▼〈発信 私の第2幕 アナから福祉施設職員へ 内多勝康さん〉5月28日朝刊、日本経済新聞(筆者=久永純也)

「長い物には巻かれろ」の風潮が強まっているように感じる。騒いだところで世の中は変わらない。ならば強い者の側に付き、おこぼれに与かった方が“得”ではある。

 超高齢化と人口減少によって、日本経済は確実に縮小傾向に入っている。それでも企業は利益を上げようとするので、働く人への負担が強まる。「ブラック企業」が増えるのも当然だ。多くの人は仕事や生活を守るのに精いっぱいで、“得”にもならないことなどに構っていられない。そのせいか、他者への関心さえも失われつつあるように映る。

 私は普段、アジアの途上国出身の外国人労働者と取材で接しているが、彼らは東京の人たちの「冷たさ」をよく口にする。それは私自身も東京で暮らしていて実感することだ。狭い歩道ですれ違う相手に道を譲っても、目も合わせずに去っていく。電車の車内でぶつかっても知らん顔……。関わっても“得”にならない相手に甘い顔など見せたくないのか。それとも、余裕のなさの表れなのか。

 人間関係の濃厚なアジア諸国からやってきた外国人たちは、日本人にも増して人の「冷たさ」に敏感だ。とりわけ東京のような、他者への無関心が蔓延る都会には居心地の悪さを覚える。「おもてなし」など日本人が得意とする「建前」に過ぎず、実際には自分たちの“得”のため、外国人を都合よく利用したいだけだと見抜いてもいる。

 そんななか、新聞記事で心に響く言葉を見つけた。

〈義を見てせざるは勇無きなり〉

「日本経済新聞」五月二十八日付け朝刊社会面の連載「発信 私の第2幕」、「アナから福祉施設職員へ 内多勝康さん」の中で取り上げられた論語の一節だ。元NHKアナウンサーである内多さんの座右の銘だという。

 内多さんは昨春、NHKを早期退職し、重い病気を患った子供と家族を支える福祉施設の職員に転身した。福祉との出会いは、初任地の高松市でボランティア協会の祭りの司会を務めたことに遡る。その後、福祉がテーマの番組を継続的に担当し、仕事の合間に社会福祉士の資格も取得したというから筋金入りだ。

 転職のきっかけは、自宅で医療ケアを受ける子供と家族への取材だった。内多さんは、番組で放送して「問題提起したら終わり」では納得できなかった。そして施設開設の準備をしていた医師に誘われ、転職を決意した。五十歳を過ぎて下した決断の背景には、あの論語の一節もあったのだろう。

 損得勘定で言えば、定年退職までNHKにいた方が“得”だったに違いない。「アナウンサー」は華やかな仕事で、給与も高い。しかし内多さんは、〈義を見てせざる〉自分を拒んだ。

「人として行なうべき正義」とは何なのだろうか。社会や他人など放っておいても、家族のためだと少しでも多くの金を稼げばそれでよいのか。上司の覚えめでたく出世することがそうなのか。否、「義」とは別のものだと、内多さんの生き方を通して記事が伝えている。普段は「損得勘定」ばかりが目立つ日経新聞としては、特筆すべき記事である。

 内多さんは少年時代、「仮面ライダー」に憧れていたそうだ。子供は誰でも正義の味方に憧れる。しかし大人になる頃にはすっかり忘れ、目先の損得で動くようになる。下手に「義」など追い求めれば“損”するだけだ。青臭いことなど言わないで、「長い物」に巻かれておこう――。ついそう考えがちな弱い私たちを、記事に載った内多さんの柔和な笑顔が、やさしく諫めているようだった。

7/11(火) 7:00配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170711-00003263-bunshun-soci