――坂本冬美さんにとっては、HISは演歌とロックを行き来するきっかけになったでしょうか?

ロックと演歌って正反対の場所にいるようですけど、何か近いものがあるんですよね。



――それはなんでしょうね?

わからないです。
でも、合うんですよね。真逆にいそうなんですけれど。
清志郎さんも個性的な声をしてらっしゃるし、私も変わった声なので、清志郎さんご自身がそういう個性的な声や変わった声がお好きだったのかなと「ナニワ・サリバン・ショー」で見ていても思いました。
清志郎さんも一癖ある、私も一癖ある、そして細野さんも一癖ある(笑)。
一癖、二癖、三癖が、合わなさそうで不思議とうまく合ったんでしょうね。絶妙なバランスだったんじゃないかな。



――ロック・ミュージシャンと関わることで刺激や影響を受けた面はあるでしょうか?

当時は清志郎さんの存在が大きかったですが、柳ジョージさんとライヴ(1993年)をさせていただいたり、中村あゆみさんに曲(『アジアの海賊』)をいただいたりとか、
それもこれも清志郎さんとの出会いがあったからだと思いますね。

ふたりの師匠〜猪俣公章との別れと二葉百合子との出会い



――1994年の「夜桜お七」は、1993年に猪俣公章さんが亡くなってからの最初のシングルでした。師匠を失っての歌手活動は大きな試練だったのではないでしょうか?

まさにその通りで、猪俣先生が亡くなった後、スタッフ一同で「何をすればいいんだ」と考えた後、通常の演歌だとどうしても猪俣先生と比べてしまうので、
思いきって林あまりさんというまったく違う世界の方に作詞をお願いして、「アンパンマンのマーチ」からミュージカルまで手がけていらっしゃる三木たかし先生に作曲をお願いしました。

https://youtu.be/f3cmggPaQMw



――「夜桜お七」は、緊張感に満ちたイントロから始まって、坂本冬美さんが演じるかのように歌うのが素晴らしいですね。

三木たかし先生が「前半のスローな部分は満開の桜が咲き誇っている静かなイメージで、そこに月が浮かんでいる何か怪しい雰囲気をイメージして。
リズムが変わったら、桜が舞い散るところをイメージして気持ちを切り替えて」とおっしゃってくださって歌えたんです。



――1996年の「蛍の提灯」は宇崎竜童さん作曲のレゲエで、大胆な挑戦だったと感じます。

難しかったです、しゃべりながら歌わなきゃいけなかったので。「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」と同じで、しゃべって歌って、しかもそれがレゲエのリズムなので。とても難しかったですね。

https://youtu.be/jxQmB6JUu60