学生だと思っていたからだ。 このレスにも洗脳がすすんでいる人がいるね
日本人は、他人からどう思われるかを気にするように洗脳されている
それがいいなら別に何もいうことはないよ 最大限気にしながら生きたらいい
だが、もうひとついうなら
人間は社会的動物なのだから、洗脳されて生きていくということでもある
ここで自由という概念がでてくる
つまり、自分が洗脳されたいように洗脳されていくということ
これには生きる目的もかかわってくる ほとんどの人間は「幸せに生きたい」という欲求があるだろう
幸せにいきたいのなら、そう生きればいい 今幸せじゃないなら、洗脳のされかたを替えたらいい
シンプルだけどこれしかないからな すべてはシンプルさのバリエーションだ 2スレなんかいらねーだろ
「体験」がマストと主張する方と「知識」としてアクセス出来ればいいという方
話がかみ合う訳ないしそもそも>>1は体験も知識もお為ごかしで本という一メディアを特別視してるだけの主張でしかない
そこから話振らませるのがそもそも馬鹿らしい 20までは狂ったように月100冊くらい本読んでたけど
20すぎたらぱったり読まなくなった
読むのはせいぜい実用書
フィクションに割く時間もったいない >>74
「ゆな」って名前どうも気になる
江戸時代の社会風俗で「湯女」というのがいて「ゆな」と読むんだけど
表向きは湯屋で客の背中を流す女性なんだけど実態は春を鬻ぐ女性で
街中で「ゆなちゃーん」などと呼んでいるのを聞く度にドキッとしてしまう ただの娯楽。娯楽でないなら仕事。
それ以上でもそれ以下でもない しかも同じ情報を取り入れても人によって結論が違うのは面白い。このスレ見てもそうだけど。
読書は情報を取り入れる事だからね。フィクション、ノンフィクション含めて。 >>71
データーを取捨選択するのも脳だが、
取捨選択の判断基準もインプットしないとだめ。 本は一切読まないが???
慶應義塾のバッグを持ち歩いてるから
>1理論だと
俺は福沢諭吉先生と繋がってるニャン 本はただの趣味
ただここで読書アピールしてる奴はなぜか読書しないことが害悪のような決め付けしてるアホが多い
そういうアホに限って具体例挙げられない >>55
そうじゃないから・・
本なんて自費出版でもいくらでも出せるよ
あなたは権威主義的だね
馬鹿が馬鹿を持ち上げる側面はその業界でも例外ではないし。それが嫌になって学会とかって分裂していくんだよね >>82
ところが一番難解なのが私小説だと
はたと気づく時が訪れるw 個人の観点なら、読むのも読まないのも自由でいい。
しかし、実は、個人が本を読むことの利益、不利益の話ではない。
社会、人間全体のことを考えると、本は読まないかんのよね。
今の若い世代、さらに言うと、恐らく一般の先生まで含めて言語能力が低下してる。
これで、次世代、次々世代と社会の活力を維持できるか?不安でしゃーない。
若い世代に、スマホばかりいじってるとアホになるって示すために、
おっさんが公衆の面前でスマホいじるのは禁止した方がいい 一流経営者の本とか一時期読んでたけどいまいち参考にならなかったけどな
会社に大損害与える→周りから疎まれる→なぜか翌期の肩書は数段あがった状態で次章スタート
の繰り返しでいつの間にか社長になってましたパターン多すぎ 漱石は冗長で読めんなぁ
長期休暇もらったら三四郎三部作よもうかとは思ってるけど 確かにスマホ使うようになって読書量減ったな
今は新刊追いかけてる作家もいなくなった 本読む事そのものが目的になってドヤってる能無しが多くてな >>1みたいなヤツは、自分の好みを押し付けるのが好きだよね。人それぞれなんだから、
本を読まないヤツがいてもいいだろ。オレは本は読むけど文学や小説は読まないな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています