遺言状も書いた

 《ドラムへの思いは、2017年3月に日本で公開されたドキュメンタリー映画「WE ARE X」でも描かれている。メガホンを取ったのはドキュメンタリー映画を多く手掛けるスティーブン・キジャック監督。海外でも公開されて反響を呼び、同年12月13日にはDVDやブルーレイでも発売された。

 YOSHIKIは幼い頃に父親からクラシックのレコードを買ってもらい、ピアニストになる夢を抱いた。しかし、10歳のときに、父親の自殺に直面する。それからほどなくしてロックと出合う。激しいビートにのめり込む中で、絶望をドラムにぶつけるようになった。このため彼が手掛ける音楽からはクラシックとロックの要素が感じられる》

 −−お父さんはクラシックの音楽を好まれていたそうですね

 「子供の頃には父親が何枚もレコードを買ってくれたので、ずっとクラシックしか聴いていなかったんです。そのときは僕はクラシックのピアニストになるのかなと勝手に思っていたんですけれども…。あのように父親が亡くなるとは思ってもいなかったので」

 −−ご自身はロックバンドのリーダーですが、クラシックを演奏することもありますよね

 「そうですね。クラシックとロックは両方とも音楽です。近い音楽ではないのかもしれませんが、僕にとっては、遠いとは思えません」

 《今年7月に行われたX JAPANの日本ツアーにはピアニストとして参加。静かで穏やかな演奏主体の公演に挑んだ。同月17日の横浜アリーナ公演では、躍動的なドラムが特徴であるはずの代表曲「紅」でも鍵盤の上で滑らかに指を躍らせた》

 −−この公演を「奇跡の夜」と表現されていました

 「『X JAPAN』の曲は全てクラシック調にもなり得ると改めて実感できた。ドラムはたたけない状況でも出演したい。その思いにメンバーたちは賛同してくれた。その時のメンバーたちの気持ちを思うと涙が出てくるくらいに感謝しています」

 −−25曲のパフォーマンスを終えたときの表情は、晴れ晴れとしているように感じられました

 「手術の前には財産に関する遺言状を書き、死を強く意識した。その後は、生きている、というより生かされている、というような気持ちになりました。その後の公演だったので、目の前にいるファンの皆さんが僕に人生を与えてくれた人たちだと思えたんです。だから僕もすがすがしい表情になってしまったんでしょうね」

 −−これまでもお父さんやバンドのギタリスト、HIDEさん(享年33)など身近な人の死に向き合ってきました。手術後、生と死に対する見方は変わったのですか

 「いつも死と隣り合わせで、一瞬一瞬、命懸けで生きてきた。その姿勢は昔から変わらないのかな。ただし、自分だけの命ではないという気持ちは強くなったと思います」

 −−2018年の抱負を

 「毎日を生きることが精いっぱいで、ぎりぎりの状態なのですが、今まで頑張ってきた何らかの成果を出したいと思います」(文化部 竹中文)

 YOSHIKI(ヨシキ) 幼なじみのボーカリスト、Toshlとバンド活動を始めて、高校時代に「X」を結成。1989年にメジャーデビュー。92年に「X JAPAN」に改名し、ヒット曲を次々と放った。バンドは人気絶頂の97年、自己啓発セミナーの活動にのめり込んだToshlの脱退宣言を機に解散したが、07年に再結成。今年3月に公開されたバンドのドキュメンタリー映画「We Are X」は海外でも反響を呼び、12月13日にDVDやブルーレイで発売された。