――HISについてはどう説明されていたのでしょうか?

そんなに説明されてなくて。清志郎さんに「冬美ちゃん、詞を書かない?」と聞かれたけれど、「私は書けないですよ」と言ったら、
「じゃあなんかエピソードとかない?」って聞かれて初恋の話をFAXでして。
詞らしきものも送りあっているうちにできたのが「夜空の誓い」や「恋人はいない」なんです。



――細野晴臣さんは「omni Sight Seeing」(1989年)をリリースした後で、コブシに興味を持っていた時代ですね。

ワールドミュージックとかやってらっしゃいましたよね。



――そういう説明も特になく?

「『ロックが生まれた日』でやったようなこと」と言われていて、「また学生服を着るんですか?」みたいな(笑)。歌については「コブシを強調してください」ということでした。



――2005年には「Oh, My Love〜ラジオから愛の歌〜」(坂本冬美の単独名義)をリリースし、2006年のライヴやテレビ出演までHISは実質的に続きましたが、
HISでの坂本冬美さんの立ち位置はどんなものだったのでしょうか?

もう学生のノリで。アメリカの3人組がいるじゃないですか、誰だっけ......?



――ピーター・ポール&マリー?

それ! 



――だいぶ変わったピーター・ポール&マリーですね(笑)。

そんなことをおっしゃっていましたね。そこにさらに学園祭的なものが根底にあるんだと思いますね。
言われたのは「コブシを回してください」「うなってください」、このふたつだけ。
あとはないです。ライヴは、清志郎さんが亡くなる前の「ナニワ・サリバン・ショー」が最初で最後です。



――2016年にはHISの「日本の人」がSHM-CDとアナログレコードで再発されました。こうした再評価をどう感じられますか?

ちょうど私も30周年でしたね。リアルタイムで聴いていた方は、演歌に興味がなかったけれどHISで私を知ってくださった方が多かったんです。
あれから20年以上経って、若者の中には清志郎さんを知らない人もいるわけじゃないですか? 今、初めて清志郎さんの歌を聴く方もいると思うんです。
清志郎さんからHISに流れ着いてくれると嬉しいなと思います。
正直言って、恥ずかしくてしょうがないんですよ、若いから。
でも、こんな貴重なアルバムは私のこれからの人生でもないでしょうし、宝物ですよね。再発してくださったのはとても嬉しいことですね。