――あなたは子供の面倒をよく見るお父さんみたいですね。

「それはもちろん。僕はいつでも子供に夢中なんだ。熱烈に愛している。それに、人生最大の夢は父親になることだったんだ。
それが21歳という若さで実現して、今は2人の男の子と女の子が1人。凄く幸せ者だよ。僕はすべてに恵まれていると感じている」

シーズン途中の加入となった昨季は公式戦8試合で5ゴール。今季は負傷もありながら25ゴール(38試合)をマークし、昨季を上回るリーグ2位を確定させたチームを牽引した


特別の特別と言えばヴェルディのサポーターだった

――ここからは少し、あなたのサッカー選手としての歴史を振り返らせてください。まずは日本についての思い出を話してもらえれば。

「日本サッカーでは3年半を過ごした。日本に行った時はまだ18歳で、しかも1人暮らしだった。だから凄く大変だったけど、同時に良いことでもあったんだ。
日本の人たちが僕を歓迎し、手助けしてくれるのを感じられたから。日本に感謝しているし、日本のことが大好きだ。また何度でも訪ねたい国だよ。
特に、子供たちと行く機会ができれば凄く価値があることだね。

僕は3つのクラブでプレーした。川崎フロンターレとコンサドーレ札幌、そして東京ヴェルディ。
最初に呼んでくれたのはフロンターレだったんだけど、結果として、出場した試合は一番少ない。
その後、1年間のレンタルで札幌に行った。J2だったけど、僕らは凄く好調だった。
その後はヴェルディ。僕にとっては、日本での一番良い時期だった。監督はラモスで、僕らはJ1に昇格した。
僕は得点王になって、しかも歴代記録を破る38ゴールを決めた。
だから、あそこではみんなの心に刻まれた。ヴェルディのサポーターが、僕のために歌ってくれるのを今でも覚えているよ。

 “♪エー、フッキ・ゴール、フッキ・ゴール、フッキ・ゴール、フッキ・ゴール、ラー、ボンバ!♪”

ヴェルディでのJリーグ初戦ですぐ、ロングシュートでゴールを決めたのが、印象強かったんだろうね。かなりの距離で、強烈なシュート。
それで、サポーターはこれを歌い始めた。僕にとっても、あのゴールは心に残るものだったよ。
早くゴールを決めて、サポーターに喜びを与えたいと思いながらピッチに入って実現できたんだから。素晴らしい日々だった。
ヴェルディのサポーターにはもの凄く大きな愛情を持っているんだ。
もちろん、3クラブ全部そうなんだけど、特別の特別と言えばヴェルディのサポーターだった。より良い時期だった、というのもあるしね」

――ポルトでは、サッカーの世界におけるあなたの存在を確たるものにしましたよね。まだ若かったし、外国人なのにキャプテンも任されて。

「凄く大きな信頼だよね。僕はJリーグからポルトに行った。アジアとヨーロッパはまったく違うから、いろいろな困難を予想していたんだ。
でも、あそこに着いた時に凄く歓迎してもらえてね。それに、自分の思うようにやらせてくれたのもあって早く適応できたんだ。
ポルトに入ったばかりの頃、ポルトガル・カップのアウェイでのスポルティング戦でゴールを決めた時から、みんなの信頼を感じ始めた。
僕自身、自分の特徴も出せるようになった。キャプテンを務めるのは、責任も凄く重い。特に、いつでもタイトルを争っているポルトのようなビッグクラブだからね。
でも、ポルトは選手にすべてを与えてくれるクラブだし、ピッチの内外で素晴らしいチームメイトたちがいた。
だから凄くやりやすかったし、僕もプロとして、キャプテンであろうがなかろうがベストを尽くしていたよ」