4シーズン過ごしたポルトでは公式戦通算77ゴール。10-11のELなど10タイトルを掲げた

――ゼニトでも活躍したんですが、最初は大変だったと聞いています。

「最大の困難は、ロッカールームだったと思う。それまでああいうことはなかったんだ。
日本で3年半プレーした時、チームの雰囲気は素晴らしかったし、選手たちはみんな尊重してくれた。冗談を言い合えた。
その後、ポルトで4年間を過ごしたけど、そこでもみんなと友情を築き、尊重し合えた。
ゼニトには、クラブが僕に凄い額を支払ったこともあって一目置かれるような形で行ったんだけど、
チームメイトたちを見ると……選手同士っていうのは普通、クラブで日々をともにしている間に家族のようになるものなんだ。

 でも、隣を見るとチームメイトが僕の良いプレーを望んでいないのがわかる。嫉妬とかそういうことでね。
難しいことだったよ。僕にとって、ゼニトでの最初の1年半は凄く大変だった。
他の選手より自分の方が良いプレーをしている、と考えるような選手が何人かいたんだけど、彼らがチームを去った後チームは良くなって、試合に勝ち始めた。
その後は喜びばかりだよ。たくさんの良い瞬間を経て、ロシアプレミアリーグやロシアカップ、スーパーカップのタイトルを獲得した。
だから僕にとって、あれを乗り越えられたことは凄く良かった。困難の後で、すべてが喜びに変わったのは素晴らしいことだったよ」

チームメイトとの関係に苦しんだというゼニト時代。それでも3つのタイトルを手にしたほか、CLベスト16も経験している

――今のセレソン(ブラジル代表)をどう見ていますか?

「凄く良いセレソンだよ。素晴らしい仕事をしているし、チームは喜びを持ってビューティフルゲームをしている。
僕はブラジル人として、幸せに思うよ。いつでも応援しているんだ。チッチ監督と選手たちにおめでとうを言いたい」

――フッキも中国で好調だから、セレソン復帰の可能性もありますよね。

「いやいや、大丈夫。僕は落ち着いているよ。ここで自分の仕事をしながら、セレソンを応援している。
もちろん、監督が僕を呼んでくれるなら、これ以上ない喜びだ。選手にとって最高の時というのは、代表のシャツを着る時だと思うからね。
あのシャツを着る時は、ブラジルだけでも2億人が自分たちを応援しているんだ。
それ以外にも、世界のどこでもセレソンが行けばみんなが歓迎してくれる。
それはとてもうれしいことだよ。世界で最も愛される代表チームの一員であれるなんてね」

2009年に初招集された憧れのセレソンでは通算47試合11得点。
2013年には母国開催のコンフェデ杯優勝(写真)を成し遂げた

――では、フッキのサッカー人生における今後のプロジェクトは?

「まずは上海上港での4年間の契約をまっとうすることだね。ここを気に入っているし、クラブはどんどん成長している。
まだ1部リーグで優勝したことがないから、ここでタイトルを獲りたいというモチベーションが高いんだ。
ケガをしないように守ってくれるよう、神様にお願いしたんだよ。
そして、良いプレーを続けられるように。そのために、コンディション維持に努めている。
その後のことはわからないな。未来は、神様の手の中にあるからね」

――最後に、日本のサポーターにメッセージを。

「いつでも僕や、僕の家族に注いでくれる愛情に感謝したい。日本に住んだ3年半は素晴らしかったし、幸せだった。
人として、すべてにおいて凄く成長できた。だから、日本はいつでも僕らの心の中にある。どうもありがとう。
『ドウモアリガトウゴザシ……、ドウモアリガトウゴザイマシテ……』違う? 日本語、もう少し話せたんだけど、長い間、使ってないから(笑)。『ドウモアリ……、ドウモアリガトウゴザイマシタ!』」

Givanildo Vieira de Sousa “Hulk”
ジバニウド・ビエイラ・デ・ソウザ “フッキ”
1986.7.25(31歳)180cm / 85kg FW BRAZIL