星野仙一さん死去 プロ野球 楽天などで監督
1月6日 4時20分 10時03分更新 NHKニュース
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プロ野球の中日、阪神、楽天で監督を務めチームをリーグ優勝や日本一に導き、「闘将」とも呼ばれた星野仙一さんが4日、亡くなりました。70歳でした。

これは、星野さんが球団の副会長を務めるプロ野球の楽天が発表しました。楽天によりますと、星野さんはおととし、すい臓がんであることがわかり、その後、闘病を続けてきましたが、先月下旬に病状が悪化し、4日午前5時25分に亡くなったということです。

星野さんは岡山県出身の70歳。明治大学から昭和44年にドラフト1位で中日に入団しました。現役時代は、闘志あふれるピッチングスタイルから「燃える男」と呼ばれ、中日のエースとして14年間で通算146勝をあげ沢村賞も受賞しました。

現役引退後はNHKのスポーツキャスターを務め、さわやかな笑顔とわかりやすい解説で人気を集めました。

その後、昭和62年には中日の監督に就任して大胆な戦力の入れ替えなどでチームを改革し、2回のリーグ優勝を果たし、その熱い指導ぶりから「闘将」とも呼ばれました。

そして、平成14年には低迷が続いていた阪神の再建を託されました。ここで星野さんは「勝ちたいんや!!」をキャッチフレーズにチームを改革し、就任2年目に阪神を18年ぶりのリーグ優勝に導きました。

阪神の監督を退いたあとは、金メダルを目標に掲げ、北京オリンピックの日本代表の監督も務めました。

その後、東日本大震災が起きる直前、63歳の時に楽天の監督に就任しました。被災地の球団としてチームを鼓舞し、就任3年目の平成25年には楽天を初のリーグ優勝と自身にとっても初めてとなる日本一に導き、震災からの復興に向かう東北のファンを大いに元気づけました。

平成26年のシーズン終了後に、成績の不振と健康上の理由から球団に迷惑をかけたとして監督を退きましたが、その後は球団の副会長に就任して梨田昌孝監督を招へいしたほか、ドラフト会議の方針決定や戦力の補強などチームの編成に携わっていました。

そして、野球界の発展に大きな功績を残したとして、去年、野球殿堂入りしました。

葬儀は密葬で執り行われる予定で、球団では後日、お別れの会を開くことにしています。
★1が立った時間 2018/01/06(土) 07:40:39.33
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2-20くらいに続きます。