0422名無しさん@恐縮です
2018/04/11(水) 14:49:19.08ID:F87lxgy/0大杉さんはサッカーをこよなく愛したことでも知られた。高校時代から始め、
92年に仕事仲間らとチーム「鰯クラブ」を結成。「鰯は庶民的な魚だから末
永く付き合える」という命名理由通り、長年友と球を追った。「Jリーグ
(93年開幕)より古いんですよ」が自慢の種。背番号は不動の10番。還暦
を超えても月2回ペースで、フルコートでの試合で駆け回った。
映画監督から普通の会社員まで、数十人のメンバーにはさまざまな社会的地
位の人物が在籍したが、ピッチ上では肩書なしでお互い呼び捨て。仕事の話は
しなかった。かつては人のボールを奪うスタイルが持ち味だったが、40歳を
超えると自分も相手もケガをしないようにと、気を使うスタイルになった。
テレビでサッカーを放映すると、セリフ覚えの最中でもつい朝まで見てしまう。
車にボールとシューズを常備し、ロケの合間にも共演者とプレー。「満足でき
る仕事をするためには、仕事だけを懸命にやっていても駄目」という信条を体
現するような生き方だった。
大杉漣さんの訃報にサッカー界から悲しみの声続々…
大杉漣さん急死、サッカー・徳島を愛した サポーターから悼む声
急死・大杉漣さんが愛した「サッカー」
映画、テレビと欠かせない存在となってもてんぐにならず、気さくな性格は変わ
らなかった。「大杉さんはピンク映画やVシネマに出演した20〜30代にくす
ぶり続け、苦労した。その経験があるからか、名脇役としての地位を築いた今
でも、若手の役者やスタッフにも気さくに話しかける。それは一般人にも。ド
ラマのロケの合間に通りすがりの人から握手やサイン、写真を求められても断
らず『いいよ〜!』と応じていた」(テレビ局関係者)
私生活でも多彩な趣味を持っており、かつて本紙の取材に「趣味は手裏剣です。
棒手裏剣を畳に投げつけるとストレス解消になるんです」と明かしていた。
また、サッカーのJ2徳島ヴォルティスの大ファンで、自らもフットサルチーム
を結成。定期的に練習試合も行っていたそうで「仕事先で会っただけの女性ス
タッフにも気さくに『見に来てよ』と声をかけていました。大杉さんは還暦過ぎ
とは思えぬほどの運動量で、一番若々しかった。『年を取ると運動しなくなるか
らさ』と話していたので、健康には気を使っていたはずです」(知人女性)。