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2018/01/16(火) 23:49:21.20ID:CAP_USER9投手としては、僕が一番激しく殴られたのかもしれません。試合中のベンチ裏で顔面に6連発ですから。
デビュー2年目の1988年8月。ナゴヤ球場での阪神戦でした。中日はこの年優勝しましたが、夏場は巨人と優勝争いを繰り広げていました。自分は右膝のけがを隠して投げており、この試合はリリーフでマウンドに上がりました。
打席にはジョーンズ。本塁打を1本も打っていない助っ人です。捕手のタケシ(中村武志氏)のサインは変化球だったのですが、直球を投げて本塁打を打たれてしまいました。ナゴヤ球場は照明が暗く、サインが見づらかったのです。
当時の星野監督は血気盛んな41歳。打てない外国人選手に対し、簡単に直球勝負をしたことに激高しました。ベンチに帰ると、サイン違いだったこともばれていました。
「なんであそこでまっすぐなんや! 裏へ来い!」
鬼の形相です。タケシと2人でベンチ裏に行くと詰め寄られました。
「(サインを間違えたのは)どっちだ?」
「間違えたのは自分で…」
「なにやっとるんじゃあ!」
ガツーン。返事をする間もなく、ほおの当たりに激しい衝撃を受けました。普通のビンタではありません。手のひらの下部の硬いところでの掌底打ちです。フック気味に来たので防御もできません。
しかし、僕は後ろに下がったら負けだと思い、半歩前に出たのです。
「なんじゃあ、お前は!」
ボコッ、ズカッ、ドスッ。顔面6連発。すべて体重を乗せた重い殴打ばかり。脳が揺れ、背骨に衝撃が走りました。口の中が切れて血がしたたり落ち、ユニホームが鮮血に染まりました。
しかし、自分は後ろに下がりませんでした。むしろ間を詰めました。これは、タケシがいつも殴られているのを見て、腕が伸びたところでもらうよりも、接近してしまった方がダメージが少ないことをわかっていたからです。
「何やってんだ。次の回もいけ!」
てっきり交代だと思っていたのですが、続投を告げられました。血をぬぐってマウンドに上がり、3者凡退に抑えたのです。殴られたショックで膝の痛みが飛んでいました。もう1回投げるチャンスをくれたのだと思いました。
ミーティング中にパイプいすが飛んできたこともありましたが、当たってはたまりません。よけて足でセーブしたのを覚えています。
ただ、成功も一緒に喜んでくれるんです。87年の巨人戦(ナゴヤ球場)で、同点の延長10回表に登板したときのこと。篠塚さんを3球三振に打ち取り、0点に抑えてガッツポーズを決めたら、いつの間にかベンチを飛び出した監督がマウンドの横にいて「ようやった!」。まだ裏の攻撃があるのにですよ。
まさにアメとムチですが、この人のためなら腕が折れても投げなければ、と思わせる監督でした。ミーティングでは背筋が伸びました。
自分は少年野球のコーチをしていますが、星野監督がいかにプレッシャーを感じていたか、命を削っていたかがわかるときがあります。チームの卒業生である東海大菅生高の松本健吾投手が昨夏、西東京大会決勝で清宮幸太郎選手(現日本ハム)を擁する早実を下し甲子園に出ました。松本にも「清宮がいるなら、お前は最高のヒール役になれ」と伝えました。これは星野流です。
1/16(火) 16:56配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180116-00000012-ykf-spo
写真https://amd.c.yimg.jp/amd/20180116-00000012-ykf-000-6-view.jpg