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【サッカー】川口能活「僕のヒーロー真田さん」インタビュー前編
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2017/11/07(火) 16:16:38.70ID:CAP_USER9
サッカー元日本代表GK川口能活(42=J3相模原)が、日刊スポーツ静岡支局の特別インタビューに応じた。
富士市に生まれ、天間小3年でサッカーを始め、中学、高校時代は清水(静岡市清水区)でボールを追った。
いまだ衰えぬプレーへの情熱。
故郷への思い、真面目一徹の生きざまを前編と後編で紹介する。

神奈川・相模原市内のグラウンド。川口と約15年ぶりに再会した。2002年のW杯日韓共催大会以来だった。

「ようこそ、相模原へ。あれ、髪形が変わりましたね。誰かと思いましたよ〜。元気ですか」

屈託のない笑顔、物腰の柔らかさは、当時と変わらない。そして、「故郷への思い」からうれしそうに語った。

「実家の玄関を出ると、左側に富士山。近くには茶畑、市内には製紙工場の煙突がたくさんある。ずっと残る心の風景です。
高校から寮生活で実家を離れましたが、どこにいても『富士山はどの方角かな』と考えます。
サッカーを始めて、小学校のグラウンドできつい練習をしていた時も、富士山に見守られてきました。だから富士山を見ると、初心に戻れる気がします」

サッカーとの出会いは9歳。3歳上の兄から勧められて始めた。

「富士市では野球をやる子供の方が多かったですね。
当時は大昭和製紙の野球部があって、みんながそこを目標にしていました。でも、僕はサッカーにはまりました。
ソフトボール、バスケットもうまくこなせて、短距離、長距離走も1番になれた。
ただ、サッカーだけは、思うようにいかなかった。
それでも、続けていればリフティングも少しずつできるようになった。自分のものを全て出して、成し遂げる。この感覚が合っていました」

GKは小4から。ある試合で選手が不在になり、「やってみろ」と言われたことがきっかけだった。

「たまたまGKをやったら、試合に勝てました。そこから1つ上のチームでやり始め、点を取られると文句を言われるので嫌な時もありましたが、
ユニホームの色が1人だけ違う。試合には出られるし、うれしいという感じでしたね」

次第に頭角を現し、高学年になると富士市選抜の富士FCでプレーを始めた。その頃、富士総合運動公園で日本リーグの試合を見て刺激を受けていた。

「富士FCで清水FCと前座試合をしてから、ヤマハやホンダ、読売クラブの試合を見ました。
富士市サッカー協会の人が、そういう機会を作ってくださった。
当時、レベルの高いサッカーを見られたのは、W杯とトヨタ杯、たまにある日本代表と全国高校選手権ぐらいでした」

海外の有名選手にも憧れたが、一番のヒーローは清水商のGK真田雅則(故人、元J1清水)だった。

「すごく影響受けました。前に出るプレースタイルで、空中戦も強かった。『格好いいな』と思って、マネをしていました」

中学は、清水の東海大一中(現東海大静岡翔洋中)に進学。富士市出身ならではの思いがあった。

「『富士市から来て、サッカーがうまいのか』という見方をされました。
清水はサッカー文化が進んでいて、商店街にサッカーボールのオブジェがあったりする。そのプライドからでしょうが、僕も負けたくない思いがありましたね」

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171107-00046473-nksports-socc
11/7(火) 10:02配信

https://news.biglobe.ne.jp/sports/1107/4281860003/f-sc-tp0-171107-6473_thum630.jpg
https://f.image.geki.jp/data/image/news/2560/14000/13836/news_13836_5.jpg
http://www.soccerdigestweb.com/files/topics/21671_ext_07_2.jpg
https://stat.ameba.jp/user_images/20110909/00/jokeness1445/bd/dd/j/t02200400_0230041811471133449.jpghttp://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/09/07/jpeg/G20110907001570900_view.jpg
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/d0/adec611e7c68cc30a5ac788c84e048f5.jpg
0002砂漠のマスカレード ★
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2017/11/07(火) 16:17:27.46ID:CAP_USER9
そんな周囲の疑念を実力で覆した。県選抜にも選ばれ、進学した清水商(現清水桜が丘)では、1年から試合に出た。
3年時の93年にJリーグが開幕。次第にプロを意識し始めた。

「当初は大学進学を考えていましたが、2年の時にU−19代表に選ばれ、アジアユースに出場しました。準決勝で韓国に敗れましたが、手応えはありました。
『この経験は、プロに行かないと生かされないのでは』と思うようになり、マリノス、ヴェルディ、ジュビロからは誘いがありました。
監督の大滝(雅良)先生からは特に何も言われず、直接、関係者の方からオファーがありました」

選んだのは、日本代表の松永成立が正GKで君臨していた横浜だった。

「自分がより成長できる厳しい環境を求めていたからです。松永さんはまだ32歳で、僕は『2、3年は試合に出られない』と覚悟していました。
もう1つ、清商OBの山田隆裕さん、三浦文丈さん、スカウトの佐野透さんがいたことも理由です。あの厳しい空気感を知っている方々がいたことは、大きかったです」

その後、川口は五輪、W杯に出場し、栄光のロードを歩んだ。だが、その過程には幾度もの苦しみがあった。
挫折してもトレーニングに励み、食生活から自分を律してきた。真面目に愚直に。後編では、自身の生きざまを語っている。

川口能活の年表

 1975年(昭50)8月15日 富士市に生まれる。

 84年 天間小3年の9歳でサッカーを始める。

 88年 東海大一中に進学。3年連続で全国大会出場

 91年 清水商に進学。1年からレギュラーに。主将の3年時に出場した全国選手権では、準決勝で城彰二を擁する鹿児島実を破り、決勝では前年度王者の国見に2−1で勝利。5年ぶり3度目の優勝に貢献した。

 94年 Jリーグ横浜に加入。2年目から正GKに。

 96年 7月、アトランタ五輪に出場。1次リーグのブラジル戦で28本のシュートを浴びながら無失点に抑え、1−0の勝利に貢献した(マイアミの奇跡)。8月にはA代表に初招集。

 97年 W杯フランス大会アジア最終予選で活躍し、日本のW杯初出場に貢献。

 98年 W杯フランス大会の日本代表に選出。1次リーグ3試合にフル出場。

 01年 イングランドのポーツマスに移籍。

 02年 W杯日韓大会の日本代表に選出。出場機会はなかった。

 03年 デンマークのFCノアシェランに移籍。

 05年 J1磐田に移籍。

 06年 W杯ドイツ大会の日本代表に選出。1次リーグ3試合にフル出場。

 09年 9月に右脛骨(けいこつ)骨幹部骨折で全治6カ月。

 10年 W杯南アフリカ大会の日本代表に選出。出場機会はなかった。

 14年 J2岐阜に移籍。2シーズンで43試合出場。

 16年 J3相模原に移籍。

 17年 プロ24年目。
0003名無しさん@恐縮です
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2017/11/07(火) 16:18:18.16ID:PYQ5NB4O0
僕のヒーローマカダミアのパクリ
0005名無しさん@恐縮です
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2017/11/07(火) 16:18:24.76ID:5NzThVPJ0
オールスターのベンチで本気で鼻ほじってた姿がアップになった人という印象しかないわ
0006名無しさん@恐縮です
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2017/11/07(火) 16:19:51.97ID:fV/vxy5z0
J3って給料出るんか?
出たとしても生活保護費と大して変わらん額とか??
0008名無しさん@恐縮です
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2017/11/07(火) 16:21:29.36ID:PYQ5NB4O0
>>5
それ
テレビでハナクソほじってたのを映されたのは川口とレーブと平山と井手口だけ
これ豆知識な
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