サッカーを深く愛した大杉漣さん 背番号10で還暦超えても月2回プレー

大杉さんはサッカーをこよなく愛したことでも知られた。高校時代から始め、
92年に仕事仲間らとチーム「鰯クラブ」を結成。「鰯は庶民的な魚だから末
永く付き合える」という命名理由通り、長年友と球を追った。「Jリーグ
(93年開幕)より古いんですよ」が自慢の種。背番号は不動の10番。還暦
を超えても月2回ペースで、フルコートでの試合で駆け回った。

 映画監督から普通の会社員まで、数十人のメンバーにはさまざまな社会的地
位の人物が在籍したが、ピッチ上では肩書なしでお互い呼び捨て。仕事の話は
しなかった。かつては人のボールを奪うスタイルが持ち味だったが、40歳を
超えると自分も相手もケガをしないようにと、気を使うスタイルになった。

 テレビでサッカーを放映すると、セリフ覚えの最中でもつい朝まで見てしまう。
車にボールとシューズを常備し、ロケの合間にも共演者とプレー。「満足でき
る仕事をするためには、仕事だけを懸命にやっていても駄目」という信条を体
現するような生き方だった。

大杉漣さんの訃報にサッカー界から悲しみの声続々…

大杉漣さん急死、サッカー・徳島を愛した サポーターから悼む声


急死・大杉漣さんが愛した「サッカー」

映画、テレビと欠かせない存在となってもてんぐにならず、気さくな性格は変わ
らなかった。「大杉さんはピンク映画やVシネマに出演した20〜30代にくす
ぶり続け、苦労した。その経験があるからか、名脇役としての地位を築いた今
でも、若手の役者やスタッフにも気さくに話しかける。それは一般人にも。ド
ラマのロケの合間に通りすがりの人から握手やサイン、写真を求められても断
らず『いいよ〜!』と応じていた」(テレビ局関係者)

 私生活でも多彩な趣味を持っており、かつて本紙の取材に「趣味は手裏剣です。
棒手裏剣を畳に投げつけるとストレス解消になるんです」と明かしていた。

 また、サッカーのJ2徳島ヴォルティスの大ファンで、自らもフットサルチーム
を結成。定期的に練習試合も行っていたそうで「仕事先で会っただけの女性ス
タッフにも気さくに『見に来てよ』と声をかけていました。大杉さんは還暦過ぎ
とは思えぬほどの運動量で、一番若々しかった。『年を取ると運動しなくなるか
らさ』と話していたので、健康には気を使っていたはずです」(知人女性)。