http://bunshun.jp/articles/-/595

田中氏は、東大法学部を経て、1977年に三菱銀行(当時)に入行した。

「ミシガン大の大学院に留学し、国際派で知られる。岸暁元頭取が全銀協会長時代に、
エリートの登竜門と言われる企画別室長に起用された頃から頭取候補として内外に名前が知れ渡った」
(三菱関係者)

 その後は、三菱の北米戦略の中核であるユニオン・バンク頭取を務め、
モルガン・スタンレーへの1兆円出資を平野信行会長と手掛けて、“剛腕”が鳴り響いた。

 ただ、「お役所」と言われる三菱にあっては珍しい、歯に衣着せぬ物言いが災いした。

「次期頭取を選ぶ際に、会長らが事前にお伺いを立てる旧三菱銀行の頭取OBたちで作る『相談役会』で
芳しい評価が得られなかったそうです。
その結果、官僚以上に官僚的と言われ、ソツのなさで知られる小山田隆氏が頭取になった。
ただ、今後は海外が主戦場と言われており、アメリカの金融当局にも顔がきく田中氏を選ぶべきだったとの声もある」(同前)