もがく稀勢の里に光が見えない。嘉風にもろ差しを許し、外四つで寄ったものの簡単に体を入れ替えられて俵を背に。がぶられ、最後は胸を押されて横倒しに吹っ飛び、土俵下に転がり落ちた。

 3連敗のショックを物語るように、取組後は言葉を発しなかった。朝稽古の後には「やると決めたら最後までやり抜く」と語っていたが、思いとは裏腹にまた積み重なった黒星。険しい表情のまま、支度部屋から重い足取りで引き揚げた。

 師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は「本人が一番悔しいし、苦しい」と心境を代弁する。横綱昇進2場所目から途中休場や全休を4場所も続け、左上腕などのけがの回復に努めた。しかし激しい攻防の中ではすぐに腰高になってしまうように、足腰の力の入り具合はどうにも心もとない。

 2場所続けて3日連続の金星を配給したのは、1931年春場所の宮城山以来。序盤戦で不戦敗を除いて横綱が1勝4敗となったのは、53年の千代ノ山以来という不名誉だ。田子ノ浦親方は「これを乗り越えていくしかない。自信を持ってやることが大事」と言うが、稀勢の里は難しい選択を迫られている。

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